東京、渋谷区神宮前二丁目にあるアジアンビストロ「irodori」が3月に閉店する。LGBTのコミュニティスペース「カラフルステーション」を併設しているirodoriは、昨今のLGBTを取り巻く社会の変化の中心地とも言える場所だ。閉店に向け開催される全6回のクロージングイベント、LGBTのこれまでとこれからを考える「カラフルトーク」をレポートする。
第4回のテーマは「ダイバーシティと街づくり」。irodoriはなぜ渋谷区神宮前二丁目でスタートしたのか、irodoriができたことによって街にどんな変化をもたらしたのか。
irodoriのオーナーであり、トランスジェンダー活動家の杉山文野さん、神宮前二丁目商和会会長の佐藤正記さん、渋谷区長の長谷部健さんの3名に加えて、日本のゲイタウンに代表される新宿二丁目で1991年よりWoman's Onlyのイベントを続けている「GOLD FINGER」プロデューサーの小川チガさんが、多様性を受容する街づくりについて話した。
■街の人からの予想外の声
irodoriが神宮前二丁目にオープンしたのは2014年。
「LGBTに限らず、いろんな人たちが集える場所をつくろうと、irodoriをスタートしました」と話すのはオーナーの杉山文野さん。
「その2年前の2012年に、シブヤ大学の左京さんに誘われて、この近くでBARを出しました。LGBTもそうじゃない人も集まってきてくれて、その時に『新宿二丁目以外にも集まれる場所があると良いね』という話が出てきたんです」。
irodoriができた場所は、もともと八百屋とラーメン屋があった場所。建て替えに際して、外観や内装を手作りで進める部分も多かった。その際、なるべく街の人と交流をしようと、irodoriの壁のペンキ塗りなどに参加してもらうようにした。
ある日、住民から一通のメールが届いた。「いつもうちの小学生の子どもは、八百屋さんにいるおじいさんに『行ってきます』『ただいま』と言うのが日課だったのに、おじいさんはいなくなってしまい、工事もはじまり...」という書き出しだった。
しかし、読み進めていくと「新しくできるのがただのカフェかと思ったら、LGBTというコンセプトで、とても嬉しいです。ぜひワークショップにも一緒に参加したいし応援しています」という内容だった。
杉山さん「街の人から敬遠されたらどうしようと思っていたけれど、最初にこのメールがきて、とても嬉しかったです」。
嬉しかったのはメールだけではなかった。イベントに参加した方からirodoriの裏に住むおばあさんについての話があった。そこに住む一人暮らしのおばあさんは、irodoriがあることで、お店は明るく夜まで営業しており、スタッフもいつも気さくに挨拶してくれるので安心して暮らせると話したそうだ。
LGBTという言葉が、まだあまり知られていなかった当時、神宮前二丁目の商店街でも「(理解が)最初からすんなりいったわけではない」と話すのは、神宮前二丁目商和街会長の佐藤正記さん。
「周りは年配の人ばかりだったので、最初はLGBTについてほとんどの人がわかってくれませんでした。やっぱり『夜の店』のイメージが強く、街が壊れると思ってしまっていたのか、変わった人たちが来るのが嫌と思っていたのかも。結局理解してもらうまでに1年はかかったのかなと思います」。
それでも理解が進んだのは「原宿という場所」の効果もあると話す、渋谷区長の長谷部健さん。
「原宿の人たちは『自分たちも外からこの街に出てきた』と思っているから、新しい人に対して寛容。(杉山)文野を見て、『(LGBTは)ダメだ!』って思う人はいなかったと思います」。
■「反対の声が出ても良いじゃん」と言ってくれた商店街会長
LGBTと呼ばれる人々は今まで「居ないもの」とされていた。その存在が認知される大きなきっかけのひとつとなったのが、2015年に渋谷区でスタートしたパートナーシップ証明書であり、渋谷区の多様性を推進する条例だ。
長谷部区長は「区にできることは限られるけれど、公に認められること、民間を巻き込んだことによって、空気が変わってきたと思うんです。LGBTの人がいることがあたりまえの景色であることが広まるきっかけになったかなと思っています」。
神宮前二丁目の景色が変わったのは「ここ4.5年」と話す佐藤さん。
多様性を受け入れ、地域の人たちと一緒に寛容で魅力的な街をつくる「ピープルデザインストリート」もきっかけのひとつとなった。
「ピープルデザインストリートというイベントを毎年やっていて、子どもたちから障害を持っている人、LGBTの人だったり3000〜5000人がこの通りに集まって、みんな楽しく飲んだり食べたりしています」。
イベントの参加者の中には、神宮前二丁目の住民やお店を出している人の姿もあった。そのうちのひとり、神宮前二丁目新聞を発行しているポット出版の沢辺さん。「当初は街の人がLGBTに対して理解するのは大変だった」と話す。
「(街の人は)みなさんの家族にいるようなおじいちゃんおばあちゃんで、LGBTなんて会ったこともない。そんな中自然と交流が生まれていったのは、佐藤さんが意識的に考えて動いていったからだと思うんですよね。
佐藤さんは、もちろん発言がずれている所もあるけど、こういう人が街の人たちを結びつけていく。誰かひとりでも佐藤さんのような人を捕まえられると強いですね」。
杉山さんは「もし会長が強く反対していたらここはできなかったと思うんですよね。『反対の声が出てきても良いじゃん、みんなでやってこうよ』と言ってくれたことは心強かったです」。
