時空を超えて初詣 ~春日大社から石上神宮へ~

何気なく新年同日に参詣した春日大社と石上神宮が、実は神代の因縁でしっかりと繋がっていたことに深く驚嘆しました。

関東では松の内も終わりましたが、新年最初のご挨拶ということで、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

お正月は例年通り、伊勢神宮をはじめ関西の縁ある神社仏閣を初詣で巡ってまいりました。今回は昨年11月に60回目の「式年造替(しきねんぞうたい)」を終えたばかりの春日大社にも伺うべく、大晦日から奈良に宿泊。

式年造替とは、20年に一度、御殿の建て替えと御神宝の新調を行うことで、伊勢神宮の「遷宮」のようにお社の場所を移しての新築はしませんが、神様に一旦仮の住まいにお遷りいただき、きれいに修築した本殿に再びお戻りいただく行事です。

奈良時代、藤原氏によって平城京守護のため創建された春日大社ですが、その御祭神は不思議なことに遠方から招かれています。鹿島神宮(茨城県)から武甕槌命(たけみかづちのみこと)、香取神社から経津主命(ふつぬしのみこと)、さらに枚岡神社(大阪府)から天児屋根命(あまのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)という四柱。

それ以外にも、御笠山周辺にたびたび光物が出現したり、一夜にして9メートルもの大穴が本殿前に空いたり、神殿に「金花銀花」が咲いたりと、春日大社を巡る史料には様々な不思議な出来事が数多(あまた)記されています。

大晦日、近鉄奈良駅に到着しホテルに荷物を置く間ももどかしく春日大社に足を運ぶと、2016年のNHK「ゆく年くる年」がこちらの本殿前から放送されるため中継車がスタンバイを始めていました。

時を経た石灯籠とのコントランスが鮮やかな真新しい二之鳥居をくぐると、今しがた鳥居下にある祓戸神社で行われた年越大祓式(おおはらえしき)で撒かれた、花吹雪のような和紙と檜の皮があたり一面に散り敷いています。新たな年をお迎えするため清められたばかりの長い石段を上り詰めると、左手に御本殿が現れます。

優美なカーブの檜皮葺屋根も軽やかな南門の朱色が目に胸に沁み入ります。御本殿に使用されるのは「本朱」100%。水銀朱を使った貴重な本朱だけで仕上げられるのは、春日大社だけだそうです。ちなみに、この南門前の小さな囲いの中には御神石が鎮座されています。この石は、太古の昔に神様が降臨される憑代として祀られた「磐座(いわくら)」、あるいは赤童子(春日若宮御祭神)がここから現れたと言われる「出現石」などとも伝えられ諸説あるようですが、清々とした生命力を放つ美しい石でありました。

南門から回廊が四方にめぐらされた本殿境内に足を踏み入れると、御本殿では一年の締めくくりのお祀り「除夜祭」が催行されているため、幣殿より先は通行止め。風に乗って時折、そこはかとなく聞こえて来る管絃の音に耳をそばだてていると、やがて式典を終えられた神官の方々と春日大社のシンボルである藤花を掲げた巫女さんが御神火を先頭に登場、境内を抜け南門から退場されて行きました。

年越し浄めの御神火を有り難く目に焼き付け御本殿を出た後は、水谷神社など春日の各社をお詣りしながら若草山へ。

夕陽に照らされて金色に輝く若草山は、夫が思わず「エアーズロックだ!」とつぶやいた通り、どこかこの世離れしていて、異次元に迷い込んだような不思議な錯覚に襲われました。そこで出会った神鹿くんとの写真も...

なぜか輪郭含めボケボケになってしまいました。

西の空を染め上げた夕焼けにたなびく豊旗雲の美しさも神がかっており、「リオで金、甲子園でも金」となった激動の2016年は、「若草山でも金」で幕を閉じました。

翌朝、元旦は朝一番で伊勢神宮へ。

昨晩の紅白歌合戦に審査員として作新学院卒の萩野公介選手が出演し、引き続いての「ゆく年、くる年」は春日大社からということで、深夜まで家族揃ってテレビの前に釘付けだったため、皆やや寝不足気味。

ちなみにここ数年初詣で宿泊しているこのホテル、いつも驚くほど寝つきがよく(ベッドに横になったと同時に記憶がなくなります)、部屋の中での時間の流れがわずかながら遅い気がします。低い塀一つで興福寺に隣接しているため、客室のテラスから臨む景色は興福寺境内そのもの。そう言えば、興福寺の地下には龍宮があって、そこにつながる穴が開いたという記事が史料に散見されるなど、龍にまつわる伝説が多いそうです。

いずれにしても八十の齢を超えた両親と元気に新年を迎えられ、今年もまた一緒にお伊勢さんへ初詣に伺えるとは、ただただ感謝の一言しかありません。

翌2日は、春日大社へあらためて初詣の後、ここ数年新年に伺っている石上(いそのかみ)神宮へ。大和盆地の中央東寄り、龍王山の西の麓にある布留山に鎮座する石上神宮は、第10代崇神天皇の御世に創祀され日本最古の神社とも言われています。事実『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけです。

実はこの神社には、ブログ冒頭の画像のような御神鶏が放し飼いになっていることもあり、酉年を迎えた初詣客は例年とは比較にならないほど。手水には長蛇の列ができ、神宮周辺には厳しい交通規制が引かれていました。

石上神宮には、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の三柱の御祭神がお祀りされています。

布都御魂大神とは、神武天皇が東征の際に熊野で賊の毒気にあてられ軍が壊滅しかかった時に、天照大神が武甕槌神と相談してもたらされた霊剣・布都御魂剣に宿る神とのこと。元々、布都御魂剣とは武甕槌神・経津主神二神による葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際に使われた剣であり、この武甕槌命と経津主命の二柱の神こそ、春日大社の御祭神であります。

何気なく新年同日に参詣した春日大社と石上神宮が、実は神代の因縁でしっかりと繋がっていたことに深く驚嘆しました。

石上神宮は物部氏の氏社とされ、その昔、物部氏の遠祖である神が高天原より降りられる際、天津神から十種の神宝を授けられ、その御神宝は「亡くなった人をも蘇らす」霊力を秘めていたと言われています。この御神宝に宿る神が布留御魂大神であるため、石上神宮は「起死回生」の神として信じられています。

石上神宮参詣の後は、聖徳太子誕生の地に立つ明日香・橘寺へ。寺院は聖徳太子建立七大寺の一つとされ、実はここを訪れた6年前の夏から甲子園での連勝が始まり、昨年夏、遂に全国優勝へ至りましたのでその御礼参りに伺いました。

石上神宮から明日香までの沿道、まるで道祖神の如き気安さで数多くの前方後円墳を目にしました。画像は、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳(宮内庁からは第7代孝霊天皇皇女の墓所とされている)です。

神と人との境界などやすやすと凌駕してしまえる、いにしえの時空にタイムスリップしたかのような初詣の旅でありました。

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