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2018年04月16日 15時33分 JST | 更新 2018年04月16日 15時33分 JST

産婦人科医になりたいという思いを胸に、壁にぶつかりながらも日々乗り越えています

感謝の気持ちを忘れず、日々精進していきたい。

 産婦人科を学び終えた大学4年生の終わりの頃から、私は産婦人科医になりたいと思うようになった。生命が誕生することの尊さに感動し、女性の人生において大きなイベントの一つである妊娠・出産に、同じ女性として関わっていきたいと思ったからだ。

 その思いは、研修医になっても変わらなかった。南相馬市立総合病院に初期研修医として赴任し、3ヶ月間の産婦人科研修を終えて、その思いは強くなった。年間200件を超えるお産、婦人科の手術、外来をこなす毎日は、想像以上に大変だった。夜中にお産が始まることもあれば、緊急手術が必要になることもあり、生活は不規則になり、睡眠不足の日々が続いた。だが、妊婦健診の際に行う胎児エコーがうまく使えるようになり、お母さんのお腹の中での胎児の成長を一緒に見守ることができることが、私にはとても幸せだった。生命の尊さを肌で感じ、産婦人科医になりたいという思いは強くなった。

 だが、その思いは届かなかった。研修医2年目の秋のことだった。産婦人科の後期研修医として、そのまま南相馬市立総合病院に残りたいと、たった一人の産婦人科医に伝えたところ、返ってきた答えは、「面倒を見ることはできません」の一言だった。

 その一言は、私にはとても辛かった。南相馬を離れて産婦人科医として研修可能な病院に行くか、産婦人科医としてではなくても南相馬に残るか。私は悩んだ末に、後者を選んだ。南相馬で医師として医療に貢献したいという思いの方が強かったからだ。

 そんな私が、なんとか産科の研修をすることができるよう尽力してくださったのが、元神奈川県病院機構理事長の土屋了介先生だった。土屋先生は、私を全力で応援すると言ってくださった。そして、私が南相馬に所属しながら、神奈川で産科研修ができないか、神奈川県立こども医療センターにお声がけしてくださった。だが、正常分娩を少なくとも1000件経験してから来るようにと言われ、話は流れてしまった。だが、全力で応援してくださった土屋先生に、感謝の気持ちでいっぱいだ。今でも、お会いする度に「頑張ってね」と気にかけていただいている。

 福島医大の理事長である竹之下誠一先生も、私の置かれた状況を見かねて尽力してくださった一人だ。将来は女性の総合医になりたいという私の思いを知り、それならばマンモグラフィーの読影資格を取りなさい、そのために福島医大に研修に来なさいと。乳腺外科で月2回程研修をさせていただき、マンモグラフィーの読影方法を学んでいる。病棟業務が忙しくなり、福島市内まで通うことが厳しくなってしまった時期もあったが、なんとか資格が取れるよう業務と勉強を両立させている日々だ。竹之下先生も、お会いする度に、「絶対に資格を取るように。そのために全力でサポートするからね」と気にかけてくださっている。感謝の気持ちでいっぱいだ。

 南相馬で産婦人科医として働けないと分かったときは、とても辛かった。進みたい診療科を選び、皆がスタート地点に立っている中で、一人スタート地点に立てていないことに焦り、途方にくれる日々だった。だが、全力で応援していただき、前に進むことができた。

 内科医としてスタートし、あっという間に一年が経ってしまった。臨床に携わる中で、自分が取り組んで行きたいと思う分野が明確になってきた。壁にぶつかりながらも、なんとか乗り越えることができているのは、多くの人に支えていただいているからだ。感謝の気持ちを忘れず、日々精進していきたい。

* 医療タイムスの連載に加筆いたしました。