前回は、「デジタルジャーナリズムフォーラム2016」における、ニューズ・コーポレーション戦略担当上級副社長のラジュ・ナリセティさんと、グーグルのニュース・ソーシャル担当のシニアディレクター、リチャード・ギングラスさんの基調講演について紹介した。
フォーラムでは、より編集部の現場レベルの取り組みについても議論があった。テーマは、テクノロジーとデータを編集部のイノベーションにどう生かすのか、だ。
登壇したのは、ウェブメディア「ヴォックス・コム」共同創業者のメリッサ・ベルさんと、フィナンシャル・タイムズの読者エンゲージメント担当責任者、レニー・カプランさん。司会はスマートニュース執行役員の藤村厚夫さん。
読者はどこにいて、何をどれだけ読んでいるのか? プラットフォームごとの、コンテンツの最適のスタイルとは?
イノベーションを目指して伝統メディアのワシントン・ポストと飛び出したベルさんと、伝統メディア、フィナンシャル・タイムズに参加して1年足らず、内部からのイノベーションに取り組むカプランさん。
その対照的な2人による、最前線の報告だ。
●既存メディアを飛び出す
ベルさんが注目を浴びるようになったのは、ワシントン・ポスト時代の人気ブログ「ウォンクブログ」だ。
現「ヴォックス・コム」編集長のエズラ・クラインさんの個人ブログとして始まり、2013年にはオンライン・ニュース・アソシエーション(ONA)賞を受賞。
ベルさんはジャーナリスト出身ながら、デジタルプラットフォームのディレクターとして、同ブログを支えた。
同ブログの派生サイトとして運営メンバーのディラン・マシューズさんが、ソーシャルメディアでの拡散を目指す新たなバイラルコーナーとして立ち上げた「ノウモア(Know More)」もスマッシュヒットに。
ところが、クラインさんによる、さらなる規模拡大の要求を巡り、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスさんがオーナーとなったポスト経営陣と対立。
2014年1月に、クラインさん、ベルさん、マシューズさんらはポストを飛び出し、ウェブメディアの「ヴォックス・メディア」のもとで、同年4月に立ち上げたのが「ヴォックス・コム」だ。
同サイトの特徴は、そのキャッチフレーズ「ニュースを説明する」の通り、ニュースをカード形式のパーツに分割し、分かりやすく解説していくスタイルだ。
「ヴォックス・コム」の技術面を担当してきたベルさんは、昨年5月からは「ヴォックス・メディア」本体の成長・分析担当副社長に。
「ヴォックス・コム」を含む傘下8つのデジタルメディアすべての戦略面を担当している。
この中には、ベルさんらと同時期にウォールストリート・ジャーナルを離れた人気ジャーナリスト、ウォルト・モスバーグさんとカラ・スウィッシャーさんが立ち上げたテクノロジーニュースサイト「リ/コード」も含まれている。
●活字とテレビ、広告の世界から
一方のレニー・カプランさんのキャリアはかなり幅広い。
ニューヨーク・オブザーバーのシニアエディター、CNNのプロデューサー、ニュースチャンネル「フランス24」論説委員、さらに広告エージェンシー「ハバスワールドワイド・パリ」の最高コンテンツ責任者などを経て、昨年5月からフィナンシャル・タイムズに参加。
初代の読者エンゲージメントチームの責任者を務めている。
活字、テレビ、広告とあらゆるメディアの現場を踏んできた人物だ。
そして、このエンゲージメントチームも多彩な組み合わせのようだ。編集部にデスクはあるが、チームメンバーは、ソーシャルメディア、コンテンツマーケティング、データ分析、SEO(検索エンジン最適化)など、編集部外の様々な部署の、様々な人材を集めている。
●ジャーナリズムの変容
ネットのテクノロジーはジャーナリズムを変容させており、今のミッションに合うニュースをつくり出すことが必要だと考えた。
ベルさんは「ヴォックス・コム」の立ち上げの理由をそう説明する。
