イスラム金貨「ディナール」の挑戦

2014年11月13日、イスラム国が金貨ディナールなどの独自通貨を発行すると発表した。しかし、アメリカ主導の国際経済秩序に対するイスラムの挑戦は、10年以上も前から静かに進行していた。
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■国際経済システム改革の挑戦

2014年11月13日、欧米から敵視されるイスラム国が金貨ディナールなどの独自通貨を発行すると発表した。しかし、アメリカ主導の国際経済秩序に対するイスラムの挑戦は、10年以上も前から静かに進行していた。マレーシアのマハティール元首相は、すでに2002年に貿易決済に金貨ディナールを使用しようという提案を開始していた。それは、イスラムの普遍的な理念と構想力によって国際経済システムを変革していこうという平和的な試みである。

以下、『週刊エコノミスト』(2003年1月28日号)に掲載された同趣旨の拙稿を再掲致します(組織名・肩書は当時のもの)。

イスラム金貨「ディナール」の挑戦

2003/01/28 週刊エコノミスト

安定した国際経済システムへの変革を目指すイスラムの平和的な試み――それが「ディナール」である。マレーシアのマハティール首相が強力に推進、賛同者は着実に増えている。

アメリカ主導の国際秩序に対する、もう一つのイスラムの挑戦が静かに進行している。それは決してテロといった暴力的な手段ではなく、イスラムの普遍的な理念と構想力によって国際経済システムを変革していこうという平和的な試みである。

その第一弾が、貿易取引において金貨を使用しようという構想である。金貨の名称は「ディナール」。すでに、イランがマレーシアとの貿易決済でディナールを使用することを提案したとも報じられている。ディナール普及のための事務局をマレーシアに設置する準備も進行している。

金貨「ディナール」

(世界イスラム貿易機構提供)

■ ディナール構想とは

米同時多発テロ事件が起こる1カ月ほど前の2001年8月15日、マレーシアのマハティール首相はイエメンを訪問し、貿易決済においてディナールを使用する可能性を探っていると発言した。

では、なぜいま金貨なのか。金本位制の時代は過ぎ去り、もはや金貨でもないはず。実は、この構想は単なるパフォーマンスの域を超えつつある。

ディナール構想の推進者の狙いは、国際経済の秩序、ルールにイスラム的な価値観を反映させることにある。それには、米ドル依存からの脱却と投機経済の封じ込めが必要となる。これを達成するための起爆剤として構想されたのが、ディナールなのである。ただし、ディナールを各国内の通貨として流通させるのではなく、貿易取引における決済通貨として普及させようというのである。やがて、イスラム的理念が世界経済を動かす、第二のディナール時代が訪れるのだろうか。

いま「第二の」と書いたのは、すでに人類はディナールによるイスラム栄華の時代を経験しているからである。西暦695年、ウマイヤ朝のカリフ、アブドル・マリクはダマスカスでディナールの名で金貨を鋳造、イスラム独自の通貨制度が確立していく。エジプト、ヒジャーズ(現在のサウジアラビア北西部)、チュニジア、スペインにもディナールの造幣所が設けられ、イスラム世界に広がっていった。一方、銀貨としては「ディルハム」が鋳造された。

ムスリム(イスラム教徒)商人たちは、ディナールを携えて世界各地に出かけ、様々な産物を輸入した。ムスリムが活動範囲を広げるとともにディナール、ディルハムは流通範囲を拡大、イスラム圏以外にも広がった。バルト海沿岸やヴォルガ流域から9~10世紀のディルハムが大量に発掘されたことは、イスラム貨幣の広がりの大きさを象徴している。

金の品位96~98%のディナール重量は4・25グラム、ディルハム重量は2・97グラム。ディナール・ディルハムの換算比率は、1ディナール=10ディルハムが標準とされた。現在のディナール・ディルハム構想も、かつての貨幣に準拠しようとしている。国際通貨としてのディナール・ディルハムは消滅したが、現在もアルジェリア、バーレーン、イラク、ヨルダン、クウェート、リビア、スーダン、チュニジア、ユーゴスラビアがディナールを、アラブ首長国連邦とモロッコがディルハムを通貨の名称として使用している。

