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2015年05月26日 11時44分 JST | 更新 2016年05月25日 18時12分 JST

アジアはアジアの夢を見るか?――学生と解き明かす、東アジアの胸の内 『連携と離反の東アジア』編者、園田茂人氏インタビュー

シノドスは、ニュースサイトの運営、電子マガジンの配信、各種イベントの開催、出版活動や取材・研究活動、メディア・コンテンツ制作などを通じ、専門知に裏打ちされた言論を発信しています。

専門性と倫理に裏づけられた提案あふれるこの場に、そしていっときの遭遇から多くの触発を得られるこの場に、ぜひご参加ください。     シノドス編集長・荻上チキ

「アジア統合」「アジアの世紀」など、多様に結びつきを強めつつ、世界でますます重要性を増しているように見える東アジア。一方で領土問題、歴史問題など、その関係は必ずしも上手くいっていないようにも見える。いったい東アジア各国の人々は世界を、互いを、自国を、どのように見ているのだろうか。これまでと今とこれからは、違っていくのだろうか。

東アジアにおける「連携」と「離反」の動きを、学生を中心とする執筆陣が様々な切り口から解き明かしていくのが、今年3月に出版された『連携と離反の東アジア』だ。編者の園田茂人氏に、東アジアの実情や学生プロジェクトの意義について、インタビューを行った。(聞き手・構成 / 向山直佑)

若手にこそ、データを使ってほしい!

――本書は「アジア比較社会研究のフロンティア」シリーズの第3巻として出版されています。このシリーズはどのような経緯で企画されたものなのでしょうか。

2003年から2008年まで、現新潟県立大学学長の猪口孝氏の主導のもとで、「アジア・バロメーター」というプロジェクトが行われました。このプロジェクトは「データの砂漠」であったアジアに、多くの経験的なデータを提供しました。そして、アジア自身がアジア内部の心理的・社会的結びつきを語る、多くの手がかりを与えることとなりました。

私も中心的に関わっていたのですが、調査が終了し、統合データを作った段階で、このデータを研究者にいかにして使ってもらうか、という問題に直面しました。アジアを横断したデータができたことで、研究者が比較を行えるようになったのは良かったのですが、ある地域の研究者が自分の研究対象のデータだけを使ったり、日中比較のような、限定的で、これまでも頻繁に行われているような比較ばかりが生まれたりと、それ以上の利用が進まない、という悩みにぶつかったんですね。

各国の間の差を説明したり、個々のケースを超えて当てはまる、ある程度普遍的なモデルを構築したりといった作業は、たしかに非常に難しいもので、これまであまり試みられてきませんでした。そうした環境で、統合データをいざ「使って下さい」と公開しただけではうまくいかなかった。

そこで発想を転換しました。研究上の「型」が出来上がってしまった上の世代よりも、むしろ若い世代にデータの活用法を教え、研究を支援したほうが良いのではないかと。また、アジア間比較ですから、やはり言語的にも、アジアの研究者に有利な面があります。そうして2011年頃から、アジア各国の大学から若手研究者を推薦してもらい、データの使い方についてのレクチャーと、各自の研究の報告会を開催するワークショップを行うという企画を始めました。このワークショップに出された優秀な論文を集めたのが、これまで出版された2巻となります。

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ワークショップの様子

学生の、学生による、学生対象の調査?

――『連携と離反の東アジア』の各論文では、アジア・バロメーターも使用されていますが、メインとしては「アジア学生調査」が使用されています。これはどのような調査なのでしょうか。

2008年に、当時私が所属していた早稲田大学大学院アジア太平洋研究科が中心になって、グローバルCOEプログラムを提案しました。これが採択されて、私がその事務局長になります。その一環として、今後のアジア地域統合研究の基礎資料にしようと、アジア6ヶ国の12のエリート大学の学生を対象に、アジア・イメージの構造を捉えるプロジェクトを立ち上げ、日本リサーチセンターを委託先に調査を行ったのが第1波調査です。

その後、私が東京大学へ移ったこともあり、それ以降この調査を使用した分析はあまり行っていなかったのですが、前回の調査から5年後にあたる2013年に、「このタイミングで同様の調査を行えば、学生の意識変化をめぐる興味深い資料が得られるはずだ」と思うようなりました。そこで、学生への機会の提供という意味も込めて、今度は学生が参加するプロジェクトとして、アジア学生調査第2波調査を実施し、統合データを作成することにしました。

今回出版された第3巻の各章は、こうして作成されたデータを用いて、様々な観点からアジアの統合に関連する問題に対してアプローチする論文になっています。

中と外から見る「中国」

――本書は3部構成になっています。まず第1部「中国の台頭がもたらすインパクト」からお聞きしたいと思います。私も参加している第1部は、「中国の台頭はアジアにどう認知されているか」(第1章)、「東南アジアの対日・対中認識」(第2章)、「越境する中国への受容と反発」(第3章)の3編からなっています。このセクションからはどのような結論が得られましたか?