2年前に運営会社「ヴォックス・メディア」に参加した時には100人規模だったが、現在では500人規模。月間ユーザー数も、傘下メディア合わせて1億7000万人に。
2013年には90しかなかった広告も、2015年には6500万を超す成長ぶりだという。
昨年8月には、コムキャスト傘下のNBCユニバーサルが2億ドル(220億円)を出資。これによるヴォックス・メディアの評価額は10億ドル(1100億円)を超すと言われた。
ベルさんによると、「ヴォックス・コム」では「リーダー・ファースト」を掲げ、スマートフォンでの閲覧を念頭に、配信フォーマットを選択。特に動画に注力しているという。
読者がどんな人々で、どこにいるのか。私たちはそれを理解する必要がある。最高のコンテンツを、読者に届くフォーマットで届ける必要があるのです。
そして、自らの仕事をこう説明する。
ヴォックス・メディアにおける私の仕事は、プロダクトやテクノロジーの組み合わせ、コンテンツの伝え方やエンゲージメント、読者へのリーチアウトの検討です。
●伝統メディアのイノベーション
カプランさんは、フィナンシャル・タイムズを創刊128年のブランド価値を持つ「エスタブリッシュメントのメディア」と位置づける。
そして、カプランさんが率いる読者エンゲージメントチームの存在こそが、伝統的な活字メディアがイノベーションに取り組む証しだという。
読者エンゲージメントチームは、編集部の中で、イノベーションを鼓舞する役割を担っている。読者エンゲージメントを語ること自体が、メディアのデジタル化によって、読者との関係が変わったことを示している。これまでは、朝刊、夕刊という形で、決まった時間に一方向の情報伝達が行われてきた。そのスタイルは根底から崩れた。今では読者は、好きな時に、好きな場所で、好きなフォーマットでニュースに接することができる。
そのような環境変化の中で、カプランさんは、自身の役割をこう述べる。
この変化にどのような可能性があるのか、そこでどのようにコンテンツをつくり、それをどのように読者に届けるか。それを考えるのが私の仕事です。
そして、読者エンゲージメントとは、「いかにしてより多くの読者に我々のジャーナリズムを届けるか」という取り組みだという。
特に課金メディアとして、読者がどの時点で課金読者となってくれるか、が重要だ、と。
デジタルにおいて、親しみやすく、読みやすいフォーマットでジャーナリズムを届ける必要がある。そのために、活字メディアである我々は、コンテンツの制作プロセスから見直しをしていかなければならない。コンテンツづくりから、ソーシャルメディアを含めて、多様な形で配信していくことまで。これはジャーナリストが、記事をつくり出す方法が変わるということであり、ジャーナリスト自身が変わるということでもある。
カプランさんはそれぞれの「コンテンツの役割」は何かを考える、という。
そのコンテンツの担う役割は何か。読者はどんなデバイスで見ているのか。紙の時代であれば、ジャーナリストは記事を書き、新聞を発行して、終わり。でもデジタルの時代には、その記事を伝えるのに最善の方法とは何か、を考える必要がある。読者の大半がスマートフォンで見ているとすればどうか。そこで記事はどのように見えるのか。その記事の果たす役割は。そのデバイス上で見やすくするにはどうしたらいいか。私たちのチームは、ジャーナリストやエディターたちのコーチ役となり、それらのフォーマットに最適化したコンテンツの作り方を考えて行きます。
ただ、コンテンツの作り方はチームの役割の半分。もう半分は、その届け方だ。
そのコンテンツをいかに読者に届けるか。そのためにデータアナリストがいる。読者は誰か。どのように見つけ出し、語りかけるか。男性か、女性か。読者規模を拡大するチャンスは。それらをウェブサイトや購読者、フェイスブックやツイッターから集めたあらゆるデータから分析する。SEOは、検索サービス上でいかにコンテンツを見つけてもらうかの最適化。マーケティングは、コンテンツのインパクトの最大化。それらを通じて、いかに新しい読者に届けるか、という取り組みです。
