先日、マスコミ業界の方達と「コンテンツとしての音楽はどうなるか?」という話をしました。
まとめますと、
「音楽自体はすごく聞かれている」
電車に乗ってても以前よりもヘッドフォンをしている人が増えたような気がしますよね。
僕が中学や高校の頃は「音楽を好きな人」ってもっともっと少なかったように思います。
やっぱりネットでタダで手に入るって大きいです。
「演奏する人も増えている」
渋谷では楽器店やスタジオは増えています。学校でも「バンドを奨励」しているそうですよね。一度、バンドを経験したことをある人はご存じかと思うのですが、みんなで「音を合わせる」のってすごく快感ですよね。大人になっても続けられる良い趣味です。
「ジャズとかブラジル音楽といったマニアックな音楽のファンの人数も増えている」
これもやっぱりネットが大きいのではと思います。僕が10代の終わりにブラジル音楽を聞き始めた頃は本当に情報がなかったし、もちろんソフトもお店ではあまり扱ってなかったのですが、今は興味を持てばネット上にたくさんの情報や音源があります。
「音楽だけで食べていける人が減っている」
音楽ソフトがたくさん売れていた頃は、曲がヒットすればすごいお金が入ってきましたよね。するとそのアーティストの事務所の人、演奏する人、アレンジする人、スタジオの人、レコード会社の人、その音楽を批評したり紹介したりする人、その音楽をお店で売る人にもたくさんお金が入ってきたわけです。
でも、今はその音楽ソフトの売り上げが見込めなくなってしまったから、音楽だけで食べていける人が、音楽業界周辺も含め、減っているということです。
ちなみにこの現象に関しては現場の人からはこういう意見もたまに耳にします。
「やっぱり以前は『儲かれば何でも良い』というちょっと違う業界の人がたくさんいて、『?』な現場がたまにあったのだけど、今のこの状況でも音楽業界に残っている人は音楽に対しても誠実だから、現場でもやりやすい」
これは現場の人は本当にそう感じるんでしょうね。
これってやっぱり音楽が「産業」ではなくて、「純文学的存在」になろうとしているのでしょうか。
例えば「詩」とか「短歌」とかって、「それだけで食べていける人」ってごく少数ですよね。
でも、詩や短歌を楽しんでいる人たちって世の中にたくさんいます。
音楽もあんな感じになるのでしょうか。
※
ところで、加藤貞顕さんが「note」を作った理由は「例えば才能あるミュージシャンがnoteで音楽を売って年収500万円くらいまでいけるようにしたい」という思いだったそうです。
やっぱり才能あるアーティストが「それだけ」に打ち込めるようなシステムがあれば、この世界にも「良い音楽」がいつまでもあって、僕たち自身の生活も豊かになりますよね。
加藤さんのように、僕たち大人が「次の世代の良い音楽」をなくさないように、何かお金が入ってくるシステム、音楽だけやってても食べていけるシステムを作ってあげなければ、と思います。
bar bossa 林伸次
著書「バーのマスターはなぜネクタイをしているのか?」 http://goo.gl/rz791t