To build may have to be the slow and laborious task of years.
To destroy can be the thoughtless act of a single day.
(築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。
破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。)
英国の首相でありノーベル文学賞受賞者でもあったウィンストン・チャーチルの言葉です。
これほどの知の巨人をトップリーダーとして掲げたはずの英国が何故!?と頭を抱えたBrexit(英国のEU離脱)から4か月半。
米国は遂にドナルド・トランプ候補を次期大統領として選出しました。20世紀の多くの大戦を経て、人類が学びとり築き上げてきた安定や秩序、寛容や節度といったレガシーが音を立てて瓦解する、私にとってはそんな瞬間でした。
勝利宣言でトランプ氏は「米国を再建し、アメリカンドリームを復活させる」と述べたようですが、特定の人種や宗教あるいは女性に対する差別的発言を繰り返し、偏狭なナショナリズムを下品な罵詈雑言をまくし立てて助長する人物が、超大国アメリカを率いる大統領に選ばれたことは、アメリカンドリームというより「アメリカン・ナイトメア」以外の何物でもありません。
自由で多様な米国、民主主義や人権主義に基づく米国は、おそらく今後急速に変容して行くことでしょう。
こうした動きは米英にとどまりません。反グローバリズム、反移民、反エスタブリッシュメントというポピュリズム(大衆迎合主義)の氾濫は、今、西側諸国の至る所で憂慮すべき事態となっています。
来年の欧州では、フランス、オランダ、ドイツで総選挙が行われますが、いずれも反移民、反EUを掲げる極右政権が躍進し第一党をうかがう勢いすら見せています。他にもベルギー、オーストリア、イタリアなどポピュリズム政権の誕生が危惧される国は枚挙に暇がありません。
しかしその背景には、社会のグローバル化による競争の激化、格差の増大、生活の不安定化という事実があります。米国の景気もリーマン危機後から回復局面が続いてはいるものの、収入が増えたのは2割の家計のみ。
上位のたった1%が全米所得の2割弱を独占し、米国内の経済格差は第二次大戦前の水準に逆戻りしています。
ドイツの経済学者マヌエル・フンケ氏の調査結果では、金融危機に襲われた国ではポピュリズム政党や極右政党の得票率が平均3割も増加するそうです。
実際、トランプ氏の経済再生策というのは実に耳に心地の良いものです。金融や環境の規制は取り除き、法人税は大幅に引き下げ、成長率を4%に高める。10年で1兆ドルという史上最大のインフラ投資案も用意され、トランプ勝利とともに関連株は連日の高値更新です。
しかし、こうした処方箋が劇薬であることはいうまでもありません。減税策が功を奏したレーガン政権と政府債務を比較すると、現在その額は20兆ドル弱と当時の20倍に膨張しています。もしトランプ氏の公約通り経済政策が実行されれば、財政悪化で長期金利が8%に急騰すると米国ムーディーズ・アナリティクスは警鐘を鳴らしています。
トランプ氏の経済政策が危機に陥れるのは、米国の財政状況だけはありません。彼が掲げる保護貿易主義は、TPPからの脱退にとどまらず、世界の経済エンジンを止めかねない危険をはらんでいます。
トランプ氏が遊説中に述べていた通り、中国に45%の報復関税を課した場合、中国のGDPは年率3%弱下振れし、一方米国も輸入物価高騰によるインフレのため3年で景気後退に転落すると予測されています。米中という世界経済の二大エンジンが機能不全に陥る危険があるのです。
このように正確なデータに基づいて分析・判断を行えば、トランプ政権の未来が暗澹たるものであることは自明のことであるわけですが、威勢と景気の良い甘言に惑わされ踊らされてしまうほど、今、大衆の心は不満と怒りに席巻されてしまっているということでしょう、
グローバル化による経済格差や移民流入によって日々の生活が危機に瀕している一般庶民の立場や気持ちに立って、各国の政権がもっと現実的で具体的な解決策を迅速に打ち出していかない限り、偏狭なナショナリズムやポピュリズムの進行はもう食い止められないところまで来ています。
一方、日本としてはトランプ政権誕生によるパラダイムシフトを機に、米国追随という外交・安全保障政策を見直す時に来ているとも言えます。
ビジネスマンであるトランプ氏は、高い支出を伴ってまで世界のリーダーという地位に米国があり続けることを望んでいません。
品格や尊敬よりも金銭の多寡に価値を置く人物が米国のトップに就こうとする今は、日米同盟をはじめ安全保障のあり方全般について日本人が主体的に考える良い機会と言えます。
自主防衛や核保有といった好戦派か、あるいは植民地政策の延長の如き米国追随派かという両極端な政策対立には終止符を打ち、今後展開されるであろう世界全体のパラダイムシフトを客観的に俯瞰した上での、現実的な日本の外交・安全保障政策について、国を挙げて議論を深めていくことが急務だと思います。
結びに、もう一つチャーチルの言葉を。
A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty.
(悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。
楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す。)
日頃は何かにつけ悲観主義者の私も、今回の米国大統領選の結果にはさすがに悲観してはいられないと覚悟を決めました。
2016年11月9日は、多様性や人権、寛容や民主主義がエゴイズムや拝金主義に敗北した日ではなく、そうした人間的価値を守っていくための闘いの狼煙(のろし)が上がった日であると認識しています。
すべての試練をチャンスととらえ、自分たちが大切であると思う価値観を守るため、決して諦めることなく挫けることなく命が尽きるその日まで、自分なりの闘いを続けていきたいと思います。