今日も5時過ぎに目覚めたのですが、窓に目をやるとあいにくの雨。
激しい降りで、ウォーキングは断念せざるを得ませんでした。
残念!
降りやまない雨を見上げて、「何とか雨が降らないようにできないか?」と考える。
このようなことを一生懸命に考える人はいないですよね。
なぜならそれは、「不可能」だと明らかに分かっているからです。
雨ならわかりやすい不可能です。
でも、なかなか「こだわり」や「感情的なこと」があると、すんなり不可能と思いきれないこともありますよね。
自分の事は不可能と認めづらいもの
別れた好きな人に気持ちが残っていたら、追いかけたくなります。
あのとき大学へ行っていたら、と後悔し続ける。
怪我をしなければきっと、と想像する。
......
天気ならば変えられないと認められても、自分のことは難しいものです。
ただ、天気そのものは変えられなくても、別の方法を試す、今後のために対策する、こういったことはできるのではないでしょうか?
変えられないならば別の方法を考えてみる
たとえば「雨でもウォーキングするんだ」と決めれば、出かけることもできます。
- 濡れても帰って着替えればいい
- 傘や合羽を使う
- 大きなショッピングモールで歩く
- 地下街が近くにあれば、そういったところで歩く
とまぁ、考えてみればたくさん方法はあることでしょう。
「なんとかしようと思うか?」ということや「アイデア」次第なのかもしれませんね。
ルールやお金に制限がなければ、もっとたくさんあるでしょう。
それは次への対策や、時間のかかること、になるかもしれませんけれどもね。
- ウォーキングの為のマシンを買って部屋へ設置する。
- 家の周りに下屋(屋根)を設置する
- 地域一帯に屋根を設置して濡れないようにする(笑)
(法律や常識を疑われますかね、でも雨を止めるより可能性があります)
不可能な事にはこだわり続けない
雨に対していろいろと考えられるならば、その問題やこだわりに応用することはできないものでしょうか?
別れた人が気になるのは、その人といれば幸せだと思うからではないでしょうか?
だとすれば、別の人とより幸せになるという可能性はありませんか?
それこそ別れようなんて、お互いに思わないほどに......
学歴が必要ならば、放送大学や大学の通信もありますよね。
1つの分野だけならば、独学でプロレベルになる人もいます。
時間をまき戻すのはちょっと無理ですからね。
おなじ怪我をしないように、予防的なトレーニングやストレッチを学び実行する。
怪我をした経験から、メンタル、コンディショニング、身体構造などを学ぶ、それを仕事などに利用する。
1つの事を直線的に解決しようとすることだけが、解決とは限らないと思います。
こだわっていることが、「変えようと思って変えることのできることかどうか?」という問いは、ときに気持ちの部分で辛いことかもしれませんが、重要なことです。
あなたは不可能なことに、こだわり続けたりしていませんか?