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2013年07月11日 18時19分 JST | 更新 2013年09月10日 18時12分 JST

『中国化する日本』の教訓 新しい日中関係のために

(この記事はYahoo!ニュース内のページ「史論家練習帳」に6月26日付で掲載された記事の転載です)

2013年6月7日に、『中国化する日本』の中国語版刊行を記念して、北京師範大学で行った講演の原文です。通訳は拙著の翻訳者の何暁毅先生(山口大学)、コメンテーターは王新生先生(北京大学)でした。旅行記ともあわせてどうぞ。

ゆきづまった「西洋化」の物語

北京のみなさん、はじめまして。この度、『中国化する日本』を翻訳していただいた、著者の與那覇潤です。この本はもともと、もっぱら日本の読者を想定して書かれた日本史の本でしたので、今日は初めて中国でお話しすることに、多少緊張しております。

私の使う「中国化」という言葉は、「西洋化」と対になる概念と理解していただければと思います。すなわち歴史の推移にともなって、「ヨーロッパに似た社会になってゆくこと」を西洋化と呼ぶように、「中国に似た社会になってゆくこと」を中国化と呼ぶこともできるのではないか。そう提案することで、実は日本の歴史の展開はこれまでよりもよく分かるようになるのだということを、私はその本で、日本の読者に伝えようとしました。

われわれ日本人は19世紀以降の自国のあゆみを、「西洋化」として理解することに慣れています。そしてそこには常に、アジアのなかで「西洋化」を達成できたのは日本だけだという、ささやかな誇りと自尊心とが伴っていました。しかしながら、その自信を私たち日本人は失いつつある。「衰退」が指摘されて久しいとはいえ、日本はまだまだ、みなさんよりも豊かな国のはずであります。国内総生産(GDP)では第二位の座をみなさんにあけわたしたとはいえ、国民ひとりあたりの数字に直せば、泰然自若としている余裕が十分にあるといってよい。それにもかかわらず、もし、いまの日本人のふるまいにどこか鷹揚さが失われているところがあるとすれば、それは近年のグローバル化の下でまさしくこのプライドが、二重の意味で傷つけられているからにほかなりません。

二重の意味というのはこういうことです。まず、西洋化を達成できたのは日本だけであるとは、もはや言いにくい状態になってきた。長らく反共的な軍事独裁政権の続いてきた韓国・台湾が、冷戦の終焉とともに民主化し、ともに大統領や議会の直接選挙を行うようになった。得意分野だったはずの電機産業でお株を奪われ、世界市場で韓国のサムスンに勝てる日本メーカーもなくなった。その結果として、「周辺諸国に負けていない」という自尊心を満足させるには、日本人の「民族性」が他と比べて優秀であるとか、日本の「歴史」には隣国と異なり一点の汚れもないとするような、露骨なナショナリズムやレイシズムを振りかざすしかなくなった。たとえばこのような構造が、東アジアの全体を巻き込んでしばしば展開される「歴史問題」の背景としてあります。

さらにもう一重の意味として、世界のあらゆる国が本当に「西洋化」するのかという、将来の展望が不透明になってしまった。アジアで日本だけが西洋化できた、ということを他国に対する優越性の証明とするには、「すべての国は遅かれ早かれ西洋化する」という前提が必要です。同じ西洋化というコースの上でレースをしているからこそ、アジアで「一番乗り」を果たした日本に、勝者の資格が与えられるのですから。しかし、この点でまさしく巨大な反例として日本人の前に立ちふさがるのが、みなさんの国・中国であります。少なくとも政治体制の面で、かつて韓国や台湾で起こったように、中国が西洋と同じ意味での民主主義体制になると考えている日本人は、きわめて少ない。珍しいことかもしれませんが、この点ではおそらく、みなさんの政府と同じ見解を共有しているわけであります。

