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シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「最前線のアフリカ」です。
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急速に進む土地取引
今世紀に入り経済成長を始めたアフリカでは、都市化が急速に進んでおり、2030年には全人口に占める都市人口の割合が50%を超えると予想されている。逆にいえば、現在でも人口の半数以上は農村部で、農業や牧畜など自然に密着した生活を送っているわけである。
農村部にくらす人びとにとって、作物を耕す農地や、家畜に草を食ませる放牧地は生活の基盤だ。その生活の基盤から人びとを引き剥がしかねない事態が2000年代後半から進行している。外部資本による大規模な土地取得と商業農場の開発、つまり「ランド・ラッシュ(土地争奪)」や「ランド・グラブ(土地収奪/強奪)」と呼ばれる動きである。
ランド・グラブの事例はアジアや中南米などからも報告されているが、その中心的な舞台はアフリカである。取引の実態を正確に把握することは困難だが、国際土地連合(International Land Coalition)による見積もりでは、2000年から2011年11月にかけて世界で約2億3百万haの土地をめぐる取引が承認されるか交渉過程にあった(Anseeuw et al. 2012)。
日本の国土は約3778万haであるから、その5倍以上にもおよぶ土地が、わずか10年程度のあいだに取引対象とされていたことになる。そして、そのうちの約70%はアフリカ大陸の土地だった(注)。日本もこの動きと無関係ではない。日本のODA事業として進められているモザンビークでの「プロサバンナ事業」は、現地の市民社会組織から土地収奪ではないかとの批判を受けているからだ。
(注)土地取引の規模については多様な数値が飛び交っている。相対的に確実性の高いデータに基づいて慎重に土地取引を同定しているのはLandMatrixである。
この動きが広がる直接のきっかけとなったのは、2007~08年の国際市場における穀物価格の大幅な上昇だが、より構造的な要因としては、各国での食料安全保障への関心の高まりやバイオ燃料への需要増加、土地を投機先とするグローバル資本の動きなどが挙げられる。アフリカの多くの国で土地の貸借料は格安に、また契約年数は数十年単位に設定され、投資家に対する税制上の優遇措置も与えられている。これらの契約内容から、近年の土地取引を「21世紀のアフリカ分割/植民地化」と呼ぶ人もいる。
だが、この表現は誤解を招きやすい。たしかに数千から数万ha単位で土地を取得しているのは外国の資本だが、アフリカ諸国の企業や投資家も、取引規模は小さいが全体として多くの土地を取得しているからだ。各国政府も資本と連携しながら土地取引を推進している。土地取引とそれに続く農場建設は、農業生産性の向上や外国直接投資の増加、国内統治の強化といった目標を掲げた政府による開発戦略の一環なのである。
欧州列強がアフリカ側の意向など顧みることなく土地を山分けした19世紀とは異なり、今日の土地取引では、アフリカの政治・経済エリートが一定の「主体性」を発揮しながら事態が進展している。
狙われる牧畜民の土地
では、取引対象とされているのはどのような土地なのだろうか。ここではアフリカ大陸の北東部に位置し、ランド・グラブの中心的な舞台の一つであるエチオピアを事例としよう。最新の報告によれば、1992年から2013年にかけてエチオピアでは全農業適地の3.8%にあたる210万ha以上の土地が取引されたという(Shete and Rutten 2015)。
同国では5千ha以上の土地取引は次のように進む。中央政府の農業省内に設けられた農業投資土地行政局が、州政府に農場開発に適した土地を同定するよう指示する。州政府から提示された土地は、「連邦土地銀行」というヴァーチャルな銀行に確保される。土地取得を望む者は、投資ライセンスを取得した後、農業省にビジネスプランを提出する。審査がとおると、「連邦土地銀行」に登録された特定の土地の利用権を得る。
このプロセスにおける最大の問題は、州政府が土地を同定する際にしばしばその利用実態を把握していないことだ。広大な農業適地が手つかずのまま残されているなどという「おいしい」話が、あちこちに転がっているものだろうか。
各種レポートを参照すると、取引対象とされた土地は、実際には牧畜民が利用してきた土地であることが多いようだ。すべての土地が国有のエチオピアでは、2000年前後から土地登記が進み、個人の有する土地利用権の明確化が進んだが、首都から遠く離れた牧畜地域では登記作業がおくれている。この遅れをついて牧畜民のもとから土地が失われつつあるのだ。
牧畜民の生活は家畜とともにある。子どものころから家畜の世話をして、親密な関係を築いていく。