■ 反投機とドル依存からの脱却

それ自体に価値がない紙幣は、為替相場の変動によって紙くず同然になってしまうこともある。だが、金貨は、変動があってもそれ固有の価値がなくなることはない。この当然のことをマハティール首相は、アジア通貨危機をきっかけに再認識した。

1944年にアメリカのブレトン・ウッズで開催された連合国通貨金融会議は、金1オンス=35米ドルと定め、他の諸国は「金とリンクした米ドル」に対して平価を定めた固定相場制へ移行した。だが、その体制も行き詰まり、ニクソン大統領時代にアメリカは金とドルとのリンクを放棄し、世界は73年から変動相場制に移行する。やがて通貨価値は実需とかかわりなく、トバク的に決められるようになった。

「通貨トバク」は、実際にアジアを襲った。97年にタイのバーツは40%減価した。タイだけでなく、インドネシアのルピア、フィリピンのペソ、マレーシアのリンギにも波及して、97年7月から11月までに、それぞれ60%、40%、30%減価した。この間、マハティール首相はヘッジファンドなどの投機家が危機の引き金を引いたとして容赦ない批判を続けたが、リンギは下落を続けた。

ディナールを推進するマハティール首相

マハティール首相がことのほか投機を敵視した理由こそ、投機を厳に禁じるイスラムの理念からであろう。98年6月、マハティール首相は東京で行った講演で「紙幣が一夜にして紙くずになってしまうなら、国家が通貨を発行する意味はどこにあるのか? こんな状態が続けば、私たちはバーター貿易に戻らざるを得ない」と語っていた。

同年9月1日、マレーシアはついに通貨取引規制に踏み切った。固定相場制への回帰である。マハティール首相は、この断固たる措置によって経済回復に取り組むだけでなく、通貨システムの是正に向けて構想を練ってきた。

原始的な交換は物々交換だが、それはあまりに不便なので通貨が使用される。しかし、そこに正義がなければ一層大きな問題が起こることをイスラムは指摘していた。すべての存在を神のものと考えるイスラムでは、貨幣の貯蔵、退蔵を厳しく禁じ、喜捨(ザカート)をする義務を定めている。コーランには、金や銀を蓄えて施しをしない者には、痛ましい懲罰を告げてやればよいとあるほどである(第9章34~35節)。同時に、イスラムは貨幣自体が富を増大させる手段となることを認めない。これがリバ(利子)の禁止である。だから、労働なく富が増殖するような不労所得は認められない。イスラムは、こうした大前提があってこそ貨幣経済が成り立つと考えている。

そして、ムスリムはシャリーア(イスラム法)に則って経済活動が行われているかを厳しく問い続けてきた。イスラム世界では、ムフタスィブと呼ばれる市場監督官が退蔵がないか、利子の取得がないか、商品の価格が適正かなどを監視してきた。

■ ディナール使用を積極的に呼びかけるマハティール

マハティール政権下では、イスラム経済の拡大が進んでおり、すでに、イスラム金融が国内市場で約22%のシェアに達している。こうしたマハティール首相の姿勢に注目していたのが、スコットランド生まれのシェイク・アブドルカディール氏とスペイン生まれのライス・アブドラ・イブラヒム・バディロ氏である。アブドルカディール氏は、ドル依存の通貨体制から脱却し、イスラム通貨の確立を目指してきた。そしてアブドルカディール氏は、投機家を批判するマハティール首相の発言を賞賛し、ディナール使用を推進してくれると信じるようになった。

バディロ氏はカトリックの家庭に生まれ、自らの意思でイスラムに改宗した人物で、イスラム非営利団体「ムラビィトゥン運動」代表を務める。ムラビィトゥンとは、11世紀のモロッコで、強烈なイスラム伝導意識によってムラーヒト朝成立をもたらした修道士たちである。やがて、ムラーヒト朝はアルジェリア以西とスペインを征服した。彼はムラビィトゥン運動傘下の世界イスラム貿易機構を通じて、92年から私的な「通貨」としてディナールを鋳造しているのである。スペインだけでなく、南アフリカ、アラブ首長国連邦、インドネシアでも鋳造を始めた。もちろん、公定通貨として各国の承認を得ているわけではないが、現状では装身具と同様の扱いで鋳造できる。ディナール鋳造の準備はできているのである。

