こんにちは。Six Apart ブログの中山です。今回は、スピーキング学習を阻む、最大にして唯一の敵だと思う"心の奥底に潜む厄介なヤツ"について、書いてみます。
「発音の良さ=英語が上手」って風潮
英語のスピーキングスキルについて、自分が学生だった数十年前からずっと感じていることなんですが、「発音の良さ=英語が上手」って風潮ありません? それと、「複雑な文法を使いこなせる」、「慣用句の使用頻度が高い」イコール英語がうまいって雰囲気も感じません?
ネイティブっぽくしゃべれたり、発音が現地人っぽく聞こえると、それだけで「この人、スゴイ・・・!」ってなるのはなぜでしょう。たとえば、私が海外の大学を卒業して帰国したときに、耳にタコができるほど言われたセリフ
「ねえねえ、カリフォルニアって言ってみて!アメリカ人はキャリフォォォルニィャァってゆーんだよね?キャリフォォォルニィャァって言ってよぉ」
※ロサンゼルス>>ロスァァンジェェルスゥゥ、フィラデルフィア>>フィラデェェルフィアァァってバージョンもありました。なぜそんなに地名を言わせたがるのか・・・。
いわゆる帰国子女ではない私は、日本人並みの発音しかできません。なんだかバカにされているような気がしたものの、発音して差し上げると、「なんだ、日本人っぽいね」と肩を落とします。落胆した表情が、「アメリカで暮らしてた割に、たいした英語力じゃないじゃん」と言っているのがわかりました(笑)。
話す内容ではなく、発音の良し悪しで英語力を判断されてしまうのは不本意ではあったのですが、この心理は私もよく分かるんです。
発音スキルは英語力を評価するリトマス紙?
ネイティブに近い発音ができると「さすが!」となり、日本人っぽい発音だと「ショボい」と思われる風潮。いわゆる日本人訛りだと、かるく見下されるかんじ。理由はともかく、何十年も前から今に至るまで、わりとこのムードって漂っている気がしてまして、このムードが「スピーキングスキル向上を阻む理由」になっている気がします。 ※勝手な持論
どういうことかというと、本来スピーキング能力を高めるってのは、過不足なく意思疎通したり、理路整然と主義主張を唱えたり、活発に討論できる能力を高めるってことで、ネイティブっぽく発音できるかどうかは二の次のはず。
まだろくに英語をしゃべれもしない日本人が、発音の良さに囚われると、何が起きるか。自分の発音を聞かれるのが恥ずかしくって、別の日本人の前でしゃべれなくなります。 ※アメリカ人1人と、複数の日本人で話してる状況等
「ジャパニーズイングリッシュな発音を聞かれたら、自分のスピーキングスキルの低さを露呈してしまう・・・!」
という不安ですね。
で、無意識に早口になったり、ぼそぼそと小声で話し、「Pardon?(え、何?)」と聞き返されて、「あぁ、自分の発音がネイティブに通じない・・・。ネイティブっぽく発音しようと努力しているのに、私はなんて下手くそなのだろう」と勝手に落ち込む。単純に、小声で聞こえなかっただけにもかかわらず。
留学前に最も恐れたことがこれ
なぜそう言い切れるのか? なぜなら、高校時代の私がまさにこうだったからです。留学を決めた1年前(高校二年のとき)から英会話スクールに通っていたのですが、ネイティブの先生に対し、生徒が5~6人いる状況で、自分の英語を他の生徒に聞かれるのがイヤでたまりませんでした。
理由はネイティブっぽく話せなかったから。ただの高校生にそんな芸当ができるわけもないくせに、粋がっていたんですワ。 ※クラスに1人カワイイ娘がいて、その娘に見つめられるとシドロモドロになってた。
英語でコミュニケートする目的が、当時の私は「ネイティブのようにクールな発音をする」ことにすり替わってました。スクールでの私は、「先生には聞き取れるが、他の生徒には聞き取れない程度の声量で話す」ようにしてたのです。そんなことを考えて話していて、うまくなるわけがありません。
弱さを克服するためにとった方法
英会話スクールに1年間通ったものの、スピーキングスキルはぜんぜん伸びませんでした。自分の中の照れ、羞恥心は英語学習のブレーキになると痛感した私は、「アメリカに行ってもこの調子では、失敗するのは目に見えている」と確信しました。
そこで私がとった方法は、「日本人が1人もいない環境に飛び込む」こと。羞恥心を徹底的に排除するには、同郷の日本人がいない場所に行くしかないです。外国人しかいない環境なら、思う存分ミスを犯せるし、拙い英語で話しても恥ずかしくありません。
そこで、「日本人ゼロの街」を最優先事項にして学校を探しました。選んだのは、トウモロコシ栽培地域の真ん中にぽつんと立つ学校で、日本人未踏の街です。 ※映画の「フィールド・オブ・ドリームス」を思い浮かべてください。まんまアレです。
結果的に、その判断は正しかった。今思うと、カリキュラムや教材なんかスキル向上にたいして影響してなくって、一番効いたのは、ヘッタクソな英語を恥ずかしがることなく、話しまくれたおかげです。うまくなる、ならないの差って、学力や脳みその差より、心を解放して勉強できるか、伸び伸び失敗できるか、で分かれると思うんです。
空振り覚悟でフルスイングできるか
たぶん、英語ってスポーツ技術習得に似ていて、習いたてはピンポンラリーすらできず、一打一打の間が空くものです。英語も最初はミスだらけで、一打返しては「おかしかったか?」とか「通じないな~」ってかんじです。ここでやっちゃダメなのが、一打失敗しては落ち込むこと。
恥を恐れてネットを越えないボールを打っていては練習にならなくって、最低限ネットオーバーしないと始まりません。あさっての方向にボールが飛んでも構わない強気で撃ち放つ、フルスイングして空振って尻餅をつく。10打に1回、相手のテーブルにうまく落ち、打ち返される。意思疎通できたって手応えを感じる、これを繰り返す。
強気の姿勢で学ぶためには、私は日本人ゼロの環境でないと、できっこないって思ったんです。こんな環境に1年間もいると、相当伸びるので、「ビギナーは脱したな」って自信もつきます。ある程度のレベルに達すると、他の日本人に自分のスピーキングを聞かれることに抵抗がなくなります。そうなれば、あとはトントン拍子に上手になります。
英語を学ぶときって、教材とか学校のレベルとか、評判とかが気になりますよね? そーゆー要素も大事ではありますが、それ以上にキモなのが、「恥や照れや外聞をかなぐり捨てられるか? 強気で挑戦して、失敗を笑い飛ばせるかどうか?」なんじゃないでしょうか。とくにスピーキング学習においては、自分の弱さと恐怖心の源泉を叩き潰すことに意識してほしいです。
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(2014年7月17日「Six apart ブログ」より転載)