牧畜民は家畜とともに広い空間を移動しながら生活している。すべての土地を通年で利用しているわけではないが、いずれも季節放牧地として彼らの生活に不可欠な土地である。だが、外部者の視点からは牧畜地域には土地が余っているとみなされやすい。多くの国の政府は、その土地を「無人地帯」などと呼んで農地や自然公園へ流用し続けてきた。これは、牧畜民の土地利用に対する単なる無理解の結果というよりも、牧畜民から土地を剥奪するために「確信犯的な勘違い」が黙認されてきた結果として捉えるべきだろう。
驚くべきは、1995年憲法第40条第5項に「エチオピアの牧畜民は、みずからの土地から追い出されない権利だけではなく、放牧や耕作のために土地を自由に扱う権利を有する」と記した現政権が、その十年後には過去の政権と同じ理屈を持ちだしながら、牧畜民の土地を「投資家向けの土地」として同定していることである。
農場開発の現場から
取引が完了し農場開発が開始された現場ではなにが起こっているのだろうか。私はエチオピア西南部の牧畜民がくらす地域で調査を続けてきた。この地域には、2000年代半ばからイタリアやインド、エチオピアの企業が5つの商業農場を次々と開設し、トウモロコシや綿花、ジャトロファ(バイオ燃料の原料となるトウダイグサ科の多年生植物)などの栽培を始めた。その際には、土地を放牧地や居住地として利用していた数百世帯が補償を得ることもないままに立ち退きを強いられた。
農場に雇用された地域住民。仕事は、牧畜民の家畜が農場の作物を食い荒らさないように警備することだ。仲間の家畜を追い払わなければならないのは複雑な気持ちだと、この人物は語った。
政府や企業が、大規模な農場開発を正当化する論拠として必ず挙げるのが、農場がもたらす雇用創出と技術移転である。土地を失った地域住民には新たな仕事と技術が与えられ、よりよい生活への道が開かれるという筋書きだ。だが雇用に関していえば、いずれの農場でも雇われた人の多数を占めるのはエチオピアの中南部から移住してきた人びとである。農場側としては、すでに農場労働の経験があり、農場の監督者が会話に用いる言語(アムハラ語)を話せる地域外からの労働者のほうが「使いやすい」からである。
また、農場に雇用された数少ない地域住民も、数日から数カ月程度で仕事をやめてしまうことが多い。離職した人にその理由を聞くと、返ってくるおもな答えは厳しい労働環境と給料への不満である。インド企業が経営する農場で働く20代の男性は、毎朝7時にはキャンプから農場へ向かい、固い灌木を鉈で切り続ける。サバンナの陽射しは朝9時前にはきつくなり、11時ごろになると目を開けていられないほどの砂埃が吹き荒れるので、木陰で休憩となる。
簡単な昼食を取ると陽が傾くまで再び同じ作業を続ける。農場は食事や飲み物を用意してくれないので、キャンプにもどって自分たちで料理した夕食を食べると、堅い大地に敷かれたブルーシートの上でほかの労働者との雑魚寝だ。このようなきつい仕事に励んでも給料の額は少ないだけではなく、その遅配も頻繁に起き、適切な説明を受けないままに給料の額が減らされていることもある。農場の監督者からの高圧的かつ差別的な言動と扱いに嫌気がさして仕事をやめる人も多い。
外国企業の農場で働く地域住民。農場を建設するための地ならしを、シャベル1本でおこなう。ぎらぎらの太陽の下でのきつい作業だ。
技術移転について政府と農場が強調するのは灌漑設備の提供である。実際、ある農場主は商業農場の脇に灌漑農地をもうけて地域住民の利用に供した。だが農地は小さすぎて、農場開発から影響を受けた世帯のごく一部しかアクセスすることができなかった。
農地を入手した世帯も耕作は思うように進まなかった。というのも、商業農場と住民向けの農地は同じ灌漑ポンプから水が供給されるため、ポンプを作動させる日時は農場側が自分たちの畑の都合にあわせて決めたからだ。住民がポンプを作動させるよう農場側に頼んでも、「動かすための電気代を払え」と法外な金額を請求された。そのため住民は、作物に適切な間隔で水をやることができず、大部分は枯れてしまった。人びとはうんざりして2年目以降は灌漑畑で耕作することをやめた。
写真手前は地域住民に提供された小さな畑。写真の男性は幸運にも少量のトマトを収穫できた。奥に広がるのが、すでに収穫を終えた商業農場のトウモロコシ畑。
農場建設は政府や企業が強引に進めたものであり、住民のあいだでは反対意見のほうが圧倒的に多かった。それに対して、農場で働いたり灌漑畑を利用したりした人たちは、農場が自分たちの生活を改善する機会を与えてくれるかもしれないという期待を抱いていた。だが、農場主や農場に適切な指導をしない政府関係者のふるまいに直面して、当初の期待は失望に転じた。農場稼働から2~3年後には、彼らも「われわれは政府や農場にだまされた」と語るようになったのである。
牧畜と商業農場の収益率
そもそも農場経営が軌道にのったとして、政府や企業が見込んでいるような経済的利益を得ることができるのだろうか。最近稼働を始めたばかりの農場からはそれを検討するだけのデータが集まっていないが、過去につくられた大規模農場のデータを分析することはできる。
エチオピア北東部のアワシュ川中流域の土地は、もともとアファールという牧畜民が放牧地や水場として利用していたが、1960年代から外国企業により複数の灌漑農場が整備され、サトウキビや綿花が栽培されるようになった。
