「車座集会の傾聴」で印象に刻み、「気づき」を政策に結実させるには

小さな「気づき・着想」が、やがて地域コミュニティの「課題」ときり結び、さらに横断的に展開すると、住民にとっても目に見える変化が生じていきます。
Electric light bulbs, computer illustration.
Electric light bulbs, computer illustration.
KTSDESIGN/SCIENCE PHOTO LIBRARY via Getty Images

「気づき」や「着想」について考えてみたいと思います。一番初めの発端となる「きっかけ」や、よく探さないと見つからない「小さな入口」がなければ、物語は始まりません。私自身の体験をふりかえると、「気づき」や「着想」の前段階には、「課題」をとらえること、「印象」を脳裏に刻むことが位置しているように思います。

世田谷区長としての仕事に即して、いくつかの実例をあげてみます。就任直後に「車座集会」という住民との対話の場を地区ごとに27カ所積み重ねていきました。地域住民がふだんから考えていることを、テーマを絞らずに耳を傾ける機会として続けました。1カ所で平均20人近くの発言があります。一巡すると約500人の生の声を聞くということになります。

就任直後の傾聴活動は、フラットな状態で行ないました。この中で、いくつもの会場で飛び出した発言は、「何かをしようにも、活動の場がなくて困っている」「区民集会施設もすぐに予約で一杯になり、途方にくれることがある」というものでした。世田谷区は区民の趣味や健康サークルや市民活動等が活発で、40年ほど前に集会施設が次々とつくられました。ところが、人口増と時代の変化と共に、思うように「活動場所」がないということが「課題」になっているのだと強く意識しました。

一方で、東日本大震災直後に、東京電力・福島第一原発事故から逃れて福島県から世田谷区内に避難されてきた世帯が多くなり、さらに希望者がいるというお話が、私のところに持ち込まれていました。当時、地域のお祭り会場で挨拶すると、高齢の女性が私に話しかけてきました。「区長、私が持っている空き家を被災者の方に無償で提供したいんですが、どうしたらいいでしょうか」とのことでした。似たようなお話は、他にもありました。

そこで、私は区の広報紙に「被災地で力仕事をするだけがボランティアではありません。今、被災者の中で区内に仮住居を求めて避難したいという方たちがいます。区営住宅・都営住宅はすでに避難者を受け入れていて、空きがありません。区内のご自分の不動産物件を、低廉な家賃で提供いただけないでしょうか。これは、居ながらボランティアです」と書きました。すると200件の問い合わせがあり、うち100件が登録されて、90世帯が入居することができました。

この経験から、「社会的に有用な目的であれば、不動産物件を格安で提供してもいいと考えているオーナーがいる」という事実を確認できました。そして、私の頭の中で、この点を「印象に刻んだ」でいたことと、「活動場所がありません」という車座集会での声が交叉しました。

もうひとつ、私は散歩やまち歩きが好きで、同じ所に行くのも違う道を通って、地図を見ないで歩くのが趣味のひとつです。すると、草木で荒れ放題になっている空き家も目につきました。また、少し手を入れれば使えそうな空き家が相当にあることも知りました。

そんな折りに「空き家フェチと呼ばれている若者がいる」と聞いて、その若者に会ってみると、不動産業界で働いて新築マンションを売る仕事をしながら、休日になると世田谷のまち中を歩いて、改修して住むことの出来る古い「空き家」を探すのが趣味で、現在も歩いて見つけた「空き家」のオーナーに頼み込んで、日々改修しながら住んでいるとのことでした。「これは面白い」と思い、「空き家研究会」を連続して開催しました。

この空き家研究会には、建築、不動産、デザイン、広告等の30代から40代の人たちや、世田谷区の住宅関係を手がけている人たちも入って、わいわいガヤガヤと2カ月に1回ぐらい続きました。毎回、リノベーションやシェアハウス等の事例発表と、「空き家活用に向けた制度設計」のプレゼンテーションをしてもらい、意見交換を続けました。こうしたミニ勉強会を5~6回やってから、公開シンポジウムを呼びかけると、多くの人たちが集まりました。そこで、「議論だけしていないで、実証的に『空き家活用』をやってみましょう」ということになり、事業モデルの検討が始まりました。

