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2018年10月29日 18時22分 JST | 更新 2018年11月01日 13時39分 JST

言語や国籍、性別や性的指向だって長い間揺らいでいた。思索の末、私がたどり着いた「真ん中」の風景

思えば、ほとんどの人間が「何かと何かの真ん中」にいるのではないだろうか。

Punnarong via Getty Images
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 2018年10月1日、私は日本の永住権を手に入れた。デビューからそれまでの約一年半の間、私は恐らく日本文学の中で唯一、日本に永く住むことを許可されていない作家だったのかもしれない(私の作品を「台湾文学」や「移民文学」「世界文学」と呼ぶ人もいて、どれも間違いではないが、なにぶん日本語で書いて「群像新人文学賞」でデビューしたのだから、便宜上「日本文学」と呼んでおく)。

 「日本文学」を書いているのに、日本人ではないし日本語が第一言語でもない、それどころか日本の永住権すら持っていない、そんなどっちつかずの立ち位置に私は置かれていた。どっちつかずの私に、「真ん中」という言葉が相応しいのかもしれない。

 だからこそハフポストの「真ん中の私たち」の企画を見た瞬間、「これは書かなきゃ」という謎の使命感に駆られていた。しかしいざ筆を執ると、そもそも「真ん中」とは何か、ということが分からなくなったような気がした。「真ん中って何?」と私は自分に問いかけた。「自分は本当に真ん中にいるのか?」、と。

 いわゆるハーフ(ダブル)の方々や、父母の祖国とは異なる国で生まれ育った方々は、あるいは「国と国の真ん中」にいると言えるかもしれない。自らを男とも女とも自認せず、いわゆるⅩジェンダーの方々は、「男と女の真ん中」にいると言えるかもしれない。「性欲と無性欲の真ん中」として「デミセクシュアル」というセクシュアリティも存在している(もちろん、どちらも本人が自認すればの話であるが)。

 しかし私はそうではない。両親どちらも生粋の台湾人(それも台湾では多数派に属する閩南人)で、生まれも育ちも台湾だった。子供時代に日本語に触れる機会がほとんどないし、初めて日本に来たのは十六歳の時、ごく普通の観光客としてだった。ひょんなことから日本語の独学を始め、いつの間にか国境を越えて日本に根を下ろし、日本語で小説を書いて受賞した、言うなればただそれだけのことだった。「真ん中」というのなら、それは何と何との真ん中なのだろう、と私は考えた次第である。

真ん中の? 私?

 暫く「真ん中」について考えると、「中間言語」という言葉が脳裏に浮かんだ。「中間言語」とは第二言語習得論の用語で、簡単に言えば「第二言語を学習している学習者によって作り上げられた、第一言語と第二言語の間にある言語体系」のことであり、言語学者Selinkerが1972年に提唱した概念である。別の研究によれば、言語習得の臨界期(約十二、三歳)を過ぎてから第二言語の学習を始めた学習者は、中間言語の中で目標言語に向かって近づきこそすれ、永遠に目標言語には到達できないとされている。

 もしそれが真ならば、私は今でも「中間言語」を操っているということになる。中間言語で物事を考え、中間言語を話し、中間言語で小説を書いている。「中間言語」という硬い漢語に飽きたら「真ん中の言葉」と和語に言い換えてもいい。「真ん中の言葉」で小説を書いている私は正に「真ん中の作家」で、「真ん中の私たち」というお題を書くのにぴったりではないかと思った。

 いや、本当はそんなことを言わなくても、「台湾人」であるという点だけで充分「真ん中」のはずだ。「台湾」という場所は国際社会ではほとんど国として認められていない。日本でも、少し前の外国人登録制度では、台湾人の国籍を「中国」として登録していた。にもかかわらず、中国人留学生を対象とした奨学金を台湾人は受給できなかった。前に働いていた会社でも周りの同僚からは一応「台湾人」として認識されながらも、「対外的に台湾を国として表記してはいけない」という経営陣の方針がメールで全社に通達されていた。

 言語や国籍だけでなく、性別や性的指向だって私は長い間揺らいでいた。男女二元論の社会、男性性と女性性の規範とそこから来る性役割の規定に長い間抗いながら、その都度傷付き、苦しんでいた。今でも「生産性がない」「人間ならパンツは穿いておけよ」を言われる度に悲しみ、苦しみ、怒り心頭に発するのである。