01年8月1日、ディナールに関心を強めていたマハティール首相はアブドルカディール氏と会談、ディナールの推進に向けて初めて意見を交した。そして、テロ事件後の02年1月末、再びアブドルカディール氏らと会談し、ディナール使用に積極的な姿勢を示したのである。02年3月末、マハティール首相はクアラルンプールで開かれた「国際イスラム資本市場会議」でディナール使用を呼びかけ、「各国通貨を、投機のリスクがほとんどないディナールとリンクさせることで、為替相場が安定する」と主張した。

■「e―ディナール」構想も

ディナール推進の立場を固めたマハティール首相は、提案のためにイスラム諸国を回った。02年4月17日にはモロッコを訪れ、議員やシンクタンク関係者、イスラム知識人と対話し、ディナールの実用化を訴えた。続いてリビア、バーレーンを回り、ディナール使用を提唱した。7月には、マレーシアを訪問したイランのハタミ大統領にディナール使用を呼びかけた。その後も、マレーシアではディナールに関する啓蒙のため、イスラム関係機関の主催でセミナーが度々開催されている。

イスラム諸国が再び主役に?

 この間、8月末にはマハティール首相の経済アドバイザー、ノル・モハメド・ヤコプ氏が、03年中にイスラム国家間の貿易決済通貨として、ディナールの使用が始まるだろうと語った。

イランではいま、モジャラド中央銀行副総裁らが、米国債などのドル資産で保有している外貨準備をユーロ建てに転換する構想を提唱しはじめている。ドル離れは、静かに開始されているのである。『テヘラン・タイムズ』紙によれば、ドル離れを見せるイランはマレーシアとの貿易決済でディナールを使用することを提案した。

確かに、金の供給量には限界があり、ディナールの広範囲の普及を疑問視する声もある。だが、貿易決済において必ずしも毎回ディナールを使用する必要はない。すでにマレーシアは、輸入額を毎回支払うのではなく、2国間の貿易バランスを計算して、合意した通貨によって差額分だけを支払う2国間支払い協定を24カ国と締結している。この方式によって差額分だけをディナールで支払うようにすれば、ディナールの移動は最低限で済む。

そして、現在考えられているのが、電子商取引の利用である。実は、ディナールの推進者バディロ氏は、現物のディナール金貨と交換可能の電子マネー「e―ディナール」の使用を推進しており、すでに160カ国、30万口座が開かれている。バーチャル化は、マネーゲームに拍車をかけるが、一方で投機を抑えようとするディナールの拡大を支える武器となるかもしれない。バディロ氏がマハティール首相に注目したのも、イスラム圏の中でマレーシアが最もITの利用に積極的だからでもある。

マハティール首相には、決して現行の通貨システムを混乱させる意図はない。時間をかけて慎重にディナールを定着させていこうとしている。まずは、2国間のディナール取引から始め、徐々に多国間のシステムに発展させていく方針である。

■ 強い関心を示す英国のキリスト教団体

確かに、支払い手段として金を使用することに関して国際通貨基金の禁止事項があるとの指摘もある。しかし、バディロ氏らは、「たとえ20人でも、我々は、金貨を使う貿易圏を創造できる」と語っている。意志さえあれば、ディナール通貨の使用は実現するだろう。

今年10月には、イスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議がマレーシアで開催される。この会議を花道に引退するマハティール首相が、イスラムのリーダーが集結するこの会議でディナール推進の合意ができるよう積極的に動くとの見方もある。

かつてイスラム圏は活発な経済活動によって繁栄の時代を築いていた。近代以降、経済発展が遅れたのは、ムスリム大衆が欧米型経済システムに強い違和感を抱いたからでもある。イスラム的な理念に支えられた決済通貨が拡大することによって、イスラム諸国間の貿易が活発となり、再びイスラム諸国が経済発展の主役になるかもしれない。

経済発展によって発言力を拡大したムスリムは、イスラムの価値観に基づいて現在の国際経済秩序の変革を要求するようになるだろう。ただし、ディナール構想はイスラムの固有性の主張ではなく、経済における正義に関心を示す普遍的な構想であると認識すべきではなかろうか。ディナールに関するシンポジウムには、ムスリムだけでなく、「通貨の正義」の回復を目指すイギリスのキリスト教団体なども参加している。日本は、このイスラムの静かな動きに注目する必要があるだろう。

(2003年1月28日号「週刊エコノミスト」より転載)

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