暴言王トランプ氏が米国大統領に?/一体何が起きているのか

スーパーチューズデーで、共和党のトランプ候補が11州中7州で勝利して、7月の党全国大会での候補者指名獲得へまた大きく前進した。

▪スーパーチューズデーを制したトランプ氏

米国大統領選挙に向けた予備選挙は、先日(3月1日)、最大のヤマ場と言われるスーパーチューズデーで、共和党のトランプ候補が11州中7州で勝利して、7月の党全国大会での候補者指名獲得へまた大きく前進した。トランプ氏と言えば、過激な発言や度重なる転身等もあって、話題性はあっても、さすがに大統領に登りつめるようなことは絶対ないと誰もが思っていたはずだし、実際これまで大半のメディアが、予備選挙のどこかの段階で脱落すると断言していたと記憶する。だが、ここまで来ると、トランプ氏が共和党の大統領候補となることは絵空事でも何でもなく、ありうべき未来になろうとしている。もっとも、共和党の幹部にも毛嫌いされているトランプ氏のことだから、まだ100%決まったとは言えないし、そもそも共和党の大統領候補になったとしても、常識的に考えれば、民主党での指名獲得が決定的と言われるヒラリー・クリントン氏にトランプ氏が勝つのは難しいと思われる。しかしながら、ここまであらゆる『常識』をあざ笑うかのように爆進してきたのがトランプ氏だし、クリントン氏にも弱点は少なくない。万が一にも、と言ってきたその『万が一』が現実になるかもしれない。一体米国に何が起きているのか。

▪トランプ氏の公約/暴言

ここでトランプ氏の公約を簡単に振り返ってみたい。公約については、ブログPlatnewsのまとめを引用させていただく。

・米中貿易の改革

中国の人民元切り下げを止めさせ、環境基準や労働基準を改善させる。また知的財産保護やハッキングに対して厳しく対処する。「中国はアメリカの雇用とカネをかすめ取っている」と言い放っている。

・退役軍人省の改革

退役軍人省の首脳部を総入れ替えし、退役軍人の医療制度を変革する。具体的には、退役軍人の病院での待ち時間を減らせるように仕組みを変え、増加する女性退役軍人の医療充実のため、女性医療を専門とする医師の数も増やすつもりだ。またオバマケアは大失敗だとし、自由市場原理で動く医療保険計画を提案している。

・税制の改革

年収2万5000ドル(約300万円)未満の人の所得税を免除する。法人税率を15%引き下げ、多国籍企業が海外に滞留した所得は税率10%で国内に還流させることができるようにする。最低賃金の引き上げには反対し、労働コストの低い海外に移転した製造業の雇用を米国に戻すべきだとしている。

・武器の所有権利

銃規制強化に反対し、銃購入時の身元調査の範囲拡大にも反対している。また銃乱射事件を減らすために精神医療に投資すべきだとしている。

・移民の改革

オバマ政権が大統領令で導入した移民制度改革を撤廃し、数百万人に上る不法移民を強制送還する。ムスリム系米国人のデータベースを強化し、モスクを監視すべき。米国とメキシコの間に「大きな壁」を建てる(トランプ氏は以前からメキシコ人を強姦犯などと罵倒している)。

過激な発言が目立つトランプ、実際は何をしようとしているのか? | | The Platnews

具体的な公約以上に、これまでトランプ氏が繰り返してきた暴言の数々を列挙すると、より彼の人となりがわかりやすいかもしれない。

移民差別

『メキシコが送り込むのは最高の人材ではない。多くの問題がある。麻薬を持ち込む。犯罪を持ち込む。彼らは暴行魔だ。』

『南の国の国境沿いに「万里の長城」を築き(建設費は)メキシコに払わせる。』

『もし私が勝てば、彼らには(シリアに)帰ってもらう。』

宗教差別『(イスラム教徒のデータベースづくりを)絶対やろうと思う。』『(米同時テロで米国在住のイスラム教徒が)ワールドトレードセンターの崩壊を祝っていた。』『イラム教徒の米国入国を完全に全面禁止することを要請する。』女性差別『彼女の目から血が出ていた。どこからであれ血が出ていた。』(生理中だったからではないかと嘲笑)『あの顔を見ろ!誰があれに投票するんだ?』(共和党候補のカーリー・リオリーナ氏の容姿を批判)障害者差別『哀れなこいつの様子を見てみろ』(手の障害を持つ新聞記者のまねをして笑いものに)同僚批判『捕まったから戦争の英雄になった。私は捕虜にならなかった人が好きだ。』(ベトナム戦争で捕虜になったマケイン上院議員を嘲笑)大統領候補トランプ氏10の暴言、移民・宗教・女性差別  :日本経済新聞より

