特捜幹部の独善と日航機御巣鷹山事故

特捜検察の「政界捜査での暴走」と「司法メディアとの歪んだ関係」を描いたWOWOW連続ドラマW「トクソウ」が、明日6月8日日曜日午後10時からの放送で最終回を迎える。このドラマの放映を記念して、原作者(【「司法記者」講談社文庫】)でドラマ脚本監修者でもある私と田原総一朗氏とで対談【田原総一朗×郷原信郎【第1回】「特捜部は正義の味方」の原点となった「造船疑獄事件の指揮権発動」は検察側の策略だった!】を行い、現代ビジネスのサイトに掲載されている。

特捜検察の「政界捜査での暴走」と「司法メディアとの歪んだ関係」を描いたWOWOW連続ドラマW「トクソウ」が、明日6月8日日曜日午後10時からの放送で最終回を迎える。

このドラマの放映を記念して、原作者(【「司法記者」講談社文庫】)でドラマ脚本監修者でもある私と田原総一朗氏とで対談【田原総一朗×郷原信郎【第1回】「特捜部は正義の味方」の原点となった「造船疑獄事件の指揮権発動」は検察側の策略だった!】を行い、現代ビジネスのサイトに掲載されている。

ちょうど同じ時期、同じ現代ビジネスのサイトに、【三匹のおっさん記者、東京地検特捜部を語る】という対談記事が掲載されている。東京新聞の村串栄一氏、朝日新聞の村山治氏、NHKの小俣一平氏、いずれも、この小説、ドラマに描かれている世界を代表する司法記者だ。

大阪地検の郵便不正事件や陸山会事件をめぐる不祥事で、既に「日本最強の捜査機関」の看板も地に堕ちてしまった感のある「特捜検察」の昔を懐かしむ話の中で、特捜部長と司法記者との歪んだ関係を象徴する興味深いエピソードが出てくる。

小俣 私が印象深く覚えているのが、’85年の8月13日だったと思いますが、当時の特捜部長だった山口悠介さんに誘われた山登りです。

村串 ああ、行ったなあ。谷川岳だっけ。

小俣 そうです。山登りが好きだった山口さんは、記者を誘って時々山登りツアーをやっていた。司法記者クラブに加盟している全社が参加したと思います。

村山 前日の8月12日は、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落した日です。(中略)

村串 ああいう大きな事故が起こると、社会部の記者は総出で取材に当たるわけだけど、原則、司法記者クラブは温存されるんだよね。裁判所や検察の動きを見ておくことが何にもまして大事だということで。

小俣 私は「こんなときに山登りなんかしていていいのかな」と思って、上司に相談したんです。そうしたら「司法クラブは事故取材に回らなくていい。お前たちにとって重要なのは特捜部の動きをウォッチすること。特捜部長が行くところにはどこにでもついていけ。」と言われました。もちろん、山登りのすぐ後に現地入りしましたけど。

村串 ただ、山登りについていったからといって、特捜部長が水面下で捜査を進めている事件について話すわけでもないんだよな。

小俣 あの頃はたしかリッカー事件がいつ弾けるか、という時期でした。それに関する情報を山口さんがポロッとこぼすのではないかと期待していたわけです。

御巣鷹山の日航機墜落事故という、犠牲者500人を超える航空機事故史上最悪の事故が発生した翌日、新聞、テレビ局各社は、社会部のみならずあらゆる部署から記者を動員し、総力を挙げて事故取材に取り組んでいた。そんな時に、司法記者クラブの記者達だけは、特捜部長との「お付き合い」で山登りに出かけていたのだ。

ここに登場する当時の特捜部長の山口悠介氏は、私が検事任官6年目の1989年、東京地検で司法修習生の指導係検事を務めていた頃の東京地検次席検事であった。次席検事室に修習生を集めて開かれていた酒盛りで、「山登り」の話もしばしば出ていた。検察が「正義の頂点」であることに些かの疑問も持っていないタイプの人物であった。

