今、パレスチナの若者が求めているものは

それは特別なものではなく、人間なら誰もが望むものだ。
A Palestinian student from Palestine Polytechnic University sits during a protest against Israel near the Jewish settlement of Beit Hagai, at the southern entrance to the occupied West Bank city of Hebron, on October 18,2015. Israel on Sunday rejected a proposal to send international observers to a flashpoint holy site in a bid to calm more than two weeks of unrest after five more stabbing incidents defied a security crackdown. AFP PHOTO/HAZEM BADER (Photo credit should read HAZEM BADER/AFP/Getty Images)
A Palestinian student from Palestine Polytechnic University sits during a protest against Israel near the Jewish settlement of Beit Hagai, at the southern entrance to the occupied West Bank city of Hebron, on October 18,2015. Israel on Sunday rejected a proposal to send international observers to a flashpoint holy site in a bid to calm more than two weeks of unrest after five more stabbing incidents defied a security crackdown. AFP PHOTO/HAZEM BADER (Photo credit should read HAZEM BADER/AFP/Getty Images)
HAZEM BADER via Getty Images

金曜の朝、東エルサレムのパレスチナ人居住区は検問所によって隔離され、封鎖されている。検問所は巨大なコンクリートの塊で、イスラエル兵が監視している。

一方、テルアビブの金曜日はもっと週末らしい。イスラエル人たちは、歩道のカフェに座ったり、ゆっくりと朝食をとったり、ビーチに向かったり、シュクと呼ばれる青空マーケットに出かけたりして、路上は活気にあふれている。私も安息日の前には同じように出かけて用事を済ませる。

しかし、テルアビブを自由に動き回りながら、東エルサレムが頭を離れることはない。最近、ユダヤ系イスラエル人を攻撃した、あるいは攻撃しようとした者の大部分は、東エルサレムのパレスチナ人居住区の出身だ。ジャーナリストやコメンテーターの中には、現在の混乱、民衆の抵抗運動(インティファーダ)の震源が、この地区だと言う人もいる。

私は東エルサレムをよく知っている。ジャーナリストとして、住居不足やイスラエルの政策がもたらした不平等について書いてきた。それに分離壁の向こう側のアブ・ディスにあるパレスチナの大学で教えたこともあるし、住んでいたこともある。

学生達が望んだのは、国籍にかかわらず人間であれば誰もが望むようなものだった。

しかし今、東エルサレムについて考える時、自分自身のことよりも東エルサレムやヨルダン川西岸から来ていたかつての教え子たちについて考えることが多い。17〜19歳で大学1年生だった彼らは、私がアメリカで教えた大学生とそう違わなかった。熱心に努力し学業に励む者もいれば、準備せず講義に出席して言い訳ばかりする者もいた。全員が成績を気にしていた。

簡単に言えば、彼らは普通の人生を望む普通の子供たちだった。

学生たちは、イスラエルの検問所を通ることなく通学したがっていた。父親や兄弟が行政拘禁(裁判をしないまま拘禁されること)されておらず、家族全員がそろった家に帰りたがっていた。兵士が自分の家に踏み込んで来て、家中をひっくり返したり、屋上に陣取ったりすることを恐れずに夜通し眠りたいと願っていた。こういった出来事は、多くの学生たちのエッセーの題材だった。

彼らは弟や妹が学校に行けるよう願っていたが、東エルサレムでは必ずしもかなう願いではない。ヨルダン川西岸地区の出身者たちは、許可証なしでエルサレムを訪問できればいいのにと思っていた。東エルサレムに住んでいた者たちは、ゴミがきちんと収集され、警察が法秩序を守るために働き、安全で、インフラが整っていて、家の建築や増築許可がきちんと下りる街になることを夢見ていた。住んでいる家が破壊されることのない街だ。

今起こっている殺傷事件は、彼らの自暴自棄と絶望の叫びであり、不要な流血以外にもたらすものはない。

学生たちは全員卒業して人並みの職業を見つけることを望んでいた。しかしそれは東エルサレムでもヨルダン川西岸でもますます難しくなっていた。イスラエルの占領で経済開発が後退した両地域では、失業が蔓延している。学生たちはいつの日か結婚し、自分の家族を持ちたいと願っていた。

彼らが望んだのは、国籍にかかわらず人間であれば誰もが望むようなものだった。

パレスチナ自治政府が一部で主導権を握るヨルダン川西岸地区でも、パレスチナ自治政府がなくイスラエルがアラブ系住民に対する義務を果たしていない東エルサレムでも、学生たちはパレスチナ自治政府の指導者が助けてくれるとは考えていなかった。

イスラエル人6人が死亡し、100人以上のパレスチナ人が犠牲になった2012年の「防衛の柱作戦」が起きた時、学生たちはタウンホールミーティングを開いて、作戦やイスラエルのガザ空爆に抗議する方法について話し合った。彼らはパレスチナの政党に対する不満を公に表現しており、それにはパレスチナ自治政府を率いる政党ファタハも含まれていた。彼らが求めていたのはパレスチナ解放人民戦線のような、ほとんど機能していない政党の復活ではなく、全く新しい何かを一から作り上げることだった。

今、抗議活動や殺傷事件が起こっているが、殺傷事件は彼らの自暴自棄と絶望の叫びであり、不要な流血以外にもたらすものはない。

これを宗教戦争と言う者や、アッバース大統領の言葉を扇動的だと言う者は勘違いしている。

外国人アナリストの中には、最近の出来事をアル・アクサ(2000年に起きたパレスチナ人の抵抗運動)に結びつけたり、これは第三のインティファーダであると主張する者もいる。しかし、いずれも的外れだ。

確かに、アル・アクサでのイスラエルの挑発的な行動は語り継がれるほど有名だ。しかし紛争の火種は、占領と様々な形の暴力だ。イスラエル人による文字通りの暴力や構造的な暴力を、パレスチナ人は日々経験している。アル・アクサの舞台となったアル・アクサモスクはイスラエルの占領地域にあるため、宗教上、政治上両方のシンボルになっている。

これを宗教戦争と言う者や、アッバース大統領の言葉を扇動的だと言う者は勘違いしている。アッバース大統領は、2009年に任期が満了し、一般的にパレスチナでは大統領としての正当性はほとんどない。彼は再び支持率を上げようとして、最近の出来事で存在感をアピールしているのだ。

しかし、抗議行動に参加しイスラエル人を攻撃しているパレスチナの若者は、アッバース大統領や他の政治家の発言をほとんど気にかけていない。現にパレスチナの若者の行動は、パレスチナ自治政府も含む現在の政治に抗議する動きとも受け止められる。

若者たちは新しいものを求めている。イスラエルが入植地の建設を拡大し、占領した地域を自分のものにするための時間稼ぎにしかならない、無意味で終わりのない交渉以上のものだ。

彼らは、1993年のオスロ合意以降に生まれ育った世代だ。これまでの厳しい人生から、交渉によってパレスチナ人が得られるものは何もないとよく知っている。

パレスチナ人の若者たちが求めているのは、人権・公民権、平等、希望だ。イスラエルは、世界は、彼らに耳を傾けるだろうか?

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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