そして、世田谷区の担当課で「空き家活用」の道を拓く具体的検討が始まりました。具体的に「空き家活用」のプランを描き、実行力があり、また社会的効果が認められる団体に、改修経費等の初期費用を助成しようというものです。

今から3年前、2013年10月に「世田谷らしい空き家等の地域貢献型活用モデル事業」が始まりました。公開審査会が行われ、5団体のプレゼンテーションを受けて、3団体を助成対象に決定したのです。世田谷区の外郭団体に一般財団法人世田谷トラストまちづくりがあります。この団体は、もともと、オーナーが自宅を地域開放して自主的な活動をする「地域共生の家」をを広げてきた経験があり、新たに「http://www.setagayatm.or.jp/trust/support/akiya/index.html」を開設し、オーナーと利用者のマッチングを開始しました。

参考→「空き家」を地域コミュニティの交差点に(2014年6月17日)

「気づき・着想」から、「企画立案」にいたる過程をたどってみました。いわば、「空き家活用」というプロジェクトの形成過程です。そして、「活動場所がない」という課題解決は1プロジェクトによって終わるものではありません。行政の各方面の取り組みに「横串」をさしていくように、点から線に、そして面へと転じていく必要があります。

「時間空き家」という言葉があります。世田谷区も多くの公共施設を持っていますが、目的・用途別に管理されています。住民の視点から見れば、「閉まっていて開かない」「空いているのに使えない」ということになります。例えば、午後6時で閉館する施設の夜や、土日に使わない学校等の空間等です。いま、それらの「時間空き家」を、住民の自発的なグループが管理・運営をする仕組みをつくり、多世代が多目的に使うことのできる「活動場所」を格段と増やすことが出来ないかと検討を始めています。

小さな「気づき・着想」が、やがて地域コミュニティの「課題」ときり結び、さらに横断的に展開すると、住民にとっても目に見える変化が生じていきます。この政策形成のメカニズムを分解して、それぞれの分野で生かしてもらいたいと思い、以下の「政策フォーラム」を開催することにしました。

[保坂展人政策フォーラムの呼びかけ]

1996年10月に40歳で政治の世界に一歩を踏み出してから、ちょうど20年となります。ジャーナリストだった私は、その時から浪人期間も含めて14年余、政権与党から野党へと立場を変えながら永田町の政治の激流にもまれ、あらゆる政策にコミットして、行なった国会質問は546回まで記録を刻みました。

そして、2011年4月に世田谷区長に就任してからは答弁席に多く立ち、5年半の間、区長として区の政策を説明する立場に変わりました。これらのいきさつは新著『なぜ脱原発区長は67%の得票率で再選されたのか』(ロッキング・オン)に記されている通りです。

さて、私にとってこの20年間は、「気づき・着想」「企画立案」「政策形成」「展開と実現」の循環を繰り返す日々でした。その蓄積に、他にない特徴や普遍性がどこまであるかは、私自身まだあまり自覚していないのですが、政治生活20年の区切りの年に思い切って分析し整理して応用や転用、活用が可能な形で提示してみたいと思うようになりました。

そこで、来る11月27日から、希望者を募って少人数の「保坂展人政策フォーラム」を開催することにしました。行政で働いている人、市民活動や政策キャンペーンの課題を前にしている人、ジャーナリスト、起業を志す人等、参加者資格や年齢は問いません。政治の場で働いている人や、目指している人も歓迎します。ただ、誤解のないように付言しますと、直接的に「選挙」に役に立つようなことは何ひとつありません。いずれ、日本の政治選択が「政策力」で勝負を決めるようになれば、きっとプラスになると思いますが、そのような時代が来るには、まだ時間がかかります。 新たな未来をともに描いていける仲間に出会えることを、楽しみにしています。

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私は手法として「修復的改革」を心がけています。あるものを生かし、物的及び人的な資源を生かしながら、政策的重心を移動させ、方向性を変えることで刷新するというやり方です。これから、このブログでもいくつか具体例をあげて考えていきたいと思っています。

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