今月7日、石川県志賀町にある3つの発電所(志賀原子力発電所(北陸電力)、志賀太陽光発電所(同)、福浦風力発電所(日本海発電))を訪れた。発電能力はそれぞれ次の通り。
◎志賀原子力発電所:1,898,000kW
◎志賀太陽光発電所: 1,000kW
◎福浦風力発電所 : 21,600kW
志賀町は、これら国産・準国産エネルギーの電源を持つ、まさに『電力城下町』である。言うまでもなく、原子力は、再生可能エネルギー(自然エネルギー)である風力や太陽光に比べて、桁違いのパワーを持っている。本稿では、この志賀原発の現状と今後の展望について考察していく。
日本は今、"脱原発・再エネ推進"という志向の中にいる。2011年3月の東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故による影響だ。政治的にもマスコミ的にも、"原発ゼロ・再エネ100%化を!"という空気が支配的になったことは、私も重々理解できる。だが、それは今すぐには実現できない。再エネ100%化は今の人類の技術では不可能で、大量の蓄電が可能な技術が商業化される時まで待たなければならない。
原発ゼロも今すぐには無理だ。まず、原発の代替となるものがない。高いコストを払い続ければできるとの思い込みが蔓延しているようだが、それは国民生活や産業活動を直撃し、更には日本のエネルギー安全保障を再び脅かす。原発がほぼ全面停止したことで火力発電への依存度が急に高まったため、化石燃料コストが急増し、電気代は震災前に比べて2〜4割も上昇。
多くの老朽火力を半ば強引な再稼働させており、火力保安面で悪しき状態が続いている。LNG(液化天然ガス)を中心とした化石燃料の輸入依存度が過去2度のオイルショック時よりも高止まりのまま。化石燃料消費量の急増により、電力部門のCO2排出量も急増等々、様々な問題が噴出している。
それでも大規模な停電が起こらないため、"原発なくても電気足りてる"との論調がマスコミ紙上でも踊る。しかし、それは甚だ不的確。『高い電気で今は奇跡的に足りているように見えるが、安価で安定的な電気は殆どない』というのが真の姿。こうした事情を信じようとしない人々が多いのは残念なことだ。その代償は今のところ、「震災前より2〜4割高い電気代」だけだが、今後は別の悪影響も可視化してくるだろう。
原発ゼロが今すぐには無理なのには、もう一つ重大な理由がある。廃炉工程に40年程度の時間を要するからだ。原発事業は、計画から竣工まで数十年、運転開始から閉鎖までが40〜60年、その後の廃炉期間が40年程度と、いわば「100年事業」として計画されている。
志賀1号機は1993年に、志賀2号機は06年に運転を開始。稼働期間は、"原則40年、原子力規制委員会が特別に認可した場合には60年"。これは、震災後に規制委が定めた新規制基準。現時点で、1号機は稼働22年目で、2号機は稼働9年目であり、1号機はあと18〜38年、2号機はあと31〜51年、それぞれ稼働の予定。
福島第一原発は被災プラントなので、即廃止することは必然である。だが、それ以外の多くの原発は震災前後で、通常の稼働状態にあった。原発は、安価安定な電力を供給するだけではない。収益の相当部分を、将来必ず訪れる長期間の廃炉プロセスに必要な資金として積み立てておく。これは、日本で原発事業が始まった時から、国会はもちろんのこと、原発を立地する自治体の議会でも、そしてマスコミ各社に対しても、公然のこと。原発は、自分の始末に要する資金を自分で稼ぐ長期事業モデルなのだ。
規制委の"有識者会合"は7月、志賀原発敷地内シーム(亀裂)は"(活断層の)可能性は否定できない"との評価書案を提示。その根拠は、志賀原発を建設する前の87年に掘削された試掘溝(トレンチ)のスケッチ。この古いスケッチや写真を基に1号機が原子炉設置許可を取得したのは88年。
活断層の存在可能性を否定できないとの理由で規制委が設置許可当時の判断を覆そうとするならば、規制委は設置許可当時の判断者たちとの公開討論をすべきであり、それを通じた『判断の可視化』が不可欠だ。規制委の独善的で、かつ、科学的とは到底言えない見解だけで、既設プラントを翻弄するのは、あまりにも非常識である。
原発を正しくやめるためには、円滑な廃炉に向けてヒト・モノ・カネを周到に備えておく必要がある。志賀原発についても、新規制基準に適切な猶予期間を設けるとともに、審査中の発電再開を認めることで、安全投資のための財源をしっかり確保させながら、将来の円滑な廃炉に向けたプロセスへと軌道を回復させていくことが緊要である。