この時、昔であれば、「だから中国は遅れているのだ。豊かになれないのだ」と結論づけることができたので、それは日本人にとって大きなストレスにはなりませんでした。しかし実際には、中国は西洋化しないままで経済を成長させ、世界の強国に復帰してしまった。いったいこれはどういうことなのか。これまで西洋化に費やしてきた日本人の努力とはなんだったのか。かような苛立ちを自らにぶつけるなら自己否定となり、他国にぶつけるなら排外主義となるのであります。

期せずして類似する中国と日本

いうまでもなく、ある歴史観が現実をうまく説明できないのだとすれば、それは現実ではなく歴史観が誤っています。そのためにこそ私は、西洋化ではなく「中国化」として自らのあゆみを振り返ろう、とわが国で提案をしたのでした。そしていま私は、そのような反省はみなさんの国にとってもきっと意味があると申し上げたい。なぜなら、もし19世紀以降に日本が達成したのが、西洋化ではなく「中国化」であったとすると、日中両国は現在のようにしばしば激しく対立しつつも、実際のところ同じ課題、共通する問題を抱えていることを示唆するからであります。

たとえば、みなさんの国を嫌う日本人は、しばしばこう言います。「中国は金儲けがうまいだけで、政治的にはいまも三流国家だ。いまだに一党独裁などという、西洋的な民主主義に反する体制のままではないか」。しかし、それでは同じ時代の日本はどうであったのか。戦後の日本では戦前と異なり、欧米諸国と同様の、かなり公正で平等な議会選挙が行われてきました。まさしくその意味では、西洋化を実現してきたわけです。ところが、そのように西洋的な選挙を行いながらも、自民党というひとつの政党だけがほぼ常に勝利し、半ば恒久的に政権を独占してきた。いわば、西洋と同じ制度を導入しながらも、「自発的に」ひとつの政党に政権を委ね続けてきたわけですから、はたして最初から「西洋とは異なる」ことを前提に一党制を採用している中国を、笑うことができるのでしょうか。そして近年、民主党という野党を中心に「政権交代可能な二大政党制」をようやっと実現しながらも、早くも日本人はそれに飽きたのか、この夏の選挙を通じて再び自民党がふたつの議院を安定的に支配する、一党優位の体制に戻そうとしているのであります。

もちろん、このことは戦後の日本と中国とが、まったく同様の体制の下にあったということではありません。日本は戦後、あくまでも国家の体制としては、明白に西洋諸国と同様の議会制民主主義を導入し、また戦前と異なり、一般の国民に広範な政治的自由――たとえば言論・集会・結社・信仰の自由を認める点でも、欧米の「先進国」を模範としてきました。そのもとで多くの日本国民が官憲による暴力的な弾圧を被ることなく、平穏な日常を過ごすことができてきたことは事実でありましょう。しかし、それは戦後に成立したわが国の憲法が、徹底的な個々人の人権の保障を明記し、国家の権力に欧米社会と同様の、厳しい規制をかけてきたからであります。それに対して現在の政権党である自民党は、その憲法の人権規定が「西欧の天賦人権説に基づいて」いることを批判し、むしろ「我が国の歴史、文化、伝統」に則った人権の定義に改めるべきだと主張して、「公の秩序」のためには人権を抑制できる新憲法への改正を唱えています。少なくともそれに賛同する人々が、日本が中国よりも「欧米の人権状況に近い」ことを誇るのは、明白な矛盾といわなければなりません。

日本と中国はしばしば互いに相手を、自らとは異なる社会であると思いたがる傾向があり、そして私の本にも記しましたとおり、それはかなりの程度事実でもあります。この講演でも以下に述べますように、日本は前近代に「江戸時代」というかなりユニークな――ある意味で中国と同じくらい「世界に類例のない」社会を作り上げ、近代以降もそれを継承してきたからです。しかしながら私は、いまはむしろ、この二つの国には意図せざる類似点が多々あるのだと申し上げたい。そのことを自覚していないがゆえに、われわれは意識の上ではしばしば対立・対抗しながらも、無意識のうちに相手をコピーしてしまっているのではなかろうか。そのような気づきを与えてくれる概念として、日本は西洋化ではなく「中国化」してきたという歴史観を、捉えなおしたいと思うのであります。