このどれ一つとっても、普通なら一発で政治生命を断たれてしまうような、呆れるほどの暴言だ。だが、これほどの暴言を繰り替えす候補(暴言王として知られる)を本当に大統領候補にまで押し上げようとしているのが今の米国なのだ。誰しも(米国市民でさえ)首をかしげてしまうのは当然だ。

▪疲弊する低所得白人労働者層

興味深いことに、トランプ氏の政策は、小さな政府や民営化等、新自由主義を信奉する共和党主流派とはかなりの違いがある。財政政策では、反緊縮、積極財政政策を支持し、大資産家/富裕層の課税を強化し、ウォール街、国際的な資本流動の規制強化等を主張し、社会福祉の拡充、格差の縮小を求めている。貿易についても、TPPに反対し、保護貿易を主張している。これと移民の規制政策を加えて、中産階級以下の保守的な白人労働者層、特に独力で家族を養うことが難しくなりつつあるブルーカラーの絶大な支持をにつながり、この支持がトランプ氏をここまで押し上げた原動力と言われている。米国社会は多様性が進み、競争は激化し、低所得の白人は勢力も弱まり、不満や不安が募る一方だ。そして、自分たちの仕事を奪っているように見える移民に対する排外主義的な空気ではち切れんばかりになっている。マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー名誉教授によると*1、白人で低学歴で中年男性という階層は死亡率が上昇していて、しかもその理由は、糖尿病や心臓疾患のような多くのアメリカ人の死亡原因とは違って、自殺の急増、アルコール依存症による肝疾患、そしてヘロインの過剰摂取や麻薬の処方等なのだという。この階層に怒り、絶望、不満を残した政策の影響で、彼らは自らを傷つける行動に走っているのだというから、彼らにはもはや見栄も外聞もなく、感情のボルテージは極点にまで達している。このような強い感情をトランプ氏は上手に掬い取っているとも言える。やり場のない深い絶望と怒りに沈んだ彼らにとって、トランプ氏の暴言など、彼らの生命を脅かす既成の制度やエスタブリッシュメントを打ち壊すトランプ氏の勇ましさの現れと見て、カタルシス(精神の浄化作用)さえ感じているのではないか

▪インサイダーv.s.アウトサイダー

そんなトランプ氏に対しては、共和党の幹部や主流派は嫌悪感を抱き、なんとか指名候補から外したいと考えているというが、一方で共和党支持の有権者の多くは、昔ながらの政治に飽き飽きしていて、ワシントンの政界と、選挙運動で繰り返されるお決まりの公約に怒っているという。だから、予備選挙でも、華麗な政治的キャリアを持つ候補より、アウトサイダーであるトランプ氏のような候補が支持されることになる。それを言えば、民主党のクリントン氏などまさに政界の華麗なキャリアの持ち主その人であり、実際に、民主党左派のサンダース氏も大健闘していることを勘案すれば、民主党支持者にも同様の不満は充満していると考えられ、大統領選挙本選までトランプ氏が残れば、本当にどうなるかわからないと嘆く向きもある。すなわち、共和党v.s.民主党というより、政治エリート(インサイダー)v.s.アウトサイダーという構図が背後にあるということになる。

▪節操のない転身と首尾一貫しない主張

トランプ氏の公約や主張は共和党の主流派のそれと異なるのみならず、全体として首尾一貫せず、相互の整合性が取れているとは言い難い。その場限り、との印象が強い。それもそのはず、彼の転身の履歴もおよそ常識はずれというしかない。2000年にはそれまでの共和党支持から鞍替えして、改革党から大統領選挙に出馬(落選)し、2001年には一転、民主党に参加している。ところが、2009年になると共和党に再参加したと思えば、2011年には無所属になって大統領選に備えている(不出馬)。そのあげくに、2012年に共和党に戻っている。主張は首尾一貫していて、それを通すために、政党を変えているのかと思えば、それも違う。数年前には、国民皆保険制度を支持していたはずが、今はオバマ政権の医療保険制度改革を非難しているし、かつては不法移民の恩赦に賛成したが、今回は恩赦反対を主張している。このような、日和見的な、国民の人気を得るために主義主張を変えることを厭わない政治信条をなんと呼べばよいかと言えば、やはり『ポピュリズム』しか思い浮かばない。ポピュリズムの核心は、政治共同体内部の『エリート』批判や彼らの『既得権益』独占を非難するような『反エリート主義』にあるから、まさにトランプ氏の立ち位置こそ、ポピュリズムの『ど真ん中』とも言える。繰り返すが、今の米国には、常軌を逸した暴言を連発し、節操のない転身を繰り返してきたトランプ氏であっても、それよりも社会の一部の支配者の特権を突き崩そうとしているように見える姿に喝采してしまうような、大量の有権者がいるということになる。