押し付けられた「真ん中」は拒絶する

 考えれば、私は確かに色々な「真ん中」の属性を持っている。それは紛れもない事実である。日本語非母語話者、在日外国人、台湾人、規範的なジェンダーからの逸脱者。小説の中で今ここにいる自分自身のことについて書くだけで、偉い文芸評論家の方が「マイノリティ要素てんこ盛り」と言いたげなしかめっ面が見えてきそうだし、2chで「この作家はマイノリティばかり書いていて作品の幅が狭そう」と鼻で笑う声が聞こえてきそうである。

 そんな「真ん中」の私だが、しかしそれでもなお、それだけで自分自身のことを「真ん中」と位置付けることに違和感を覚え、どこか腑に落ちない引っかかりを感じずにはいられなかった。

 そこであるエピソードを思い出した。ある夏の夜、虎ノ門にある台湾文化センターで、とある東京在住の台湾人作家が講演会を行った。その台湾人作家は主に中国語で執筆活動をしており、日本を紹介する書籍を台湾で多数出版しているらしい。講演後の質疑応答で、あるお客さん(およそ六十代に見える白髪のおじいさん)が立ち上がり、作家に向かって「あなたはある意味境界人なんだから、2つの国を互いに紹介する責務がある」と発言した。台湾のことをもっと日本に紹介してほしいという主旨の発言だっただろう。作家は謙虚に「頑張ります」のようなことを口にしたが、一聴衆として私は得も言われぬもやもやが残った。

 「境界人」とは「マージナルマン」の同義語であり、『大辞泉』によれば「文化の異なる複数の集団に属し、そのいずれにも完全には所属することができず、それぞれの集団の境界にいる人」のことのようだ。「真ん中」がそれを言い換えた表現だと私は理解している。自分自身を「真ん中の人間」として位置づけ、そこに自分なりの価値を見出すのはもちろんいいことだが、「真ん中」というレッテルを誰かに押し付け、ある種の責務まで負わせようとする権利は一体誰にあるのだろうか。

 思えば、私は「真ん中」にいたくて「真ん中」に来たわけではない。第一言語も、国籍も、出生地も、性別も、性的指向も、全て自分が決めたことではなく、最初から私という存在に刻印されていた記号と性質で、つまり外部から押し付けられたものだ。

 日本語をマスターしたのはこの言語に対する愛ゆえの結果だったし、日本に移住したのも自分自身が心地良く住める居場所を追い求めた結果に過ぎない。結果的に私は恐らく「真ん中の人間」になったのだが、一度規定されれば抜け出せないような、押し付けられたような「真ん中」というレッテルを、私は拒絶したい。私だって、常に「真ん中」ではなく、「真ん中ならざる場所」に行きたいと思う時があるからだ。

それでも私は「真ん中」にいる

 もし自分が意志を持って、「何かと何かの真ん中」にいたいと思うのなら、それは恐らく「真ん中」と「真ん中ならざる場所」の「真ん中」なのだろう。思索の末、私はこの結論に辿り着いた。外部から押し付けられたものとしての「真ん中」や、ある選択が生み出した付加的結果としての「真ん中」を引き受けつつ、それでも「真ん中ではない場所」に行く権利を留保したいと思うのは、そんなに贅沢で我が儘な願望ではないはずだ。「真ん中」と「真ん中ならざる場所」を行き来する流動性を持っているからこそ、「間」も「間じゃない場所」も書けるのであり、こちら側の言葉をあちら側に手渡すこともできるのである。

 思えば、ほとんどの人間が「何かと何かの真ん中」にいるのではないだろうか。ありとあらゆる性役割や固定観念に合致した「完璧な女や男」や、太古の昔から一滴も外の血が混ざらなかった「純粋な日本人」というのは、寧ろ少数だろう。普段自分が「真ん中」にいると思わないのは自分の中間性に気付いていないからだけで、言い換えれば考え方一つで誰もが「真ん中」に行けるはずだ。そして「真ん中」にいれば、少しでもより他の「真ん中の人間」の気持ちに寄り添って物事を考えられるようになるのではないだろうか(もちろん、このような一般化はマイノリティの主体性と生きづらさを不可視化してしまう危険性を孕んでいるため、常に慎重でなければならないが)。

 余談だが、私は自分の筆名、「李琴峰」がかなり気に入っている。中国語で「リー・チンフェン」と読めばやや男性的なイメージを持つが、日本語で「り・ことみ」と読めば女性的なイメージになる。私はいつでも好きな時に「リー・チンフェン」でいられるし、「り・ことみ」でもいられるし、単に「ことみ」でもいられる。本来、世界はそんな風通しのいいところであるべきだし、そうなってほしいと切に願っている。

HuffPost Japan
Shiori Clark

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