2015年10月21日、高級自動車として知られるフェラーリがニューヨーク証券取引所に上場した。当日の株価は公開価格の52ドルを超え、終値は55ドルであった。これにより上場時のフェラーリの時価総額は約1兆2500億円となった。
上場熱が冷めた現在(12/11日終値ベース)にあっても、時価総額は約1兆1000~2000億円程度で推移している。フェラーリといえば、選択と集中によるニッチ戦略を推進する自動車メーカーであるが、その企業価値からみる戦略の価値はどれほどのものなのだろうか。
■企業の価値と時価総額
フェラーリの上場時の時価総額はおよそ1兆2500億円ほどであったが、これは日本の自動車メーカーでいうと、マツダの1兆4000億円(10/23)やいすゞの1兆2000億円(10/23)と同等規模であり、三菱自動車の1兆円(10/23)を上回る。そして、これら日本メーカー3社の生産台数はそれぞれ、約132万台、67万台、126万台(いずれも2014年実績)である。
これに対し、フェラーリは生産台数が年間7千台程度となっており、上記3社と比べて生産台数には極めて大きな差がある。しかしながら、株価ベースで判断すると、これらの企業は同等程度の企業価値であると市場から見なされている。言い方を変えれば、100万台以上も生産し市場に貢献していながら、市場価値としてはフェラーリ7千台程度しかない。又は、フェラーリ7千台は一般大衆車100万台の価値があるともいえる。
販売金額ベースで比較すると、フェラーリの売上高は約3700億円(2014年)、これに比べて日本各社は、マツダがおよそ3兆円、いすゞが1兆8700億円、三菱自動車は2兆1800億円(2014年)と、フェラーリとは大きな差がある。
時価総額とは、その企業が株式市場からどう判断されているのかを測るバロメーターであり、会社につけられた「売り値」でもある。生産量・売上高で大きな開きがあるフェラーリと日本企業各社の価値が同程度ということはどのような意味を持つのか。
■経営者の目指すもの
経営者は通常、企業価値の最大化=株主価値の最大化を目的としている。その目的に向かう行動が、顧客、市場、社員、社会のためにも同時に価値をなすものとなる。大きな資源を投資し、大きなリターンを得ることは当然のことながら、小さな資源で最大限のリターンを得ることが経営者の腕の見せ所であり、彼らの存在価値である。
企業の存在意義というものは株式の時価総額だけでは測れないものの、1つの側面として時価総額でフェラーリと日本の大手自動車メーカーの価値が同等程度ということは、企業価値の最大化手法に一石を投じているのではないだろうか。
■フェラーリの戦略
フェラーリが生み出す価値は、自動車としての機能のみならず、その戦略に大きく依存している。フェラーリは2013年に希少性とブランド価値を高めるために、年間生産台数を7千台以下にするとして、その方向性を明らかにした。(その後、若干の生産拡大を示唆しているが)
フェラーリの経営戦略は自らが市場で「何をやらないか」を明確に示している。まず、大量生産による大衆車は生産しない。好調のSUV市場にはポルシェをはじめとしてBMW、メルセデスベンツなど様々なブランドがこれまでの路線を変更し売れる市場に注力しているが、フェラーリはこれまでの戦略の一貫性を貫いている。
また、フェラーリはニッチな市場以外はターゲットにしない。様々な顧客が好む車を作るのではなく、スポーツカー市場のみ、それも特異な趣向を持ち、且つ一部の富裕層のみをターゲットとし、それ以外の顧客の要望には応えない。加えて、その市場においても売れるだけ売らないのが彼らの戦略の柱である。生産台数に上限を設けることからもわかるように、フェラーリを希望する顧客がいたとしても、その需要に応えるだけの供給を行わない。これによりフェラーリに大きな希少価値が生まれ、フェラーリのブランド価値を益々高める効果を持つ。
しかしながら、この売れるのに売らないという戦略的行動をとれる経営者が世の中にどれだけいるだろうか、イメージしてみてほしい。目の前に非常に高い価格で自社の製品を買いたいという顧客が列をなしている。その時は作れば作るだけ売れるであろう。また、値段も言い値に近い価格設定が可能になるかもしれない。
ここで「売らない、作らない」という判断ができる経営者はそう多くはないはずである。なぜならこの行動は一見すると非合理的な経営判断であるからだ。この経営判断と経営戦略がどのような結果をもたらすかは、市場がつけたフェラーリの時価総額により一目瞭然である。経営者が企業価値を高める方法として考えるべきことは、顧客の声に愚直に応え続ける姿勢だけではなく、将来を見据えた論理的因果関係に基づく戦略なのである。
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森山祐樹 中小企業診断士
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