ケヴィン・ケリーさんに聞く:テクノロジーはチャンスを生み出す、たくさんの失敗をせよ

著書『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(服部桂訳)出版に合わせて来日したケリーさんに、テクノロジーの行方と、この30年のメディア環境の変化について、話を聞いた。

テクノロジーとはなにか? 私たちはどのように接するすべきなのか?――米ワイアード誌の創刊編集長であり、デジタル文化を1980年代から見据えていた著述家、ヴィジョナリーのケヴィン・ケリーさん。著書『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(服部桂訳)出版に合わせて来日したケリーさんに、テクノロジーの行方と、この30年のメディア環境の変化について、話を聞いた。

●「巨大な脳」としてのテクニウム

ケリーさんは、10日に虎ノ門ヒルズで開かれた『ワイアード』日本版のカンファレンス「未来の都市を考える TOKYOを再インストールせよ」で、「都市はテクノロジーである」と題して、『テクニウム』で描くテクノロジーの〝生態系〟を紹介した。

生物標本は、それまでバラバラなコレクションとして扱われていた。そこに理論はなかった。チャールズ・ダーウィンが登場し、それらが実は互いにつながり、関連しているのだという。そして、その過程を〝進化〟と呼んだ。互いに連携する生命を体系化したのだ。問題は、現在のテクノロジーが、ダーウィン登場以前の扱いを受けていることだ。テクノロジーとは何か、という問題を理解するための枠組み、理論がない。

テクノロジー相互のつながりや、文化的な影響も含めたシステムの全体を、ケリーさんは「テクニウム」と呼ぶ。

リチャード・ドーキンスさんが『利己的な遺伝子』で描いた〝ミーム(文化的遺伝子)〟の考え方に近い。

テクノロジーには、植物が光を求めて伸びていくような〝欲求(want)〟がある、とケリーさんは言う。そして、それは人間の意思とは無関係に。

テクノロジーは何を求めているのか? それは私たちをどこへ連れて行くのか? 私にとっての答えは、前世紀の最も重要な発見だ。それは1950年代、生命の基礎が〝情報〟すなわちDNAであることがわかったということだ。生命自体が情報のプロセスなのだ。「テクニウム」の基礎もまた〝情報〟だ。つまり自然界と機械界の間には等価性があるということになる。

生命における進化を理解することで、テクノロジーの進化を理解できるようになる――それがケリーさんの掲げる理論だ。

では進化の望むものは何か?

40億年以上前のバクテリアから、現在の脳の仕組みまで、すべてのものはより複雑になっていく。

複雑性は、求めるものの一つでしかない。そしてテクノロジーが望むものも多岐にわたるという。

多様性、オプション、可能性、自由、選択。

モーツアルトが、ピアノが発明される前に生まれていたとしたら、彼の音楽はなかった。彼にはピアノのテクノロジーが必要だった。ゴッホが油絵の具とキャンバスの発明前に生まれていたら? ヒッチコックが映画のテクノロジーが発明される前に生まれていたら? 今、世界のどこかで、生まれ出てくる現代のシェークスピアやモーツァルトが、彼らに必要なテクノロジーが生み出されるのを待っている。それによって、彼らの才能を共有することができる。私たちは、そのための新たなテクノロジーを増やしていく義務がある。

インターネットは、地球規模の巨大な生命体をつくり出している。地球上のすべてのコンピューターが一つの機械としてつながり、その処理規模は人間の脳に匹敵する。それこそがテクニウムだ。だが人間の脳は(ムーアの法則のように)18カ月では倍増しない。だがテクニウムは倍増していく。脳よりも急速に拡大していく。地球をとりまく巨大な脳のようなものだ。

●テクノロジーはただ〝やってくる〟

以下は、ケリーさんとのインタビューだ。

――『テクニウム』の原題『テクノロジーが望むもの(What Technology Wants)』のように、ケリーさんはテクノロジーに「望む(wants)」という自動詞を使っている。その理由はなんでしょう。

「望む(wants)」という言葉を使ったのは、テクノロジーのいくつかは、必然であり避けられない、といういうことを示したかったからだ。

未来に起きることのいくつかは、我々がコントロールすることはできず、選択肢も用意されていない。選択できるものもある。だが、できないものもある。

――多様性や複雑性といったテクノロジーの〝傾向〟は、人間があらがえるものではない、と。

それは選択ではなく、ただ〝やってくる〟ものだ。

ロボットも人工知能(AI)も、我々がそれを止めることはできない。何をしようと、〝やってくる〟。経済は持続し、ものづくりは続く。その果てに、ロボットやAIは登場するのだ。

