今月3日、原子力規制委員会で活断層を調査する"有識者会合"は、北陸電力の志賀原子力発電所1号機の敷地内シーム(亀裂)を「活断層と解釈するのが合理的」とする評価結果を取りまとめた。
翌4日の報道には、「活断層の疑いが指摘されていた6原発10基の敷地内断層の評価が出そろった。このうち活断層の可能性が指摘されたのは志賀を含めて3原発」などという論調もある。まさか、"これで3勝3敗の痛み分け"だというような政治ゲーム感覚で決めるというのだろうか???
原子力事業は国策民営なのだから、当初計画にはない早い時期の廃炉を強制するならば、諸々の逸失費用について国家賠償とするのが本筋であるが、そうした話は全くなされていない。
安倍政権は、本当にこんなふうに『生け贄』を晒すのだろうか?
この件について、今月6日の産経新聞社説では、「これが刑事事件の捜査なら冤罪発生の図式であると言えないか。」と主張し、「規制委の側には理を尽くした議論を、北陸電力の側には一段と説得力のある調査データの追加を求めたい。思い込みと面目へのこだわりは科学の最大の敵である」と結んでいる。
私は、毎度のように今回も「北陸電力株式会社志賀原子力発電所の敷地内破砕帯の評価について<案>」を全文熟読した。
そこの「Ⅴ.まとめ」には、1号機原子炉建屋下を通る「S1」断層について、原子炉建屋から遠いほうは活断層ではないと断言しているものの、近いほうは「活動性が否定できないと解釈するのがより合理的と考える」と書いてある。しかし、その前段に延々と記載されている「北陸電力の説明」や「有識者の評価」を読んでも、いったい何が「合理的」なのか、さっぱり理解できない。
先の産経新聞社説には、「他の専門家からの意見を求めた昨秋のピア・レビューでは、調査団の見解への疑問も提示されていたのに、3日の議論ではほとんど反映されることなく終わってしまった」とある。
先の評価書に、「ピア・レビュー会合での意見」は記載されていない。これでは「活断層と解釈するのが合理的」とは科学的な合理性よりも、「有識者にとって都合が良い」=「合理的」な評価を求めたのではないかと疑ってしまう。
そもそも「ピア・レビュー」とは、他の原発の調査を担当する専門家らが有識者の評価書について科学的な意見を出し合って検証する場であるが、私は拙稿において原子力規制委の行っているピア・レビューに問題があることを指摘している。
平成25年2月27日、原子力規制委の下部組織である原子力規制庁が原子力規制委に提案し、原子力規制委で了承された「敷地内破砕帯の評価書案に関するピア・レビュー会合について(報告)」と題する文書では、「ピア・レビューの結果については、必要に応じ評価書案に反映する」とされていた。
だが、平成25年3月8日、日本原子力発電の敦賀2号機に係るピア・レビュー会合の時に原子力規制庁が原子力規制委の名を騙って配布した「ピア・レビューの具体的実施方法」と題する文書では、「当該破砕帯の再評価をするものではなく......評価書案をより良いものとすることを目的とする」とされた。
つまり、「評価書案に反映する」としていた方針が原子力規制委で審議されずに「再評価するものでなく」と改ざんされていたのだ。
その後、平成27年2月18日、東北電力の東通1号機に係るピアレビュー会合で配布された「ピア・レビューの具体的実施方法」では、「原子力規制庁」名に修正されたものの、「再評価するものでなく」の記載は変わらなかった。
平成27年3月4日、この問題が原子力規制委の田中委員長の定例会見で記者から指摘された。
○記者:平成25年3月8日のペーパー、敦賀のピアレビューで配られたペーパーが、原子力規制委員会名になっていた。これが、本来ならば規制庁名であるところの手違いであったと、そういう御説明があって、その手違いについて、各委員から、二度とこういうことがないように指示があったというふうな御説明を頂いているのですが、これはやはり一般企業で考えると、普通の社員が勝手に社長の名前を使って代表印を押して対外的に出したような、それぐらい重大な問題だと思うのです。やはり改めてここの手違いについて、規制庁の職員が、規制委員会の名前を使って勝手に文書を出してしまった。この件について、委員長、どういうふうにお考えなのかお聞きしたいと思うのです。
○田中委員長:今、御指摘なようなそんな大げさな話ではなくて、実質的にピアレビュー会合にそのことが影響しているとは、私はそういうふうには判断していません。ですから、ミスも許される範囲と許されない範囲というのがあるのは知っていますけれども、これはそういうミスであったろうということで、特にとりたてて何かあなたがおっしゃるようなことはやるつもりは何もないということです。そもそもピアレビュー会合を開いて、それを受けて有識者がまとめてくる報告書を参考にして適合性審査をするわけですから、そういうプロセスを考えたら、そんなに今、おっしゃるような大げさな話ではないと思います。
平成27年11月20日、志賀1号機のピアレビュー会合では、東通1号機の時と同じ内容の文書(「原子力規制庁」名で「再評価するものでなく」と記載)が配布されている。
すなわち、原子力規制委は最初からピア・レビューで出された他の専門家の意見を反映して評価結果を見直す考えはないということだ。原子力規制委にとって、ピア・レビューは形だけの会合であり、「評価書案をより良いものとする」ものではないということ。では、有識者の誤った判断を誰が検証するのか??
一度決めた方針や結論を変えないのがお役所の文化だと言われるが、本当にそれで良いのか?
先の産経新聞社説で指摘する「思い込みと面目へのこだわり」で「活断層」の結論を導き出し、敦賀2号機や東通1号機に続き、志賀1号機も"活断層アウト"で最終宣告を受ける可能性が濃厚だ。
田中委員長は、先の会見で「大げさな話ではない」と述べているが、独善的な規制運用を早期に改めるべきだ。そして、そうした規制運用の在り方を正させることができるのは、原子力規制委・規制庁の人事権を有する安倍首相しかいない。
原子力規制委が科学的判断をするのが信条ならば、以前の許可当時の科学者・有識者と徹底的に公開討論を行うべきだ。エネルギーコスト・安全保障の視点からも、現行のような原子力規制運用を続けていては、安倍政権のアキレス腱になるだろう。
事故炉でもない限り、原子力発電所は、40~60年をきちんと使い切らないと、後々円滑な安全廃炉が覚束無くなる。
原子力規制委は、新規制基準の適用に対して適切な猶予期間を設定し、稼働しながらの審査へと運用を改善すべきだ。それによって、安全性の維持・向上に必須となる『安全投資資金の確保』をさせていく規制運用に転換していく必要がある。
原子力事業は、ライフサイクル全体での安全確保が不可欠だからだ。