山口氏は、その後、東京地検次席検事から、御巣鷹山日航機事故の業務上過失致死事件を担当する前橋地検の検事正に異動し、事故から約6年後の91年7月、不起訴処分を行い、検事正として「不起訴理由説明会」を行った。そこで、彼は、事故の遺族と自ら向き合うことになった。

被災者家族の会「8・12連絡会」の「90・7・17前橋地検――8・12連絡会『日航機事故不起訴理由説明会概要』」によると、山口検事正は、この説明会の冒頭で、次のような発言をした(大野達三「日本の検察」(新日本出版社:1992))。

「私は検察庁での大ベテランと言われている。ロッキード事件の時、日本では刑事免責制度はないが、免責をし、嘱託尋問をして、田中角栄を逮捕した。大企業の脱税事件、リクルート、三越事件、リッカ―ミシン、平和相互銀行その他大きな事件には全て関与し、年間逮捕者(72人)ナンバーワンの実力がある。今回この実力がかわれて、昨年9月、日航機事件の捜査をすることになった。…」「飛行機に乗る人が多すぎるという現状。検察審査会の人が言っていたが、一人交通事故でなくなっても起訴されるのに、なぜ520人もなくなっているのに起訴しないのはおかしいと言いだした。皆そうおもっていた。しかし飛行機は墜落すればだいだい死ぬ。520人も乗っていたから死んだんで、一人しか乗っていなかったら、一人しかしななかった。なんで520人ものたくさんの人が乗っていたのか。…」

この無神経極まりない発言で、山口検事正は、遺族からの怒りと激しい反撃にさらされ、説明会は5時間に及んだという。

その後、山口氏は、札幌高検検事長に昇進したが、覚せい剤常用者の女性と、検察庁の忘年旅行会の際に知り合い、同女性が覚せい剤事件で逮捕・起訴された後も密会を続けたとの女性スキャンダルが週刊誌で報じられ、国会でも、「最高検の綱紀粛正に関する質問主意書」が出されて追及されたことで96年に検事長を辞職し、99年に世を去った。

山口氏のスキャンダルのきっかけとなった東京地検各部の忘年旅行会には、当時、私も何回か参加したことがある。この旅行会は、特捜部、公安部、刑事部、公判部などの各部が、毎月各部所属の検事の給与から天引きして積み立てている会費で開催していた。検事正、次席検事を招待し、いずれかが参加するのが恒例になっていた。旅行会は、部内の懇親の場というより、部長等の幹部にとっては、検事正・次席検事を接待する場、ヒラ検事にとっては、検事正・次席検事に顔を覚えてもらう場であり、各部にとっての一大行事であった。忘年会にはコンパニオンが呼ばれ、翌日は、必ずゴルフコンペが開催されていた。

「ロッキード事件の鬼」で有名な、当時の吉永祐介検事正が参加するゴルフコンペでは、優勝者は、決まって検事正だった。吉永氏がゴルフの達人だったわけではない。参加者が気を遣い、必ず検事正が優勝し、優勝賞品を持って帰ってもらうように「調整」するのだ。午後のラウンドに入ると、第一組でプレーする検事正のスコアの情報が他の組に伝えられる。ゴルフの上手い副検事など、バンカーの中で「あっ」などと言いながら、何回か空振りをしていた。

検察、特に特捜という組織の中にいると、常に司法記者達に囲まれて情報をねだられ、部下からも崇め奉られているうちに、それが当然のような意識になっていく。

史上最悪の航空機事故の翌日であっても、司法記者達は、特捜部長の山登りに金魚の糞のように着き従っていた。事故の遺族の前で、「なんで520人ものたくさんの人が乗っていたのか」というようなことを平然と言ってのけられる神経は、そうした特捜幹部と司法記者の異常な関係の中で作られていくのである。

WOWOWドラマ「トクソウ」では、見込み違いがわかっても引き返そうとしない「政界捜査の暴走」を主導する特捜部副部長鬼塚剛を三浦友和氏が演じている。こうした「正義の怪物」は、特捜幹部と司法記者との異常な関係の中から生み出されていくのである。

(2014年6月7日「郷原信郎が斬る」より転載)

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