制御困難な"マジックアイテム"としてのインターネット

たくさんの人がネットで燃えていますね。素人っぽいアカウントだけでなく、経験に富んだメディア人が騒動を起こすこともあり、インターネットの難しさを垣間見るような気がします。

去年も今年も、たくさんの人がネットで燃えていますね。素人っぽいアカウントだけでなく、経験に富んだメディア人が騒動を起こすこともあり、インターネットの難しさを垣間見るような気がします。

最近は、そうしたメディアのベテラン勢がtwitterアカウントを閉鎖することもあると聞きました。わかるような気がします、インターネットに書き込んだ短文が、予期せぬ反応や誤解を招いて一人歩きすることもありますからね。twitterがテレビと同等以上のリスクを孕み、にも関わらず(時間や精神力の)費用対効果の面でメリットが見えにくいなら、やめてしまうのは合理的な選択だと思います。

他方、無名の人にとって、インターネットの伝播力がもたらしてくれる知名度は今日でも魅力的です。瞬間的な心理的欲求の充足はもとより、若干なりとも衆目を集め続けられれば、種々の利得を得ることができます。そうした種々の利得が大きなモチベーション源になっているからこそ、"小説家になろう" "ニコニコ動画" "pixiv" "はてなブログ"といった個々のネットサービスが繁盛してもいるのでしょう。【ネットの伝播力を利用する→知名度を得る→実利を手に入れる】といった構図を夢見る人は珍しい存在ではありません。

でも、この構図ってどうなんでしょうね?

メディア人の失敗や撤退と、これから有名になってやろうと意気込んでいる人達の対照をみていると、空恐ろしい気がするんですよ。

長年メディア活動に携わってきた人達ですら尻込むようなインターネットなるメディアを、右も左も知らないルーキーが利用してやろうというのです。なんていうんですか、喩えるなら、ベテラン魔術師が匙を投げるような強大な"マジックアイテム"を見習い魔術師が怖い者知らずに触っているような、そういう危なっかしさがみえるんです。制御不能な強大なパワーを自分の知名度獲得のために利用してやろうと前のめりになった挙句、インターネットという名の"マジックアイテム"に喰われてスッテンテンになっているような、そういうアカウントの末路を、あなただって一度や二度は目撃したことがあるのではないでしょうか。

年を経るにつれて、メディアとしてのインターネットは実利を稼ぐという意味でもパブリックな表現の場としても変化を遂げ、影響力を増していきました。のみならず、表現の場も手段も広がり、様々な才能・コンテンツの生態系を織りなしています。インターネットという名の"マジックアイテム"はますます強くますます身近なものになった、とも言えるかもしれません。

ただ、これだけ強大で間近になっただけに、インターネットを制御し損ねた時のダメージ、失敗した時に直面する問題も間近になっているように思えるのです。ここでいう失敗とは、単発の炎上インシデントひとつひとつを指したいわけではありません。知名度を追いかけているうちにモラルや節度を見失ってしまったとか、知名度の魅力にあてられるあまり、本当に大切にすべき人間関係を疎かにしたりするようなものも含みます。

そもそも、実利に直結するような知名度や影響力自体、人間を虜にしてしまう危険なものじゃないですか。しかも、ネットの瞬間最大風速はプロも素人もお構いなしなところがありますから、パワーを制御可能な水準にとどめようと思っても簡単にコントロールできるものじゃありません。自分では制御出来ているつもりになっていたらいつの間にか制御不能なパワーに乗せられてしまい、深みに嵌まってしまいやすいのがインターネット――とりわけ知名度や実利に魅入られたインターネット――なんじゃないかと思うのです。

もちろん、十分に注意深くて期間が限定されているなら大丈夫でしょう。でも、これとて「十分に注意深くて」「期間も短いなら」という但し書き付きのもので、不注意な人はいつでも燃えるし、期間が長引けば多かれ少なかれ困難なインシデントがやって来るでしょう。考えてみてもくださいよ、たとえ炎上確率を一日あたり0.1%程度に抑えても、千日も経てば一度ぐらいは燃えてしまうんですよ? 非難が集中している時の対処やメンタルコントロールの難しさを思うにつけても、そういうリスクは侮ってはなりませんし、また「自分だけは大丈夫」などと思ってかかって良いとは思えません。

だから、ネットで――というよりメディア全般で、と言い直してもいいのかもしれませんが――知名度や影響力を実利に転換しようとしている境遇ってのは、ダモクレスの剣のようなものだと私には思えます。ユーチューバ―やプロブロガーみたいな役回りに憧れる人もいるみたいですが、彼らの華やかさとは、油断していると天井から剣が落ちてくる宴の華やかさですよ。それも、天井から落ちてきた剣に刺されて果てる瞬間までもが見世物として意識されているような、そういう華やかさです。

にも関わらず、自分達が制御困難な"マジックアイテム"に手をかざしているという自覚も、天井から剣が落ちてきて串刺しになるかもしれない懸念も、思ったほど浸透していないように思えるんですよね。

インターネットというメディアに向かって手をかざして何かを引き出したいと思っている人は、それが制御困難な"マジックアイテム"だと肝に銘じておいたほうが良いのだと思います。そして折に触れて襟を正し、兜の緒を締め、自分自身の覚悟や器量を問い直すべきなんでしょう。自戒を込めて。

(2015年1月21日「シロクマの屑籠」より転載)

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