●うまくいく世界の退屈

――そのようなテクノロジーの〝傾向〟に対する拒否感や危機感、といったものもある。ケリーさんの著書の中でも、反テクノロジーの爆弾テロ犯「ユナボマー」(セオドア・カジンスキー)や、2000年の『ワイアード』で「ロボットや遺伝子工学、ナノテクなど21世紀のテクノロジーは人間を絶滅危惧種にする恐れがある」と指摘した元サン・マイクロシステムズのチーフサイエンティスト、ビル・ジョイさん、さらにテクノロジーに慎重な宗派「アーミッシュ」を取り上げている。

人々が感じているのは、〝恐怖(fear)〟というよりは〝警戒(wary)〟なんだと思う。

テクノロジーによって何が起きそうなのか、ということへの〝警戒〟だ。虎がやってくるとか、戦争が起きる、といったことへの〝恐怖〟ではない。

時には起きるかも知れないし、全く起きないかもしれないが、起きる可能性はある、と考える。

例えば、雷に打たれることを〝警戒〟する。そんなことはめったにないが、打たれる人もいる。そして多くの場合、決して起きないことを〝警戒〟しているようにも思える。

おそらく、私たちの心理が、物事がうまくいかない、というストーリーの方を想像しやすいからではないか。ハリウッド映画や本やテレビといったメディアが、私たちをそのように慣らしてしまったのかもしれない。

SF作家が明るい未来を描くのは、かなり難しいことでもある。そんなストーリーは退屈で誰も読まないからだ。

うまくいっている世界は、退屈なのだ。

一方で、うまくいく可能性というのは、失敗する確率よりずっと低い。まして、複雑になっていく世界で、成功につながる道筋を想像するのは、より困難になる。失敗する道筋なら数百万とあるのに、成功につながる道筋が10ぐらいしかないのだから。

●失敗は前進の手助けになる

――だとすると、私たちはどう対処したらいいでしょう。例えば、スタートアップ(ベンチャー)企業には、できるだけ多くの失敗をし、そこから改善の反復を続けるという文化がある。それは、テクノロジーとのつきあい方にも取り入れることができるでしょうか。

社会が多くのことにチャレンジするのはいいことだと思う。多くのビジネスが5年以内に失敗するとすれば、その失敗は、私たちが前進する手助けになる。

多くの科学の実験が失敗することで、私たちが前進するのと同じことだ。

そのスピードを上げ、スタートアップの文化を広げていく。あらゆる場所で新しい取り組みが開花するのを許容できるようにするのだ。

例えば、欧州はいまだに失敗がしづらい、失敗が評価されにくい社会だ。文化的な背景にも根ざしているのだろうが、その変化には数世代を要するだろう。

そのようなベンチャーの文化を持っていない地域が、それを根付かせようとするには、やはり時間がかかると思う。文化とは、そうすぐには変化しないものだから。

そして、テクノロジーは文化なのだから。テクロジーは文化に影響を与え、文化はテクノロジーに影響を与える。

●テクノロジーが生み出す新たな問題

――スタートアップのマインドセットが、テクノロジーと社会の軋轢を解消していく、と。

確かにスタートアップのマインドセットが、テクノロジーと社会の間に横たわるいくつかの問題を解決することにはなるだろうが、また、新たな問題も生み出す。

テクノロジーが、今日の問題を解決しても、明日の新たな問題をつくり出してしまうということだ。それを解決するには新たなテクノロジーが必要になる。その新たなテクノロジーは、さらに新たなテクノロジーが必要な新たな問題を生み出す。

そのように拡大を続けていく。それが『テクニウム』の一つの結論でもある。

ただ、問題というものはチャンスでもある。新たなテクノロジーを生み出すチャンスでもあるということだ。

――ケリーさんは1998年の著書『ニューエコノミー 勝者の条件』の中で、「問題を解決するな、チャンスを追及しよう」と述べています。これは、今のお話につながるテーマでしょうか?

