ミズーリ州に住むその男性は、Tesla Model Xの自動運転機能に助けられなければ、病院に無事たどり着けなかったかもしれない(via Slate)。
Model XのオーナーであるJoshua Neally(37)は、職場の法律事務所からの帰宅途中、肺塞栓症に襲われた。Neallyが20マイル余りの幹線道路の運転をオートパイロットに任せると、システムは車とドライバーを病院近くの出口ランプまで運び、Neallyは残りの道のりを走りきった。
先のフロリダの死亡事故以来、Teslaのオートパイロットシステムは厳しい目にさらされているが、これはシステムがドライバーを助けた明白な事例だ。
すぐ頭に浮かぶのは、Neallyが自動運転機能に頼るより、路肩に車を寄せ救急車を呼んだ方が総合的に安全だったのではないかという疑問だ。なにしろNeallyは症状が出た後の「走行状況の記憶」が殆どないことを認めているのである。
しかし、Neallyが運転を続けたことが正しい判断だったかどうかは別として、これはオートパイロットのような安全機能の重要性と必要性を証明する事例だ。医療緊急時など人命に関わる状況下で、われわれの行動について正常かつ論理的で誠実な判断を下せる人はほとんどいない。
Neallyは地元のNBC系テレビ局KY3のインタビューに答えて、肺塞栓症の症状を感じたとき「考えたのはERへ行かなくていけないということだけだった」と言った。言い換えれば、Neallyは事実上パニック状態にあり、とるべき行動はできるだけ早く病院へ行くことだと本能が命じたのだろう。
身体に著しく無理のかかった状態で運転を続けることは最良の選択ではないかもしれないが、それは人間的行動であり、またオートパイロットがNeallyを病院へ無事送り届けたことは実に感動的だ。
もし、症状が深刻で運転を続けたり判断を下すことが身体的に不可能な場合、オートパイロットはフェイルセーフモードに入り、速度を落としハザードランプを点滅させながらゆっくりと路肩に車を寄せる。
果たしてこの状況下でドライバーは、車を止めて救急車を呼ぶより、システムがあるなら何とかして運転を続けるものなのか、またオートパイロットに運転させることは他の方法と比べて安全なのかどうかは議論のあるところだ。
しかしはっきりしているのは、命の危険を感じた人間が合理的知識に基づく判断をするとは限らないことであり、それこそが、自立走行技術が最大の影響を及ぼせる場面だ。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)
(2016年8月8日 TechCrunch日本版「Tesla Model Xのオートパイロット、肺塞栓症の運転手を病院へ運ぶ」より転載)
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