shinsaiiko
銀座、浅草、上野、日本橋も…
「震災で起こったことを、ここに人がいたことを忘れてはいけないと思うんです」
遺族や住民からは「後世に教訓を伝えるために保存すべきだ」という意見と「見るのがつらい」として解体を求める意見が出ていた。
文章や文字だけではなく、「もの」があると強いんです。
東日本大震災から5年にあたり、どんな記事を出すかという会議で、編集部員から出たのは「被災地にとって、5年という数字に大きな意味はないですよね」という言葉だった。
保存か解体かを超え、議論の場の継続を求める声が相次いだ。
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の防災対策庁舎が、震災から20年後にあたる2031年まで保存される見込みとなった
東日本大震災の津波で43人が犠牲になり鉄骨だけが残った、宮城県南三陸町の防災対策庁舎が、震災遺構として保存されることになった。佐藤町長が6月にも正式に表明する。
南三陸町の防災対策庁舎をめぐり「保存」か「解体」かで、町が真っ二つに割れている。「被害を伝えるために震災遺構として残すべきだ」という声もあれば、「震災を思い出してしまう」という声もある。津波被害のシンボルをどうすべきか、人口1万4000人の町が揺れている現場を追った。
東日本大震災の津波で児童ら84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の被災校舎について、地元住民が市に震災遺構として保存を求めていく見通しとなった。