その通り。問題というのは、新たなものを生み出すチャンス、ということだ。

――メディア産業は、テクノロジーにどう向き合っていくべきだと思いますか。

巨大企業にラジカルな変化が可能かというと、私はあまり楽観的ではない。新たにベンチャーを立ち上げて変えていく方が、はるかに簡単だ。

その理由は、自己保存しようとする組織の〝慣性〟にある。組織が成功していればしているほど、変化は難しい。

多額の収益があり、評価も高い、強大な企業が、変化しようとするのはまず不可能だ。特にラジカルな変化は。その成功のために最適化されており、それを守ろうとするからだ。

変化のためには、非効率であり、周縁的であり、不採算でなければならない。あらゆる企業はその正反対のことをしている。

ラジカルな変化とは、あえて死に至る飢餓状態に身をおくようなものだ。とても難しい。健康な体を不健康な状態に追い込めば、体が悲鳴をあげる。

とても危険だし、利幅は薄いし、肝心の商品はおんぼろ。どんな企業にそんなことができるか。とても不可能だ。

そんなことができるのは、破綻が決定づけられた企業だけだ。変わらなければ死んでゆく、他に選択肢はない。そんな企業だ。

――ケリーさんは「最適化と発見」「問題と解答」など、対抗軸の〝バランス〟を取ることの重要性も指摘しています。

確かに、企業に早期の対応ができるなら、企業の存続にとっていい結果が出るかも知れない。方向転換の余地が生まれるからだ。

ただ自動車が急角度での方向転換が難しいように、企業も急転換はできないだろう。

新聞社は、10年前、20年前に方針転換の舵を切ることは可能だっただろう。ただ、現時点では、相当な急転換が必要になっていると思う。今、方向転換ができるのかどうか、私にはよくわからない。

ジャーナリズム業界としては変化は可能だ。ただ、単体の企業としてみると難しいということだ。

自動車業界で考えよう。自動車業界は変化する。GMは破綻したが、テスラが登場した。それによって業界は変化した。すべての企業が生き残るわけではなく、新たなプレーヤーが変化を促進する。

メディア業界は新たなスタートアップによって変化していく。バズフィードやハフィントンポストなどによって。

●テクノロジーを取り巻く文化への関心

――ケリーさんは1980年代半ばから初期のハッカーイベントである「第1回ハッカーズ・カンファレンス」の開催、オンラインコミュニティーのさきがけである電子掲示板「ザ・ウェル(ホールアース・エレクトリック・リンク)」の創設、カウンター・カルチャー誌『ホールアース・カタログ』の後継シリーズである『ホールアース・レビュー』の編集を、スチュアート・ブランドさんらと手がけています。さらには90年代に入ると米『ワイアード』の創刊編集長、と一貫してテクノロジーと社会、メディアが交差する分野でキャリアを積まれているように見えます。

私はテクノロジー自体にはそれほどの関心はない。テクノロジーをとりまく文化に関心があるんだ。『ワイアード』の初期に、編集方針として決めたことは、テクノロジーを扱うのではなく、それによって文化にもたらされる〝結果〟を扱おうということだ。テクノロジーによって、文化に何が起きるのか。私の関心はテクノロジーの文化的効果にある。

テクノロジーそれ自体の知識も、たとえばプログラミング言語のことは全くわからない。それよりも、テクノロジーが私たちの振るまいをどう変化させるのか、私たちの心をどう変えるのか、テクノロジーがどのような意味を持つのか、ということだ。

ロボットやAIは、チェスをしたり自動車を運転したりと、これまで人間がやってきたことを行う。それらが実現するたび、私たちは「人間とは何か、人間が得意とするのは何なのか」ということを、改めて定義しなおさなければならなくなる。そんなことが、私の関心事だ。

●個人のためのツール

――特に「ハッカーズ・カンファレンス」「ザ・ウェル」は、現在に至るデジタル社会、ネットワーク社会の先がけとなる試みでした。

(「ハッカーズ・カンファレンス」が開かれた)1984年には、パソコンを持っている人々はさほど多くはなかったし、パソコンでできることも限られていた。コンピューター・テクノロジーに対する、文化的な評価も否定的なものだった。パソコンに熱中するのは周縁というか、10代の子どもたち、といった位置づけだった。