●テクノロジーの役割
「ヴォックス・コム」を含む8つのメディアのコンテンツ制作、配信を支えるのが、「ヴォックス・メディア」が誇るコンテンツ管理システム(CMS)「コーラス」だ。
ベルさんらが、「ヴォックス・メディア」傘下入りを決めた一つの理由が、この使いやすさと機能の柔軟さで知られる「コーラス」の存在だったと言われる。
コーラスは、ライターやエディターだけでなく、ビデオグラファー、グラフィックエディターが、それぞれのコンテンツ制作に使えるインフラです。と同時に配信ツールでもある。異なるプラットフォームごとに配信をプログラムできます。使い勝手はとてもシンプル。そして、モバイル端末における表示イメージもチェックすることができます。それによって、パソコン上の見え方とは違う表示の調整も可能になる。フェイスブックのインスタント・アーティクルズにも直接、記事が配信できます。
また、「ヴォックス・メディア」においても、「読者は誰で、どのようにコンテンツに接しているか」のデータ解析に力を入れている、という。そして、それらのデータをエディターやライターが共有し、常に把握していることが重要だ、と。
一方のフィナンシャル・タイムズが今月17日に正式発表をしたデータ分析ツールが「ランタン」だ。
その機能の背景には、「クオリティー・リーチ」と呼ぶ読者戦略がある。
すなわち、単なる読者数の拡大ではなく、課金購読の可能性がある〝見込み読者〟にターゲットしたリーチだ。
フィナンシャル・タイムズの部数は78万部で、うちデジタルが7割。ジョン・リディングCEOは当面の目標として100万部を「できる限り早く」達成したい、と公言している。
そのための指標として重視するのが、近時性(Recency)、頻度(Frequency)、広範性(Broadness)の「RFB」のデータだという。
どれほど最近、どれくらいの回数訪れ、どれだけ多くのコンテンツを閲覧したか。どれくらいの時間滞在し、ソーシャルメディアの共有やコメントをしているか。
それにより、課金購読にいたる〝見込み読者〟の購買ファネル(漏斗)を管理していくのだという。
これらビジネス部門が収集・分析していた読者データをもとに、編集部のジャーナリスト向けに、よりわかりやすいインサイトを提供するデータツールが「ランタン」だという。
それにより、テクノロジーやツールを使うというカルチャーを、伝統的な紙の編集部に持ち込むという狙いもあるのだという。
実はこの「ランタン」は、編集部に向けた読者データ共有のツールとしては3代目になるという。
最初は5年前で、編集幹部用にデータのダッシュボードを開発。さらに2年前には、「ベッツィー」と呼ばれる全編集部員向けの分析ツールを開発したが、使い勝手の悪さから見向きもされなかったようだ。
今回は、データの活用による編集部改革に向けた〝3度目の正直〟ということになる。
●対極のアプローチと共通の認識
ヴォックスの広告モデルとフィナンシャル・タイムズの課金モデル。伝統的な活字メディアを飛び出したベルさんと、伝統的活字メディアの中でイノベーションを起こそうとしているカプランさん。
特に、フィナンシャル・タイムズは、一握りの富裕層、政治・ビジネスの指導層を狙う「ニッチ(隙間)戦略」を展開するメディアだ。
昨春からは、無料で読める記事本数を限定する「メーター制」を廃止して、1カ月1ドルのトライアル制度を導入したり、読者の閲読時間単位の新たな広告指標「CPH(コスト・パー・アワー)」を取り入れるなど、課金読者とのエンゲージメントに照準を絞り込んでいる。
極めて対照的な二人が語る戦略はしかし、読者起点の発想でコンテンツの届け方を設計し、読者とのエンゲージメントを最適化する、という点で一致する。
ビジネスモデルにかかわらず、今、やるべきことは何か、ということが整理できた議論だった。
(2016年3月20日「新聞紙学的」より転載)