ひとことで言うと、「中国国内で考えられているよりも、現実の認識は複雑である」ということでしょうか。中国国内で共有されている典型的な考え方として、「中国が発展することで、周辺の国々も広く恩恵を受けている。中国は平和的な台頭を行っているのに、なぜ周辺国はそれを評価しないのか」というものがあります。

しかし、第1章で示されている通り、周辺国の中国へのまなざしは、中国国内での認識と相当に異なります。日本のみならず、台湾や香港、あるいはベトナムなどの東南アジア諸国でも、中国に対する警戒は根強い。ただし、同時にそうした国々のなかでも、警戒の度合いや種類には多様性があります。

例えば日本をとってみても、一部で「日本と東南アジア各国は、連携して中国に対抗するべきだ」というような、実際の東南アジア各国における認識と異なる考え方が存在する一方で、より自制的な意見も存在することが、第2章からはうかがえます。

また第3章が指摘するように、周辺国で中国人が増加する状況にあって、中国人の知人や友人が増えることで相互理解が深まり、排斥感情は緩和されるのかというと、たしかに一般的にはそうであるものの、例外も存在することが明らかになっています。

台頭する中国への認識には、シンプルに言い表すことのできない複雑な「ひだ」があるのです。これを実証的に示したのが、第1部の各論文であると言えるでしょう。

――中国国内での認識と、周辺国における認識は、実際どのように違うのでしょうか?

一例を挙げますと、「中国の台頭は私たちに多くのチャンスをもたらしている」という意見への賛成度を問う2013年度調査があります。この質問に対して、「大いに賛成」あるいは「賛成」と答えた人の割合は、中国では96.8%で、これはまあ当然と言えますが、その他の国や地域では、シンガポールの82.4%、香港の84.1%といった高い値から、日本の40.1%、ベトナムの35.6%と、かなりばらつきのある反応が見られます。

他にも、「中国は興隆しているがアジア各国との関係を平和的に保つだろう」という文言に対しては、中国では85.5%の人が「大いに賛成」あるいは「賛成」を選んでいますが、他の国の回答は分かれています。中国と直接的な領土紛争を持っていないタイでは59.8%、シンガポールでは49.8%の人が賛成していますが、領土紛争を抱えているベトナムでは12.2%、フィリピンでは31.3%、韓国では18.8%、そして日本では13.9%の人しか賛成していません。

中国の台頭に関しては、これを素朴にチャンスと捉える意見から、かなり懐疑的な意見まで、一つに割り切れない反応があるといってよいでしょう。

――つまり、中国国内では中国の台頭に楽観的だが、国外では批判的、と単純に言い切ることもできないわけですね。

その通りです。実際、例えば日本をとってみても、色んな意見があります。「東南アジア各国も日本と同様に中国に批判的なのだから、彼らは味方であり、協力すべきだ」というような単純な言説がメディアに表れることも多いですが、これが成り立つかはかなり疑問です。そうした異なる認識があることを考えると、中国人への排斥感情に与える知人や友人の有無の影響が、場合によって異なってくるのも頷けるでしょう。中国への感情は、中国人への感情とも繋がってきます。

欧米>アジア?

――第2部に収められているのは、「英語化するアジア?」(第4章)、「アジアの域内留学は活発化するか」(第5章)、「日系企業を好んでいるのは誰か」(第6章)の3編です。この3編は中国というテーマからは離れ、アジアにおける「流動性の高まり」を論じていますね。

このセクションもひとことで言えば、「アジアの人々は、日本やシンガポールなどを中間としつつも、言語教育・留学・企業選択の各面において、お互いよりも欧米への志向が強い」ということになるかと思います。

私たちの身の回りでも「これからは中国語の時代だ」などと耳にすることはありますが、第4章の分析によれば、日本語や中国語については、たしかに文化的魅力や経済成長などの理由から、子どもを育てる上で習得を薦める傾向が見られはします。しかし、全体としてみれば、やはり「普遍言語」としての英語への志向が非常に強いという現状があり、当面はこの英語化が進んでいくと考えられます。

一方留学に関しては、留学志向はこの5年の間に強まっており、アジア域内での多様な留学先が選ばれる一方で、欧米志向は依然として根強いことが、第5章によって示されています。

最後に第6章では、言語教育、留学の次のステップである企業選択の段階について分析しています。世界の多国籍企業が進出しているアジアですが、そこで人々が日系企業を就職先として選択する理由には、ソフト・パワーや自己肯定感といった要素が働いており、欧米企業を頂点としたヒエラルキーのなかに日系企業が位置づけられています。

――どういうことでしょうか?