▪ポピュリズム

米国のポピュリズムは過去何度も、その危険な相貌を表に晒してきた。古くは、共産主義者狩りで全土が熱狂したマッカーシズムがそうだし、レーガン革命と言われたレーガン元大統領の経済改革(レーガン・エコノミクス)も、国民の過剰なほどの熱狂的な支持に支えられていた。9.11の後のブッシュ元大統領の反撃の叫びに熱狂する米国民の姿は一面、トランプのような鬼っ子を産んでしまう今日を予感させるに足るものだった。最近で言えば、米国市場における、トヨタの自動車のアクセルの不調等に伴う過剰なほどのトヨタたたきも、ポピュリズムの怪物がぬっと現れたような戦慄を感じさせるものがあった。確かに、リコールに相当する不良品を出したトヨタ側の問題もあったとはいえ、最終的には死亡事故につながるような電子制御システムの不調はなかったことが証明された。それなのに、トヨタ車が止まらなくなって死にそうになったというユーザーの(事実誤認としか考えようのない)苦情が大量に寄せられ、それにメディアが扇情的な報道を被せて煽りに煽る。米国を代表する自動車会社であるGMが経営危機に陥り、破産法からの脱却に成功したとはいえ弱体化は否めず、今にも米国のシェア首位の座がGMからトヨタに移ろうとしている最中だったこともあり、よそ者のトヨタへの米国民の潜在的な嫌悪感が背景にあったのではないかとも思われるが、ブランドイメージが大きく傷つき、販売にも多大なダメージをくらったトヨタ側はたまったものではない。ただ、あらためて、このようなポピュリズムが火を噴く可能性を持った米国市場の難しさを関係者は噛み締めたことだろう。

▪ポピュリズムは世界の潮流?

ただ、こうしたポピュリズムは、昨今では一人米国だけの問題ではなく、世界的な潮流というべきだろう。トランプ氏が大統領候補として出てきた時、私がとっさに思い出したのは、イタリアのベルルスコーニ元首相だった。ベルルスコーニ氏も実業界出身で、メディア王といわれていた。その経験からか、国民の喜ぶことをよく知っていて、国民の人気を背景にイタリアでは戦後最長政権となった。しかしながら、その結果として、財政規律は緩み、債務は絶望的な規模に膨れ上がり、イタリア経済はそのくびきから抜け出せなくなり呻吟している。ポピュリズムという点ではフランスのサルコジ元大統領もそうだろうし、また、日本なら小泉元首相が典型例と言える。最近では、橋下元大阪市長が登場した時の熱狂も同系列といわざるを得ない。どこも、社会が大きく変化の波にあらわれ、従来の政治家や官僚の政治を国民が信頼できなくなり、やりきれない感情が鬱積し、改革者というより旧体制の破壊者を求める空気が蔓延すると、その声に答え、矛盾を物ともせず、一点突破主義で、その一点が実現すれば全ての問題が解決するがごとくの幻想的な期待を抱かせるようなポピュリストが出現する。中には、レーガン革命のような成功事例もあり、リーダーの資質によっては良い意味での改革が進むこともないとは言えないが、多くの場合、結局それまでよりもっと大きな混乱を後に残してしまう事例が多く、まして、トランプ氏のような怪物的な人物が大統領に選ばれてしまったら、その国のみならず世界に回復不能なほどの深い爪痕を残すだろう。

▪危機の本質を理解して備えるべき時

今、世界は本当に危機的な状態にある。中東でも、欧州でも、ロシアでも、中国でも、ちょっと火がついたら大きく燃え広がりかねない。一方で、トランプ氏同様の怪物がどこでもかしこでも現れそうな、大変物騒な雰囲気に満ち溢れている。こんな時に、世界で一番影響力の大きな元首である米国大統領に、トランプ氏のような、火を自らつけたがっているような人が就任すれば、本当に恐ろしいことになる。チョムスキー名誉教授は、貧困にあえぐアメリカ人にとって、彼らの絶望や怒りは、彼らの生命を脅かす制度を解体しようとするのではなく、もっと多くの犠牲を払うような方向へと向いていて、ヨーロッパでファシズムが興った時と状況は似ているという。これが世界に波及することを真面目に心配する必要が出てきていると言える。米国の大統領選挙については、他国のことであり、日本人が直接できることがあるわけではないが、せめて、この現象がどのような帰結をもたらす恐れがあるか歴史をよく勉強して、少しでも日本がその後を追わないように、この事象を基調な他山の石として備えておきたいものだ。ただでさえ、日本でも今後所得格差は広がり、中間層がますます薄くなり、貧困層が増大していくと考えられる。他山の石ではすまなくなる怖れも十二分にあることを忘れてはいけない。(「2016年3月7日 情報空間を羽のように舞い本質を観る」より転載)

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