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2018年03月19日 10時13分 JST | 更新 2018年03月20日 08時36分 JST

「御殿場事件」裁判を10年近く取材したわたしが、ドラマ「99.9」に思うこと

ドラマの結末とは異なり、現実には少年たちの無実の訴えは却下され、有罪判決となり収監された。

サンデーステーション」が「日曜劇場99.9―刑事専門弁護士Ⅱ」(TBS系)の裏番組という大人の事情が(笑)ようやくなくなったので、思うところを書いてみたい。

「刑事事件の裁判有罪率は99.9%。つまり起訴されたら、99.9%は有罪になる」という日本において、わずか0.1%の可能性に賭け、被告人の無実を立証しようと奮闘する弁護士たちを描いたドラマ「99.9」。

私自身このドラマのファンなのだが、しつこいようだけど自分の担当する番組が同時間帯だったので、録画をして楽しんでいた。そして、シーズンⅡの第五話を録画視聴したとき、番組冒頭から画面にくぎ付けになった。その内容が2000年代に実際に起きた「御殿場事件」に酷似していたからである。

放送後からネット上には私と同じく、「御殿場事件」との類似性に気付いた視聴者を中心に、多くの反応が寄せられていた。主人公の深山大翔弁護士を演じているのが、嵐の松本潤さんということもあり、たくさんの若い人たちがこの裁判の異常性に驚き、矛盾について語っていた。

それを読みながら、私は若い視聴者がドラマ内容に似た裁判が現実に起きていることに驚愕していることを目にして感銘を受けた。それは、私自身が「御殿場事件」裁判を10年近くにわたり取材し、誰よりも多くの人にこの理解しがたい裁判について知ってほしかったからである。

「御殿場事件」は2001年に発生した複数の少年たちによる「女子高生強姦未遂事件」である。実際の事件経緯と裁判については、「踏みにじられた未来―御殿場事件・親と子の10年闘争」(幻冬舎)に裁判官への取材も含め、すべて書いてあるので興味のある方は参考にしてほしい。

ドラマの結末とは異なり、現実には少年たちの無実の訴えは却下され、有罪判決となり収監された。現在は出所し、悔しい思いを抱えながらもそれぞれの道を歩んでいる。

ドラマ「99.9」に描かれた少女・少年の設定、罪状(ドラマは強姦事件・御殿場事件は強姦未遂事件)、起訴された少年の一人が別件の被疑者だったといった細部は実際と異なる。

しかし、被害者とされる少女が、「当初の犯行時間帯に他の男性と会っていて、それを親に隠すためにウソをついた」こと。「携帯電話記録や会っていた男性の証言によってウソがバレると、犯行日は実は一週間前だと証言を変えたこと」「それを受けて、なんと裁判所が訴因変更をし、犯行日を変更したこと」などは現実の「御殿場事件」と同じである。

ちなみにやはり細部は違うが、少年の一人が当初の犯行時間に「焼肉屋」にいたというアリバイを立証するため、当時と同じ服を着たメンバーに集まってもらい検証をしたこともドラマを観て懐かしく思い出した。

「御殿場事件」では、犯行日が変わったがために、当初の少年たちの調書と明らかな矛盾が出てきた。例えばはじめの犯行日に現場の公園は工事中だったのに、変更後の犯行日に公園では工事が行われていない。

しかし、逮捕された少年は全員「現場が工事中だった」と証言している。彼らは「警察の言うとおりにうなずいているだけだったから」と話しているが、こうした矛盾にも関わらず、裁判はそのまま進められた。そして最大の矛盾は犯行日が一週間前倒しになったことによって生じた「天候の違い」である。

被害者とされる少女は「傘をさしたような記憶はない。服が濡れた記憶もない」と証言している。

しかし、変更後の犯行日は台風15号の接近により、東海地方に「大雨・洪水注意報」が出され、現場とされる公園付近では一時間に3ミリの雨が記録されているのだ。朝から断続的に降り続いた雨にも関わらず、「芝生に押し倒された」という少女に「服の濡れた記憶がない」という矛盾。

弁護側が深山先生なみの無罪立証データを揃えたにも関わらず、数々の疑問を放置したまま裁判は進行し、最高裁でも有罪判決が出された。物的証拠は何ひとつなく、はなはだ任意性の疑わしい自白調書を唯一の証拠としてである。

こうしたあまりにも理解しがたい裁判が現実に起きていることを、ドラマという形で多くの人に知ってもらえることが嬉しい。「御殿場事件」については有罪判決のため、私の立場で「冤罪」ということはできないが、今でも多くの疑問に答えが出ていない。

近年記憶に新しいところでも、大阪地検の郵便不正事件、足利事件、志布志事件、富山氷見事件、布川事件、東住吉放火事件など、冤罪事件は枚挙にいとまがない。

冤罪の最大の罪は「無実の人の人生を、権力が根こそぎ奪い葬ること」である。よりたくさんの人がこうした事件や裁判に大きな関心を向けることで、次の冤罪を生むことを減らすことにつながると信じている。