これまでの経営学では、雇用の安定性といった日系企業の強みが評価されて、アジアの学生は日系企業を選んでいると考えられてきました。しかし第6章の分析を見ると、実際には学生たちは、欧米系企業がもっともレベルの高い企業で、日系企業はそれに次ぐ二番手だと認識しています。つまり、欧米系企業に行けるほど自分に能力があるとは思えない、自己肯定感がより低い学生が、日系企業を選んでいるというわけです。

――「行けるものなら欧米企業に行きたいけれども、そこまでの自信はない。でも日系企業なら行けるかもしれない」と。

そういうことになります。

――それはなかなか衝撃的な結果ですね。

この結果がどれほど一般化できるかは今後の研究次第ですが、同じような構造は日本語や、日本の大学への留学についても当てはまると思われます。日本にとっては厳しい現実かもしれませんが、興味深い発見だといえますね。

アジア統合のカラダとココロ

――第3部「東アジア共同体への胎動?」はいかがでしょうか。「ジャパン・ポップはソフト・パワーとして機能するか」(第7章)、「東アジア共同体成立の心理的基盤を探る」(第8章)、「学生の意識に見るアジア統合の展望」(第9章)と、近年話題に上ることが多い東アジアの地域統合についての論考が並びますね。

全体として、「地域統合論が期待するほど、アジアの地域統合は人々の日常生活に定着していない」ということが、言えるでしょう。

国際政治学を中心に、制度的な枠組み作りをめぐる議論が先行しています。ですが、「アジアは一つ」と口で言うことはできても、そこに至る道を、アジアに生きる人々は具体的にイメージできていないのではないかと思われます。政治制度として統合はありえても、自分の人生としては見ていない、ということでしょうか。

こうした点への配慮なしに、制度設計をすることには無理があるのではないか、と考えています。ただ、だからといって、統合は無理だといった悲観論に立っているわけではありません。

各章の議論を見てみましょう。第7章では、近年もてはやされがちなソフト・パワーについて論じられています。ソフト・パワーは、一般的に思われているような、自国のイメージを良くする「万能薬」のようなものではありませんが、友人関係を持つことが部分的にはイメージ改善につながる。このことを、日本の映像コンテンツの視聴頻度と、韓国・中国における対日イメージの関連を分析することで示しています。

また第8章では、グローバリゼーションへの接触度が高く、英語ができる者ほどアジア人意識が強まる傾向が示唆されています。ただ、日本人のアジア人意識が一貫して低いことは、日本におけるアジア地域統合に対する関心の低さを端的に表しているといってよいでしょう。

最後に第9章では、アジア人意識の規定要因や、アジアにおける共通の脅威認識の有無について考察しています。そこでは、経済統合の進展がアジア人意識の生成に貢献している一方、アジア各国に共通する脅威が存在していないことが確認されています。

――共通する脅威が存在していない、というのはどういうことでしょうか?

地域統合を考える上で、何か共通の問題があり、それに共に対処しなければならない、という認識が共有されることは非常に重要です。つまり、共通する脅威があることは、統合を促進すると考えることができるわけです。

しかし、アジア各国における脅威認識を分析してみると、例えば日本で大きな脅威として認識されている「社会の高齢化」「少子化」といった項目は、タイやフィリピンではほとんど脅威として認識されていません。逆に、これらの国々で脅威とされている「貧困」や「違法薬物や薬物中毒」は、日本や韓国では脅威としては認識されていません。

似た脅威認識を持つ国々をグループ化してみると、東アジアの国々は大きく4つのグループに分けられそうです。

第1は日本・韓国・台湾からなるグループで、これらの国々では経済発展が進んでいて、政治的にもそれほど脅威がありません。これらの国々における脅威は「高齢化」などです。第2のグループは、フィリピンとタイからなり、発展途上国として共通の経済的・政治的問題(「人口過剰」「難民と亡命問題」など)を有しています。

次に第3のグループを構成しているのは、中国とベトナムで、共産党の支配が同様に続いていて、「汚職」など、政治的問題において似た脅威認識を有しています。最後にシンガポールですが、シンガポールは先進国である一方、東南アジアに位置しているため、第1のグループ、第2のグループのどちらとも脅威認識をある程度共有していると考えられます。

このように東アジアでは、かなりばらつきのある脅威認識を持っている国々が集まっているので、少なくとも心理的・社会的な面で統合を進めるのは容易ではない、と思われますね。

学部生にもここまでできる!

