アフガニスタンでの仕事は容易ではないと聞かされていた。同国北部のクンドゥーズにある国境なき医師団(MSF)の病院で、私が担当した重傷患者、頭蓋骨折を伴う頭部損傷を負った少年は、まさにその一例だった。

アフガニスタンでの仕事は容易ではないと聞かされていた。同国北部のクンドゥーズにある国境なき医師団(MSF)の病院で、私が担当した重傷患者、頭蓋骨折を伴う頭部損傷を負った少年は、まさにその一例だった。

彼の頭部の開放創と割れた頭蓋骨の破片は、あらゆる感染症の原因となり得る状態で、骨折の場所はやっかいだった。患部の下に大静脈洞があり、下手を打つと、致命的な出血を引き起こす恐れがあるからだ。そこで私たちは、この外傷治療センターではなく、専門病院に移送するべきだという結論に達した。患者の容体安定に努めたところ、意識レベルは驚くほど良好に推移していた。しかし、時間は刻々と過ぎていく。どうすればよいのか、自問した。

首都カブールに神経外科専門部門の置かれた病院があることは確認していた。今いるクンドゥーズ州からは350kmの道のりだが、道路の保全がいいかげんなため、最短でも8時間ほどかかる。私たちは救急車を1台所有しているが、この治療センターの活動に支障が出るためカブールへの派遣はできない。空路での搬送も不可能だった。

私たちに残された選択肢はひとつ。タクシーで搬送することだ。クンドゥーズ州からは、A76高速道路に乗り、サラン峠経由でカブールへ向う。この峠はカブールとアフガニスタン北部をつなぐ主要道にあり、海抜3878mの高地にある。周囲にそびえるヒンドゥークシュ山脈の峰は一年中雪に覆われている。峠から首都に到着するまで、さらに1~2時間。わかっていることは、峠は補修と治安上の理由から、毎日午後6時に閉鎖されるということだ。つまり、タクシーは午後1時にはクンドゥーズを出発しなければならない。その時、時刻は午前11時。担当チームが準備にとりかかる様子はまるで命がけの様相だった。

担当者が移送計画を確認し、活動責任者の許可を得る。ロジスティシャン(物資調達、施設・機材・車両管理など幅広い業務を担当)が、カブールとの往復を走ってくれるワゴンタクシーの運転手をなんとか手配。車内で患者に付き添う看護師も決まった(残念ながら、安全のため、私を含む外国人スタッフはクンドゥーズ州外を陸路で移動できない。移動すれば、その外国人スタッフ自身だけでなく、患者の少年とその親も危険にさらすことになる)。私たちが箱に詰める生命維持のための必需品は、薬、点滴液、酸素マスク、そして、患者の気道を確保する携帯吸引器だ。ワゴンタクシーが到着すると、スタッフ全員が協力して即席の救急車に作り替える。後部スペースを片付けてマットレスを敷きつめ、患者が横になれる小型のベッドをこしらえる。2本の大きな酸素ボンベが持ち運ばれ、積み込まれていく様子はまるでゲームの「テトリス」のようだ。

患者の父親は、私たちが息子をワゴンタクシーの後部に乗せる様子を見守っている。非常にリスクの高い移送であって、道中に何が起きても不思議ではないことは理解しているはずだ。一方で、クンドゥーズではMSFもこれ以上治療はできないこと、そのため、息子をこの病院にとどめておいてもよい結果にはならないことも知っている。父親は私たちの尽力に感謝し、息子に続いて車に乗り込む前に、私たち1人1人に礼を言いに来た。彼らが病院の正門を出て行ったのは12時40分のことだった。

タクシーの後部座席にいる看護師からの電話がきたのは午後10時。無事にサラン峠を通過したものの、道路封鎖で1時間近く足止めをくったそうだ。患者は幸い容体の悪化を免れた。真夜中にカブールに到着し、転院は完了した。彼の容体は安定していたが、危険な状態にあることには変わりはない。

私たちは少年を救えたのか、それとも、治療をほかの病院に押し付けただけなのか。それを見届ける必要があるだろう。でも、担当チームは少年が救われることを信じているし、最大限の努力を注いだことに胸を張っていると思う。

国境なき医師団(MSF)は、紛争や災害、貧困などによって命の危機に直面している人びとに医療を届ける国際的な民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供する。医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約3万6000人が、世界の約70ヵ国・地域で活動している。1999年、ノーベル平和賞受賞。

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