「中国化」は単一性による統合原理

それでは、はたしてどうして日中両国には、かように期せずして相手に似てゆく傾向があるのでしょうか。それはおそらくはみなさんの国が、世界史においてもっとも先駆的に、ひとつの文明を作り上げたことに起因するものと考えます。『白銀資本』として中国語訳も出ているアンドレ・グンダー・フランクの大著が示したように、近代ヨーロッパが奇跡的な発展を遂げるまで、世界経済の中心は中国にありました。アンガス・マディソンの著名な統計が示すように、1820年の時点でも世界のGDP推計値(購買力平価で計算)のうち3分の1は中国が握り、欧米および日本の合計値を上回っていました。まさしく中国は資本主義「以前」の人類史において、覇者の地位にあったのです。

しかしそのような「ひとり勝ち」の世界で、あまりにも早熟な発展をとげたがために、中国の伝統的な文明のかたちは、近代のヨーロッパとは異なるものになりました。その最大の特徴は、前近代の段階で広大な国土の統合を達成するために、多元性ではなく単一性に基づいて秩序が築かれたことにあります。ヨーロッパでは近代国家が作られる直前まで、王権と教皇権(カトリック教会)、大貴族や封建諸侯、自治都市など複数の在地権力が国内に散在していたため、身分制議会という場にそれぞれが代表を送って話し合う、多元的な政治勢力の存在を前提とした社会体制が定着してゆきました。これが、今日でいう西洋型の民主主義、すなわち複数政党制と議会政治の起源であります。

これに対して中国の場合は宋朝(960~1276年)の段階、すなわちフランス革命(1789年)に数百年先んじる時代に、貴族をはじめとする身分制度自体を撤廃しました。隋代に導入された科挙制度を全面的に拡張して、国家の官僚を出自ではなく試験で選抜することとし、それを監督する皇帝のもとにすべての権力を一元化したのです。そのような絶対権力を正統化するために、科挙においては儒教、とりわけ南宋以降に定着してゆく朱子学という一種類の道徳的価値観が、合否の判定基準として採用されてゆきました。つまり、ヨーロッパの政治秩序が可能なかぎり、社会の価値観を多様化してゆくことをよしとするのとは異なって、中国ではむしろ「正しい思想」をひとつに絞ることによって、国土を統一し人々を糾合する統治術が編み出された 。これが、中華文明を多元性ではなく、単一性に基づく秩序であったと私が呼ぶことの意味であります。

翻って、日本はどうだったのでしょうか。日本の場合は中国と異なり、伝統的に政治権力の集中性はあまり高くありませんでした。皇帝の派遣する官僚が全土を隈なく統治した中国とは対照的に、江戸幕府(1603~1867年)の時代でも徳川将軍家の直轄領は全国の一部に過ぎず、多くの土地は地元の世襲の封建諸侯(大名)が、それぞれバラバラに治めていました。この点では、日本にもヨーロッパと同様の多元性に基づく秩序があったように見えるのですが、しかし西洋とも異なり議会制度がなかったため、むしろそれぞれが暮らす狭い領国の範囲内で政治が完結してしまい、異なる地域の人々や発想とは対話する機会の乏しい社会が生まれました。民衆もまた身分制度のもと、自らの生れた村で親と同じ生業に就くことを要請され、いわば国民一人につき一か所だけの「正しい居場所」を指定し、そこから逸脱させないことによって秩序を安定させる試みが行われました。