それに対して長谷部区長は「(杉山)文野たちも自分たちから商店街に溶け込んでいって、商店街側も若手が欲しいし、そうやっていろんなものが重なって今があるんだと思う」と話した。
■新宿二丁目と神宮前二丁目
パートナーシップ証明書など、渋谷区から取り組みが広がる一方、日本のゲイタウンに代表される新宿二丁目ではどんな変化があったのか。
「GOLD FINGER」プロデューサーの小川チガさん「私が新宿二丁目に行き始めたのは36年くらい前。今は二丁目で飲んでいる子たちと、アクティビストというか、意識を持っている人たちとの差は大きくなっている気はします。
今では、良くも悪くもいろんな人がいて当たり前という感覚になってきたからか、LGBTについて夜の世界で語ることもないくらい。
若い時は恋愛だけ楽しんでということで良いかもしれないけど、年をとってパートナーとの生活を考えたときに、意識の違いが出てきたりと、LGBTの中でも多様性が生まれてきているように感じますね」。
新宿二丁目には、二丁目の「町会」と「二丁目振興会」の二つの組織がある。しかし、「お互いに無関心だ」と語るのは、新宿二丁目で不動産を営んでいるという参加者。
「もともと新宿二丁目は遊郭街であり、周囲の人たちもあまり『見ないことにしていた』という雰囲気があります。遊郭街がなくなっていって、ゲイタウンに移っていったのですが、ゲイタウンとしてどう発展させていこうという話はあまり出てきません」。
杉山さんは「LGBTの理解が広がると、わざわざ新宿二丁目に行く必要がなくなって、お客さんが少なくなってしまうのではという声を聞くこともあります」。
「でも外国人は増えてますよ」とチガさん。台湾やタイ、中国といったアジアを中心に、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパなど世界中から観光客がきているという。
「私も海外にいったら絶対お店に行きたいです。逆に『同性婚してハネムーンです』って言ってお店にきてくれる人もいて嬉しいですね」。
新宿二丁目に古くから住んでいる人もいれば、オフィスで働いている人もいる。そういった所にゲイバーなどが混在しているため、騒音やゴミの問題で、LGBTはだらしない酔っ払いといったイメージがついてしまうこともあるそう。
しかし、「それは新橋や渋谷(の酔っ払い)だってだらしないですよ」と話す長谷部区長。
もちろんゴミや騒音といった問題は改善の必要があるが、どの繁華街でもそれは同じことだ。
「心のバリアフリーというか、文野が商店街に溶け込んでいったように、『俺たちと一緒じゃん』と、ゆっくり理解してもらうことが大事なんじゃないかな」。
■多様性を受け入れあう「場」の重要性
irodoriはLGBTや地域のコミュニティの人たちにとって、どんな場所だったのか。それを探る上で、チガさんは海外の事例をもとに「昼の場所」の重要性についても訴えた。
「私は1986〜7年にロンドンに行ったんですが、そこに『レズビアン&ゲイセンター」みたいなのがあって、私も二丁目以外の場所を欲していたし、LGBTが"二丁目"だけのイメージで語られることから脱することができるのかなと思い嬉しかったんです」。
「例えば、昼間に面と向かってカミングアウトしてもらえるのってすごく嬉しいことじゃないですか、安心感があったんだろうなとか、信頼してくれているんだなとか」。
さらに、チガさんは先日オーストラリアのシドニーで行われた世界最大級のプライドパレード「マルディグラ」にも参加し、その時に感じたことを話した。
「街中レインボーだらけで、とにかく『ウェルカム』だったんです。でも40年前はパレードに参加した人たちは全員逮捕されていたんですよ。たった40年前ですよ。でもいまこんなにオープンになっている」。
長谷部区長は、これからの日本のLGBTを取り巻く環境について「変わるんです、絶対変わるんだけど、そのスピードをいかに速めることができるかというところを考えていきたいです」。
神宮前二丁目で多様性を受け入れあう空気ができていった上で、irodoriという「場」のもつ力は大きいだろう。
そんな「場」を基点とした「慣れ」も大事だと杉山さんは話す。
LGBTについてあまり考えたことがない人に「とりあえずご飯を食べに来てもらって、実は僕も当事者なんですと話す中で『なんだ、フツウだね』と慣れていく。企業の人や行政の人たちもこういう場があるんだと、リアルに顔を合わせて話すことができる。
会議や講演では、LGBTについてなかなか気になっていても質問できない。でも、ちょっと一杯だけ飲みに来て話すと『そうか、こういうことか!』と腑に落ちてくれたり。こういう"慣れ"をたくさん作ることができたのは大きかったなと思います」。
LGBTをはじめ、多様性を受け入れあう街づくりのために必要なことは何か。
例えば、当事者が自分たちの存在をアピールしつつ、地域の人たちと密にコミュニケーションをとること。当事者の思いを受け止め、橋渡しとなってくれる人の存在。「互いの違いを尊重しあう」というたった一つだけ、共通の思いを持って集える場所。そして、実際に会って話して、慣れていくという経験。
他にも施設や制度面などもあるが、こうした要素が重なりあうことによって、多様性を受容し、安心して共に生きることができる地域につながるのではないか。
残念ながら、irodoriは3月末で閉店してしまうが、神宮前二丁目の多様性を受け入れあうという姿勢はこれからも続いていくだろう。神宮前二丁目だけでなく、あらゆる地域で、違いを受け入れ合い、誰もが安心して共に生きることのできる場所が広がっていって欲しい。
■irodoriクロージングイベント「カラフルトーク」過去のレポート