――本書の執筆者の多くは学部生です。何か特別なお考えがあったのでしょうか。

自分の論文を出版する機会は、大学院生でもなかなかありませんから、学部生にそれをさせるのには、大きなリスクがあります。途中でモチベーションを失ってしまったり、頑張ったけれどもよい論文が書けなかったり、というような可能性が高くなるわけです。

ただ、これまでの経験から、ある程度こうしたプロジェクトの実現可能性については、自信がありました。というのも、私は東京大学へ来る前は早稲田大学に、その前には中央大学にいたのですが、2000年頃から、中央大学の学部生を対象にしたゼミで、毎年学生のイニシアティブによるプロジェクトを行ってきました。それを繰り返していくうちに、私のなかで「ここまでは学部生でもできる」という、おおよその感覚が身についていったのです。

学部生にはもちろんできないことも多いですが、彼らにしかないみずみずしい視点というものもあり、無茶な議論や計画をしてしまうことがあったとしても、それが無茶であるということがわかった時点で学部生として十分学ぶことがあるのです。

――早稲田に移られてからはいかがでしたか?

早稲田で私が務めていたのは、アジア太平洋研究科という学部を持たない大学院でした。そのため学部で違う専門を勉強していた学生も多く、実質的には学士入学のような状態でしたから、それほど学生のレベルが変わったという気はしませんでした。ここで先に申しあげたように第1回のアジア学生調査を行ったのですが、その翌年の2009年に、学生からこのデータを使った論文が書きたい、という申し出を受けました。

そのとき、このアジア学生調査が学生を主体としたプロジェクトであっても良いのではないか、また学生調査という性質からもそれが望ましいのではないか、という考えが芽生えました。

――そこで東大に移られたあと、第2波を学生主体で行おうと思われたのですか。

いえ、実は東大に来た当初は、あまりこれを東大で行おうとは考えていませんでした。というのも、早稲田では30人くらい修士・博士の学生がいて、プロジェクトを実行するだけのマンパワーが容易に確保できたのですが、東大で私の所属している教育課程では、学生がさほど多くない上に日本人の学生が少なく、しかも早稲田の学生に比べて東大の院生はグループワークに慣れていないため(笑)、ここでプロジェクトを行うのは難しい、と思ったためです。

――ではどのようにして今回のプロジェクトにたどり着かれたのでしょう?

東大で大学院生対象のプロジェクトが難しいとなったとき、頭に思い浮かんだのが学部生でした。これまで3つの大学で学生を見てきて、経験が蓄積され、学生をどのように誘導してあげればプロジェクトがうまく進行するのか、私なりにわかっていましたし、「東大なら学部生でも出来るはずだ」という過分な期待もありました。2013年に無事に第2波の調査を終えることができたので、論文執筆も当然できるだろう、とも思いました。データを集めるほうが、それを加工するよりも難しいですから。

――それはなぜですか?

データを集めるためには質問文を考えないといけませんが、質問文を考えるには、その先にある答えがぼんやり見えていないといけません。一般的に、オリジナルなデータを学生に取らせることはなかなかありません。というのも、そのためには深い知識が必要で、力がなければ問いを考えることはできないからです。

しかも、質問がどのような意味を持つのか、ある程度の予測を立てるには、研究の文脈を理解していないといけません。調査対象者に何をどう聞けばよいのか、該当のテーマに関してこれまでにどのような研究がなされてきたのか。これらの知識がないと、データを集めるのが非常に難しくなります。

――最後に『連携と離反の東アジア』刊行に際して、感想をお聞かせください。

職業柄、いろいろな先生の教育活動に注目してきましたが、一際目立っていたのが、東大の法学部で行われていた蒲島郁夫先生(現熊本県知事)のゼミでした。毎年何らかのテーマについて、学生がプロジェクトを実行し、出版にまでこぎつける――こうしたゼミのあり方に感心し、「一度自分もこういったゼミがやってみたいなあ」と思っていました。

アジア学生調査は「学生」調査ですから、学生の方がより内在的に考えることができるのではないかという思いもあって、今回のプロジェクトを企画したわけです。結果的に、学部生でもここまでできるんだ、ということを示せたのではないかと思います。これが一番、ウレシイですね。

連携と離反の東アジア」 (東京大学東洋文化研究所東洋学研究情報センター叢刊)

著者/訳者:園田 茂人

出版社:勁草書房





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園田茂人(そのだ・しげと)

比較社会学・アジア研究

1961年生まれ。東京大学大学院情報学環及び東洋文化研究所教授。現在、総長特任補佐として国際本部・副本部長を務める。主な著作に、『中国人の心理と行動』(NHKブックス)、『不平等国家 中国』(中公新書)、『中国社会はどこへ行くか』(編著、岩波書店)、『中国問題』(編著、東京大学出版会)、『日中関係史1972-2012 Ⅲ、Ⅳ』(編著、東京大学出版会)など多数。

(2015年5月25日「SYNODOS」より転載)

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