一方で1984年当時は、(メインフレームの)コンピューターに対しては、非人間的な、企業向けの、ビッグブラザー、といったイメージがあった。

(スティーブ・ジョブズも所属したコンピューター自作グループ)ホームブリュー・コンピューター・クラブやアップル、ハッカーズ・カンファレンスは、そういったコンピューターについての新たなイメージを掲げる試みだった。

パソコンとは、個人のためのツールであり、10代の子どもたちだけでなく、何かをやりたいと思うすべての人々のためのツールなんだと。

当時はパソコン自体、それほど便利なものではなかったし、使いやすくもなく、それなりに値の張るものだった。だが、パソコンが電話線につながり、〝オンライン〟になることが、文化的変化の始まりだった。

それが電子掲示板「ザ・ウェル」だ。コンピューターそれ自体にさしたる意味はなかったが、コンピューター同士をつなげることが、大きな変化だった。

ユニックスのコマンドを打ち込んで使うような代物で、300ボー(の音響カプラーの変調速度)で、一般の人たちには、まだ敷居が高かったが。

それでも、「ウェル」で目にしたのは、人々が互いに語り合い書き込むことの、とても力強いパワーだ。

そして、オンラインのソーシャルな側面も、この時からすでに起きていた。炎上、荒し、匿名の問題。それらすべてが、「ウェル」スタートから半年のうちに起こった出来事だ。

1984年の雑誌「ニューエイジ・ジャーナル」に「ネットワーク・ネイションの誕生」という記事を書いた。「ウェル」立ち上げ前のことだ。

電子掲示板というシステムを体験し、それをまるで外国を見るような目で記事にした。それは〝ヴァーチャル・コミュニティー〟でありながら、同時に〝リアル〟なコミュニティーでもあった。

その頃から、〝オンライン〟の変化の動きを見て取ることはできたわけだ。

90年代、ウェブの登場で〝オンライン〟はようやくメインストリームになっていく。『ワイアード』が創刊されたのもそのころ。ウェブの時代の到来だ。

ただ、奇妙なことが起きた。80年代は『ホールアース』で、90年代は『ワイアード』で、私は編集者として同じ読者層に向けて、同じストーリーを伝えていた。

80年代は4万から5万部規模の読者だったが、90年代、読者は10倍ほどになっていた。そして、新たな読者たちは後になってこう言ったんだ。「(93年の)創刊当時の『ワイアード』はインターネットの登場を見逃した」と。

何を言っているんだ(笑い)。

私は10年も前からインターネットについて語りつくして、もううんざりしていたというのに。私にとっては、インターネットは昔のニュースで、10年間でそれほどの変化もなかった。当時は携帯電話ハッキングとか、もっと別のテーマに関心が移っていた。

●ウェブの登場による変化

ただ、創刊翌年の(ネットスケープのブラウザによる)ウェブの登場は大変化だった。私が10年間言い続けてきた文化の変化に、突然みんなが興味を示すようにようになったんだ。

それまでは緑色の文字だけがずらずらとならぶ画面だった。それが、ウェブの〝ページ〟を目にした途端、みんなが「ワォ」と。

ウェブ登場の最初の年、当時、〝ウェブの未来〟をどう占っていたか?

大体が間違っていた。そのひとつがテレビをイメージした〝チャンネル〟という発想だ。4大ネットワークやケーブルテレビどころか、ペットチャンネルとかサーフィンチャンネルとか、5000もの〝チャンネル〟がウェブに現れるだろうと

ところが〝チャンネル〟という発想が間違いだった。これはウェブだ。特定の企業が〝チャンネル〟にコンテンツを流し込むのとは違う。コンテンツをつくるのはユーザーだ。

そしてユーチューブの登場だ。ユーザーがつくったビデオが集まり、それがユーザーの視聴の主流になっていった。この流れは、ウェブ登場の当初には見逃していた。

このせめぎ合いは『ワイアード』にもあった。最初期のオンラインマガジン『ホットワイアード』を巡ってだ。

完全にユーザー作成型コンテンツ(UGC)にするのか、編集の手を加えたキュレーション型にするのか。大変な議論があった。

『ホットワイアード』初代編集長の友人ハワード・ラインゴールドは完全な〝ボトムアップ〟派だった。私は編集の手の入った〝ハイブリッド〟派だったな。

(2014年10月12日「新聞紙学的」より転載)

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