008 | 内沼晋太郎さんの選ぶ、カラダにいい本。「歩く」編

駅の構内を歩くときもなるべくただ静かに、ものを考えるだけにしようと思うようになった。そんな気分を後押しする、何冊かの本をご紹介。

乗り換えなどで駅の構内を移動するときには、いくらなんでもさすがに、本を読みながら歩くわけにはいかない。それでスマートフォンをつい、いじってしまう。ひとの迷惑にならない程度にと、チラチラと見る程度にして注意しながら歩く。それでも自分の動きについては客観的にはわからないから、すれ違う誰かには「こいつ邪魔だな、スマホ見ながら歩くんじゃねえよ」と心の中で毒づかれているかもしれない。そんな空気を読み取って後から反省する。

ぼくたちは幼少のころに憶えてからというもの、まるで息をするように自然に歩けてしまうから、たいていのことは歩きながらできてしまう。食べながら、音楽を聴きながら、電話で誰かと話しながら――つい何かをしながら歩いてしまう。だから歩いているときに「自分が歩いている」ということを強く意識することはあまりない。あえて意識するようにしてみると、歩くという動作において、カラダの実にいろんな場所が動いているということに気づく。

アイデアを練るときに歩く、という人は多い。ぐるぐる部屋を歩いたり、どんどん遠くまで散歩したり。カラダの色々な場所が動くのに合わせるように、思考がひとつのところにまとまりはじめる。メモをしようかと立ち止まった瞬間、スッと言葉にまとまって出てくる。最近そんな経験をして、それからは駅の構内を歩くときもなるべくただ静かに、ものを考えるだけにしようと思うようになった。そんな気分を後押しする、何冊かの本をご紹介。

■ルソー『孤独な散歩者の夢想』(光文社)

決して社交的な人間ではなかったルソー。親しい人々と断絶し、日々ひとりで歩きながら、訪れた場所の記憶と自らのアイデンティティをぐるぐると巡らせる、ひねくれ者の愛すべき最晩年のエッセイ。

■ヘンリー・ソロー『歩く』(ポプラ社)

ソローが『森の生活』を推敲していたころに地元で行った講演を、最晩年にエッセイとしてまとめたもの。自然の中にカラダがあるという当たり前のはずのことから、都市に暮らす自分がいかに離れているか。冒頭の引用から引きこまれます。

■片山洋二郎『ユルかしこい身体になる』(集英社)

この時代に生きるぼくたちのカラダが、どんなものに飲み込まれているか。いかに自分が自分のカラダのことを知らないかを知り、それを内側から自覚しながら日々を過ごすための一冊です。

内沼晋太郎

●うちぬましんたろう

numabooks代表、本屋B&B共同プロデューサー。ブック・コーディネイター、クリエイティブ・ディレクター。http://numabooks.com

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(「からだにいい100のこと。」より転載)