その意味では、ひとつに絞るものが「思想」か「居場所」かが異なるだけで、日本もまた中国と同様、多元性よりも単一性に基づく統治を行ってきた伝統を持っています。戦後長らく自民党による一党支配が続いてきたのも、日本の人々が議会政治に複数の価値観どうしの対話というより、自らの居住地(選挙区)の代表が参加しているという感覚を求めてきたからでした。そして実際、あたかも前近代の村落社会のように流動性の低い雇用慣行のもとで、日本人は一生涯でひとつの会社のみにしか勤めないという終身雇用の企業文化を作り上げ、それが世界経済を牽引する高い生産性を上げているかぎり、選択肢がひとつに制限されていることへの不満は吸収されてきたのであります。

1970年代末、奇跡の高度成長を実現しオイルショックも乗り切ったころ、かように多元性ではなく単一性に基づく日本社会のあり方は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と呼ばれ、欧米人にまで羨望の的となりました。そしていま、やはり90年代以降一貫して成長を続け、リーマン・ショックから最も早く立ち直った中国の経済運営が注目を集め、一党制だからこそ可能な『北京コンセンサス』が、米国流のワシントン・コンセンサスに代わって世界を席巻するという予測すら語られています。その意味においては、単一性に立脚した秩序が多元性に基づくそれを上回り、打ち負かす局面は、歴史上確かに存在しうることを認めるべきでありましょう。

戦後日本の反省を中国の糧に

しかし問題は、その勝利がどの程度の永続性を持ちうるかであります。80年代に土地投機が頂点に達し、また工業製品の輸出攻勢によってアメリカさえも圧倒した後に、日本の経済はバブルの破綻によってあえなく不況に転落し、政治的にも見るべき成果のない停滞が続いています。はたして中国のみなさんもまた、それと同じ轍をたどってしまうのか。それとも隣人の失敗を自らの糧として、異なる進路を探すことができるのか。まさしくそのことを、いま日本のみならず世界の人々が、注視しているのであります。

このとき私たち日本人は、西洋化ではなく中国化という道をたどってきたからこそ、高度成長の後にみなさんと共有することになる課題について、反省とともに語ることができます。ひとつは、急速な工業化にともなう環境の破壊の問題。もうひとつは、成長の利益を大きく受けられる人と、そうでない人とのあいだで拡大する格差の問題。そしてみっつには、両者の背景にある人口の問題。かつて1960年代、日本の高度成長を支えたのは農村から都市への自由な人口移動と、いまだ高齢者に対して働き盛りの世代が多いことから生じた人口ボーナスでした。しかし農村の余剰労働力が底をついて移住が止まると成長は減速し、さらに都市生活の必然としての少子高齢化が、社会福祉の持続可能性に不安を投げかけています。このことは、人口移動に関しては戸籍制度による限界を抱え、また産児制限が成功したことの副作用として、これから急速な少子化を迎える中国のみなさんにとっても、必ず参考となる経験であろうと信じます。

そして高度成長の時代、日本列島の環境悪化はひどいものでありました。工場近くの住居は煤煙で窓ガラスが黒く染まり、悪臭漂う石油コンビナートの周囲では児童がマスクをして学校に通い、都市部は大気汚染で太陽がみえず目も開けるのが苦しい日々が増え、企業が垂れ流した汚染物質によって発生した奇病を、政府が放置することさえありました。このとき完全な破局を免れたのは、脆弱ではあっても日本に存在した多元性の効用であります。学問と報道の自由が憲法によって守られ、言論の多様性が存在したことが、公害病の摘発と対策を可能にしました。国政では決して政権を脅かすことはなかったとはいえ、マルクス主義を奉じた野党勢力が70年前後に革新自治体として地方政治の運営にあたり、はじめて環境問題に本格的に取り組んだことが、結果として国をも動かしていきました。欧米諸国に比べればはるかに制約されていたとしても、限定されたかたちであれ国内に多元性が存在することが、最後には国益に資するのだということを、私は戦後日本の教訓としてみなさんにお伝えしたいと思うのであります。

