まさかの「命の砦」二本立て! 設立イベントと、ある若者との出会い

寒い中、街を彷徨い、空腹で、疲れ果て、荷物は重く、自殺や餓死が頭をちらつく。

本題に入る前に触れておきたいのは、「トランプ大統領」が誕生したことだ。

女性やイスラム教徒や移民に対する差別発言が「暴言王」「過激な発言」だけで済まされてきた大統領選。選挙期間中、そのような言葉が世界中にまき散らされたことだけでも「社会の底」が抜けるほどの脅威に感じていたのに、これから「トランプ大統領」が誕生するというのだから悪い冗談にしか思えない。

「誰かを傷つける言葉」「誰かの生命を危険に晒す言葉」を露悪的に繰り出すことで「あいつは本音で喋る奴だ」と思わせ、人気を得るようなやり方。この国の人々は、この数年、そんな政治家を多く見てきた。そして彼らが時に手段を選ばないことも。そして彼ら彼女らの言説が、多くの人々に「こんなことも言っていいんだ」と思わせ、社会の空気が「タガが外れる」ように差別や排除に鈍感になっていくことも。それがこの国の政治を確実に劣化させてきたことも。

とにかく、「言葉」というものに鈍感にならないでいよう。

今、改めて決意していることである。

「とりあえず意思表明しとく」

さて、ここからは本題だ。

前々回の原稿で書いた「いのちのとりで裁判全国アクション」設立記念イベントには、200人以上の人々が参加してくれた。

まさに「命の砦」である生活保護基準の引き下げを違憲として、現在、27地裁で900人以上が原告となって裁判をしているのだが、その支援の輪が大きく広がったことが実感できる集会となったのだった。

そんな設立イベントの日、私には人知れず、もうひとつの「命の砦」を守るためのミッションが課されたのだった。

発端は、イベント当日の朝に届いた一本のメール。知らないアドレスで、差し出し人の名前(仮にAさんとする)も記憶にないものだった。しかし、読者の方などからメールが届くのはよくあること。何気なく開いてみると、そこには以下のような言葉があった。

「東京都在住の25歳、男です。事情がありまして、今、ホームレスをしています。相談にのって頂けないでしょうか?」

メールが出されたのは朝8時。東京ということは、会いに行ける可能性があるが、何しろ私はこれから集会だ。共同代表の一人として総会に出席し、シンポジウムではコーディネーターという役割がある。集会は午後4時まで。それまでは動けない。どうしよう...。

そう思いながら午前10時、衆議院第一議員会館に着き、集まっている顔ぶれを見渡した瞬間、重大なことに気がついた。周りにいるのは生活保護問題に長年取り組んで来た弁護士さん(しかも複数)やケースワーカー、何十年も地域で生活困窮者支援をしてきた活動家などなど。

あの日あの瞬間の衆議院第一議員会館の大会議室は、「ホームレス状態の人を完璧に助けるスキルを持つ人密度」が日本で一番高い場所だったのである。しかも午後からは困窮者支援を続ける「もやい」の稲葉剛さんも来るではないか。百戦錬磨のプロ中のプロが、そこら中にうようよしているのである。

そこで私は閃いた。

Aさんをここに呼んでしまおう! と。

早速、私はAさんにメールした。今日は衆議院第一議員会館に午後4時までいるので、そこに来られないだろうか、と。国会議事堂前駅からすぐということも伝えた。すると返ってきたのは「所持金ない状態で身動きがとれません」。なんでも携帯も解約されてしまっているとのことで、私とのメールのやり取りはWi-Fi環境を探してしているとのこと。

やっぱりそのパターンだったか...。

その瞬間、私は集会後に会いに行く覚悟を決めた。ちなみに「そのパターン」というのは、携帯も止まり、所持金はゼロか、電車賃もないくらい。今まで幾度か読者の方からSOSメールを貰って駆けつけてきたが、ほとんど全員が既に携帯が止まり、所持金は数十円程度だった。というような話をすると、「もっと早く助けを求めるべきだ」なんて怒り出す人がたまにいるが、それは違う。

彼らは、携帯が止まり、所持金ゼロになるギリギリまで、自分の力でなんとかしようともがき、頑張ったのである。そんな状態になるまで、誰にもどこにも助けを求めなかった結果が「身動きも連絡も取れない」状態なのである。

とりあえず今どこにいるのか聞いて、集会後に待ち合わせをしよう。そう思ってスマホを見ると、彼からメールが届いていた。現在、秋葉原にいるので、こっちに向かうとのこと。電車は無理だけど、歩くことに決めたのだろう。そしてメールには、「今日どう過ごすかで悩んでいます」との言葉があった。その文面から、おそらく彼はホームレス状態に「なりたて」なのだろうと思った。

