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2018年09月30日 18時28分 JST | 更新 2018年09月30日 22時54分 JST

朝ドラ「半分、青い。」が描いたもの。 生きてることの残忍さとラブ

蒔いた種が全部咲くわけじゃない、それが人生。

NHK公式サイト

NHK朝の連続テレビ小説「半分、青い。」が9月29日をもって終了した。ヒロインを演じた永野芽郁さんの圧倒的演技力、ジェットコースターのようなアップテンポの展開、脚本家である北川悦吏子さんのネタバレすれすれのツイートや神回予告などが話題になった。

番組が終了し、Twitterなどでは半年間を総括するコメントが溢れている。目立っているのが「脚本が雑すぎる」という声だ。番組終盤に浮上したヒロインの娘のいじめ問題などをはじめ、作品中で描かれた多くのいざこざが「解決されていない」ことへの指摘が散見される。

しかし、それは本当に「雑」と呼べるのだろうか。

蒔いた種が全部咲くわけじゃない

平成の大ヒットドラマ「ロングバケーション」「ビューティフルライフ」などを手がけ、トレンディドラマの巨匠として知られる北川さんが手がけたこのドラマ。毎朝15分、その一回一回が渾身のパッケージになっていたように思う。

確かに、かなりドキドキな展開で翌日に続いていくかと思いきや、いざ翌朝になってみればあっさりと次の展開に走り始めるということが何度もあった。「なんやねん!」と思った瞬間は数えればキリがない。

そうして積み上がったヒロイン・鈴愛(すずめ)の、スライス・オブ・ライフ(人生のひとひら)。

ほっこりしているように見えて、そうではない。「伏線なんて回収されませんよ、蒔いた種が全部咲くわけじゃない、それが人生じゃないですか」。何だかそんな風に突きつけられた気がする。

陳腐な運命論なんて、リアルじゃない。

当たり障りのない男女観も死生観もなければ、安心して見ていられる起承転結もないのが「半分、青い。」だ。鈴愛の恋愛にもそれが表れている。

鈴愛と幼なじみの律(佐藤健)は、付かず離れずの関係で40年近く、お互いに好意を持ちながらも決定的な「恋愛関係」にならないまま人生を送っていた。

何度かそうなりかけ、その度に視聴者は色めきたち、裏切られたのだった。

そして最後の数週間。アラフォーのふたりが一緒に事業を立ち上げるパートで、ようやく運命の相手と結ばれるハッピーエンドに向かっていくのかな...という期待が高まった。ハグもした。キスもした。最終回では、ふたりが男女としてともに生きていく意思表示をした。

ヒロインとその相手役ーー。終わってみれば「結局、運命の相手だったのね」という風にも思える。だけどこれは、単純に運命の相手とすんなり結ばれ、末永く幸せに暮らしました、という物語ではない。

鈴愛は確かに、30代の一時期、涼次(間宮祥太朗)という別の男性を愛していたのだ。涼次との間に、娘も授かった。

涼次と結ばれるシーンは、物語の大きな山場のひとつだ。

伏線は高校時代の鈴愛と律の会話にあった。(ここは伏線が伏線として機能していた!)片方の耳が聞こえない鈴愛が、雨の日に傘をさし、自分は片側しか雨が降らないのだということを律に伝えると、律は「右だけくらいがちょうどよい」と鈴愛を励ます。

そんな遠い日の律との会話を受けての、涼次のプロポーズ。彼は土砂降りの夜、鈴愛から傘を奪い「僕と一緒に雨に打たれませんか?」と誘った。濡れてしまえば耳が聞こえようが聞こえまいが同じじゃないか、いうメッセージ。

まぎれもなく、涼次が律を超えた瞬間だった。あの時は、確かにそうだった。

痛いほどのリアリティ、それが生活だ。

律と生まれて、律と育ち、律の結婚を祝福できない自分に気付いたりしながら、涼次と出会い、涼次を愛し、結婚して別れ、やっぱり律だったと気付き、律と生きていく...。

痛いほど、リアリティのあるストーリー展開だ。

律は鈴愛の運命の相手なのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。いずれにせよ、生まれた時からずっと運命付けられた男性を、人生をかけて一途に思う物語なんて、何だか陳腐だし、現実感がない。ちゃっかり他の男を愛するし、そのことをまた忘れてしまったりもするのが、いい。

100%ピュアな愛も、運命付けられた人生もこの世の中にはないのだから。あるのは混じり気のあるザラついた事実の連続と、それを「運命」と感じたい人間の想像力だけ。私もまた、見たい物語を見ようとする視聴者の一人だったと、今、気付かされる。

雑なのではなく、チャレンジの爪痕なのでは?

「半分、青い。」というタイトルは、北川さん自身が片耳を失聴した時に思いついたのだという。結果として、片耳が聞こえないヒロインとして描かれた鈴愛。まさに脚本家がヒロインに自分を投影していることを象徴するタイトルだった。

しかしそれだけではない。私には北川さんが、半分ぐらいは期待されている通りにやるけど、半分くらいは挑戦をやめない青くさい自分でいさせて、と願いを込めたように思えてしまう。

国が指定する難病を患っている北川さんは、本作執筆中も2度の入院を繰り返した。あえて回収されない伏線も、叩かれても叩かれても続ける神回予告ツイートも、全てはチャレンジの爪痕。走るのやめたら死ぬ!、そんな疾走感が迫ってくる。これもまた、生きてることの生々しさを私に伝えた。

何はともあれ、半年間、ツッコミどころ満載だった「半分、青い。」。

「雑」とも呼ばれたストーリー展開は、整合性なんてちっともない中で、七転八倒しながら毎日を生きる、私たちの生活を体現していた。

人生とはいかにも残酷で、だから続けていられるのだと思う。

さて明日から、私たちは新しいヒロインと新しい物語を手に入れる。多分きっと、すぐに鈴愛を忘れる。こうやって進んでいくのだ、明日も、明後日も。