そして、単一性に基づく秩序というもの自体もまた、まさに自らが信じる唯一の信念のなかに、自らを省みる、相対化する契機を備えていることによってこそ、はじめて機能するのだということに注意を払わねばなりません。孔子様も言っておられます。――「過ちて改めず、是を過ちと謂う」(『論語』衛霊公篇)。たとえば儒教の徳目を掲げて政治を行う場合は、なによりもまず為政者自身が、自らの統治がその徳目にふさわしいものとなっているのかを絶えず反省し、過っていたら改めねばなりません。同じように国家が自らの理念を掲げるなら、その理念に照らせば自国の現状にはいまだ至らぬ点が常に残るだろうことを認め、少しでも現状を理念の方へと近づけるように、不断の努力を続けなければならないのであります。逆に、自らの国がもはやその理想を体現している、「正しい思想」に則ってなにひとつ間違った点はないと思い上がった時、その秩序が掲げてきた価値観は単なる夜郎自大と化してしまうのです。

よりよき「中国化」と「西洋化」の一致を

実はこの点においては、たとえば自由、平等、民主、人権といった、西洋化に伴うものとされる価値観も同様であります。平等というものは、現状よりもっと平等な秩序を希求し続けることによってのみ、その価値を実現できる。そもそもは有産者の白人男性のあいだにしか適用されてこなかった「平等」や「民主」の考え方が、やがて貧しい人々や女性や多様な人種・民族にも該当すべきものだと捉え返されることによって、はじめて欧米諸国においても実のあるものになっていった。一方で、かつてわが国が大東亜共栄圏という、一見するところ普遍的な植民地解放の理想を公称しながら、日本人にも中国人にも巨大な惨禍のみを残して自滅していったのは、自らがそのような理想的統治を「すでに実現している」と自惚れたためであります。私はその反省に立つがゆえにこそ、「自由と民主主義」を理念として掲げるアメリカに対してであれ、「中華と共産主義」を冠するみなさんの国に対してであれ、決して同じ失敗を繰り返してほしくないと切に願うのであります。

中国系のアメリカ人女性であるエイミー・チュア氏はその著書で、まさしく日中米を含めた人類史上の諸帝国を比較検討した結果、繁栄の条件は多様性への寛容にこそあると結論づけておられます。ヨーロッパの歴史を振り返っても、ユダヤ教徒を迫害したスペインは衰亡し、逆に宗教的な寛容を掲げて独立したオランダが、スピノザ、デカルト、ロックといった新時代を切り開く思想家を生み出す触媒となりました。第二次世界大戦以降、西洋の帝国主義国の多くが覇権を失うなかでアメリカだけが残ったのも、領土の拡張ではなく人材の吸引こそが真に国益の基礎になるものと考え、他国を排除するためのものではなく、むしろ世界の人々に愛されるかたちになるように、自国の理念がもつ普遍性を研磨し続けていったからだと、同氏は述べています。

みなさんの国には、人類史上初めて身分制を撤廃し、天下に通ずる徳目の下に出自や民族を問わず、広く有志を募ろうとした輝かしい歴史があります。そしてわれわれの国も、かつての誤った戦争を二度と繰り返すまいと誓い、平和の理念を掲げて数十年を歩んできました。その両国がいま領土や歴史をめぐって争い、自らの単一性のもとに互いに排除しあうのは、決して幸福なことではありません。むしろ単一性に基づく社会であるにせよ、それを異なる国の人々の視線を踏まえてより普遍的なものへと磨き上げることで、私たちは「中国化」と「西洋化」の良質な部分を、一致させることができるのではないか。西洋化として語られてきたわが国の歴史を、中国化として捉えなおす新しい歴史から、そのようなよりよき新時代の日中関係に向けた教訓を汲みとっていただくことができるなら、これに勝る喜びはありません。