秋葉原から、議員会館まではおそらく1時間くらいで着くはずだ。私は彼に、議員会館のロビーでの通行証の貰い方や大会議室の場所、また、彼が着く頃には私はおそらくシンポジウムで登壇していること、入場無料なので会場に入って待っていてほしいことを伝えた。

おそらく空腹で疲れ果て、それでもこれから歩いてくる彼を思うと胸が痛んだ。それにしても、私はいつも彼らの「遵法意識の高さ」とでも言うものに打ちのめされる。電車賃がなければ、電車に乗らずにどこまでも歩く。無賃乗車をしようという意識などハナからない。大分前のことになるが、年越し派遣村の際には都外から1日がかりで歩いてきた人、何日かかけて自転車で来た人などもいた。

そのことが、彼らの体力をまた奪っていく。命にかかわる時だけは、公共交通機関は無料、もしくは後で返すような仕組みにならないものだろうか。なかなか見えないニーズだが、たった200円程度の「電車賃の壁」はいつも高く聳え立ち、時に支援を遅らせる。それが取り返しのつかないことにならないとは言えない。

さて、そうしてシンポジウムの最中、Aさんらしき人が到着した。

集会が終わり、歩み寄ると「Aです」と言う。本当に普通の、どこにでもいるような若者だ。が、その表情には疲れが滲んでいた。

早速、事情を話してあった、「もやい」の稲葉さんに紹介する。その日は月曜日だったのだが、翌火曜日は「もやい」の相談日。奇跡的にいいタイミングである。明日相談に行けば、おそらく生活保護申請に繋がり、落ち着き先も見つかるだろう。住所がなければ仕事は見つからない。そもそも、仕事を探そうにも、彼は既に所持金がない。ということは食事もできない。が、生活保護を申請すれば、1日にいくらかは出るので食事もとれる。そうして仕事が見つかり、自立の目処がたったら生活保護を抜ければいいのである。

というような話をし、結局その日、Aさんは稲葉さんにその日のネットカフェ代と食費を借り、翌日「もやい」に行くことになった。聞けば、彼はもともと飲食関係の仕事をしており、結構いい収入があったものの仕事を失い、友人宅にいたもののそこもいられなくなったようで、昨晩はマックで過ごしたということだった。

所持金がなく、今晩、どこで過ごせばいいのか。というか、そもそもこれからどうすればいいのか。途方に暮れていたAさんだが、勇気を出して送ってくれた一本のメールから、6時間後にはこうして稲葉さんと出会い、ぶ厚いセーフティネットに無事ひっかかったのである。

その日の夜、彼にメールすると、「しっかり仕事見つけて恩を返さないといけないので頑張ります!」という返事が来た。

ああ、本当によかった...。

それにしても、生活保護についての情報が以前よりは広まったかに思える今も、こうして路上に追いやられてしまう若者がいるという現実に、改めて胸が苦しくなったのだった。

もし、自分だったら、と想像してみてほしい。

様々なことが重なって、仕事、そして住む場所を失い、所持金も尽き、携帯も止まり、今日寝る場所もない。身体を休められるところもない。寒い中、街を彷徨い、空腹で、疲れ果て、荷物は重く、自殺や餓死が頭をちらつく。そもそも、歩こうにも、どこに向かって歩いていいのかわからない。これほどの「恐怖」を、私は経験したことがない。おそらく、これを読んでいる人の多くもそうだと思う。

「自分は泊めてくれる友達がいるから大丈夫」という人もいるかもしれない。しかし、泊めてくれている友人に生活費や食費、携帯代などで借金をし、返せないことが何度も続いたら? おそらく何度目かで、友人宅を出ることになるだろう。生活が安定しない限り、別の友人のところでも同じことを繰り返さざるを得ない。仕事が見つかっても、最初の給料日までは入金はない。

しかし、日々、交通費や食費はかかる。そうして借金をしていくと、「頼れる友達」はどんどんいなくなっていく。「申し訳ない」という思いから、連絡もできなくなってしまう。

貧困はこうして、時に人間関係も破壊する。

それにしても、彼はどうやって私のことを発見したのだろうか。

なんとなくだけど、もともと私の書いているものを読んでいる、という感じではなかった。そういえば以前、同じようなメールを貰って駆けつけた際、連絡をくれた男性は私のことをまったく知らず、とりあえず「新宿 所持金ゼロ」で検索したら何かの記事にあたったようで、それで連絡したと言っていた。「新宿 所持金ゼロ」の女。で、メールしたら駆けつけるって、なんだか都市伝説のようではないか。

とにかく、生活保護を巡る「いのちのとりで裁判全国アクション」設立の日に、一人の若者の「命の砦」は守られた。細い細い糸が繋がり、セーフティネットに繋がった。これが「幸運な例」であってはならない。すべての人が、もっと気軽に簡単にセーフティネットに繋がれる仕組みが必要だと、改めて課題をもらった気分だ。

(2016年11月16日「雨宮処凛がゆく!」より転載)

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