生命保険で死亡のリスクに備えるなら、離婚のリスクも心配したほうが良い。 (野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー)

夫婦関係は債権債務の関係か

■養育費の不払いリスクに救済策

幼い子を抱える配偶者は、離婚裁判で養育費の支払いを受ける権利を勝ち得ても実際には報われないことが多かった。養育費を支払う義務のある側(以下、「義務側」)の不払いによる逃げ得となっていたからだ。義務側が意図的に居場所をくらましてしまうこともあった。

ようやく、支払いを受ける権利のある側(以下、「権利側」)が救済されることになった(8月31日「民事執行法改正要綱案」)。従前の離婚者同士の意思に頼る方法では、権利と義務の執行は難しかった。

新制度では、裁判所が強制力によって義務側の勤務先や金融機関に照会し、この情報をもとに権利側は財産差し押えを申し立てることができるようになる。裁判所を通して義務側に養育費の支払いを強要できる仕組みは海外の例に照らしても当然のことで、むしろ遅すぎたくらいだ。

権利や義務といっても、夫婦の間(離婚後も含めて)ではなかなか割り切れないところもある。権利義務というより「貸し」と「借り」のバランスの上に立っているように思える。言い換えれば債権債務の関係と言ってもいい。その点から離婚というリスクについて考えてみたい。

■夫婦関係は債権債務の関係か

人の心は先に欲するものを得てしまうと、その対価は払わないで済むなら払いたくない、払うにしても早く終わらせたいと思うのが常だ。所有欲が満たされると、目の前の対象に関心が薄れるためだ。

例えば住宅購入は先に住居を手に入れ、購入後30年以上もローンを払い続ける。これは契約上の義務もあるが、払わなければ退去させられるし、その後の信用社会でまともに生きていけなくなるからだ。そういう縛りがあって長期間でも払い続ける。

夫婦関係にも同じことが言えないか。夫婦関係を債権債務の関係だけでとらえるのは乱暴かもしれない。しかし、そう考えるとわかりやすい部分が多い。

結婚、出産と幸せな時期を一緒に過ごし、結婚という契約を解除する段になって、例えば元夫がその後の子育ての苦労を全て押し付けておきながら「一緒に過ごした時期の幸福感」に対して対価を払わないのは、妻にしてみれば都合がよすぎる。

「養育費の支払い義務を果たせ」と思うにしても、「幸せな思いをした分、その対価をちゃんと払え」という気持ちではないか。慰謝料と言えば聞こえはいいが、幸せな家庭を築きつつある時に幸せ感だけ味わって、勝手に「とんずら」されたのが許せないというところだろうか。

■離婚のリスクに備える

統計によると、人口1000人に対して1.70人が離婚しているという(厚生労働省・平成29年「人口動態統計の年間推計」)。同データで人口1000人当たりの死亡率は10.8人である。単純比較はできないが、死亡率は高齢者ほど高く、離婚率は若年・中年層ほど高いから働き盛りの死亡率と離婚率はもっと拮抗するのは予測できる。

離婚によって配偶者がいなくなった時の経済的リスクに備えることは、死亡保障を掛けるのと同様、特別なことではないと思った方がいいかもしれない。もっとも、死亡の場合はその後の生活費が保障されるが、離婚は冒頭のように養育費の不払いリスクがあるし、法改正で救済策ができてもその後の人生の保障はなく、1人で子を育てていくことに変わりない。

だからと言って、離婚リスクを煽って離婚保険に入れと言っているのではない。ちなみに「離婚保険」とは、離婚時の弁護士費用、引っ越し費用や子育て費用などの一時的支出を保障してくれるものだが、日本では不人気の保険であまり聞かない。幸せな時期に離婚など考えたくもないし、夫婦どちらかが離婚保険の証書を隠し持っていたら、それだけで離婚の種になってしまう。

しかし、いつ1人になって幼い子を育てる事態が起こるやもしれないという考えは持っていてもいい。そのリスクに備える意味では、夫婦間で家計を個人別勘定にしておき、2人の間の収入支出の管理はもとより債権債務をはっきりしておくのも一方法だろう。

■代償を求める夫婦関係にならないために

そうは言っても、互いに債権債務、貸借関係の決め事を杓子定規にしすぎるのは、夫婦の愛情も経理勘定となって味気ない。畳の上で、ここからこっちは私の「領分」と言い合っているみたいで息苦しくなる。親は子に対して無償であるように、夫婦も元々は互いに代償を求めずに一緒になったのではないか。

夫婦生活は無償の関係で始まったはずなのに、離婚ともなるとそこから有償の関係が始まる。「あれをしてやったのに、これをしてもらっていない」と。そもそも結婚生活の破綻というのは、互いの心に代償を求める気持ちが芽生え始めるからである。では債権債務の関係を夫婦間でどこまで広げるか、あるいは狭めるかという問題である。

無償であったものがある時を境に有償となって、一方が債権を主張し、一方が相手への債務から逃れるようになる。愛情がなくなった夫婦関係は、情よりも法に従うしかない。夫婦間が単なる債権債務の関係に陥らないためには、半永続的に、どちらかの死亡までずっと幸せを感じ合うよう努力するしかないのではないか。そこには我慢や工夫、思いやりや感謝も要る。幸せという債権を得ることへの、ある意味そういうものが本当の債務なのかもしれない。

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野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー TFICS(ティーフィクス)代表

【プロフィール】

個別の金融資産の推奨・販売をしないアドバイザリー型のFP。個人のリタイアメントプランを実現するための運用設計およびトータルなライフプランの提案。ほかに働き方、お金に関するアドバイスの提供。