この地域における牧畜と商業農場の2000~2009年の収益率を比較してみると、牧畜による家畜生産の収益率は綿花生産よりつねに高く、サトウキビ生産に対しても多くの年で数値が上回っている。サトウキビ栽培が進められているのは全国でも有数の収益率を誇る農場であるにもかかわらず、である(Behnke and Kerven 2013)。
私の調査村の近くにつくられた綿花農場。周囲にくらす牧畜民からは、綿花には多量の農薬がまかれるため、その葉や茎を食べた家畜が病気になったり死亡したりしているとの話を聞いた。
つまり、世帯レベルで小規模に営まれてきた牧畜は、政府が多大な補助金を供与しながら進める大規模農場より「生産的」な年が多いということだ。この結論はやや意外かもしれないが、農場には不可欠な農薬などの投入財や設備維持費が牧畜にはあまり必要ないこと、都市化の進展により食肉やミルクへの需要が急激に高まり価格も上昇していることを考えれば、納得できる。
仮に農場を支援するのと同程度の予算を、家畜市場や家畜生産物加工場の整備、獣医師の増員や家畜薬購入のための補助金などに向ければ、牧畜が国家経済へ貢献する度合いはますます高まるだろう。
この1~2年のあいだに、大規模な農場経営の持続性に疑問符を投げかける事態も発生している。私が調査対象としている地域では、耕作の失敗や機械類の故障によって、国内企業と外国企業が2013年と2014年に農場経営から撤退した。またエチオピア西部のガンベラ州では、10万haの土地を取得しランド・グラブの象徴的事例とされてきたインド企業の資金繰りが悪化し、2014年に債権者により抵当権の実行がなされた(The Reporter.2014年6月7日付記事)。
問題はこのようなデータの提示や事実の推移を受けても、牧畜地域の大規模農場化を変更しようとする動きが政府にみられない点である。この背景に作用している非経済的な要因を一点だけあげれば、エチオピアのマジョリティに共有された「牧畜は時代遅れの生業であり、定住化をして農業に従事することが近代化へ向かう正しい道である」という認識である。
エチオピアの政権中枢を担ってきた集団は、いずれも定住農耕を長年続けてきた人びとである。「文明は牧畜からではなく農耕から発生した」という政府要人の発言には(Ecologist. 2012年5月3日付記事)、牧畜を営む人びとを蔑視するマジョリティの考えが集約的に示されている。
農場開発のこれから
エチオピアの牧畜地域の多くは、しばしば食料援助の対象地域となっており、今後の人口増加なども考えれば、地域の食料生産や流通事情を改善するための対策が必要なことはたしかだろう。本来は、人びとが長年続けてきた牧畜への適切な支援を進めることが最善の道だが、上述したとおり現状ではそれが実現される可能性は乏しい。そのため地域の将来を考える際には、農場開発がいかに地域住民にとって好ましい事業となりうるのかという観点から考察を進めざるを得ない。
この点についても、すでに農場がつくられて年数を重ねた他地域の事例が参考になる。エチオピア南部に1990年代初頭につくられた綿花農場は、当初は地域住民のつよい反発を招き、政府や農場に対する叛乱も発生した。だが、2000年代後半の追跡調査によれば、住民のなかには農場と比較的良好な関係を築いている人たちもでてきた。
たとえば、農場に雇用された人や農場が提供した灌漑農地を耕作している人、灌漑用水路を家畜の水場に利用している人たちなどである。また農場開設にともない建設された町は、人びとに短期の賃労働や小規模な交易など多様な生計手段を与えているという(宮脇 2012)。住民からの要求に適切な対応を取れば、農場開発は住民の生活選択の幅を広げる可能性も内包していることを、この事例は示していよう。
本論で取り上げた農場から離職した人たちの不満は、農場が建設されたこと自体にではなく、農場での給料や待遇の悪さに向けられていた。住民が仕事をやめていく理由を尋ねた際、農場主は「牧畜民は牧畜以外の仕事には向かないのだ」と話していたが、そのような「文化的な理由」に問題を還元するべきではないだろう。しかるべき労働条件が整った職場でかつての牧畜民が賃労働に従事している例はいくらでもある。
むしろ、地域住民を牧畜という「遅れた」生業に従事してきた人びととして見下し、適切な労働機会を与えようとしない農場側の「文化的な理由」に依拠した態度こそが改められなければならない。
問題は山積しているが、まずは「投資家向けの土地」とされた土地がどのように利用されてきたのかを精査し、農場に流用する場合には住民に情報公開と説明を尽くし、補償の支払いを適切に進める必要があることはいうまでもない。
同時に、稼働を始めた農場が地域住民といかなる関係が取り結んでいるのかに注意を払うことも重要だ。契約締結後の企業による農場開発への取り組みが鈍いため、エチオピア政府は事業の進展度合いを査定するモニタリングを開始した(Keeley et al. 2014)。だが事業を真の意味での地域開発につなげるためには、各農場が地域住民への雇用提供や技術移転などにどれほど真剣に取り組み成果をあげているのかをモニタリングすることも、政府が負うべき最低限の義務として位置づけられるべきである。
参考文献
・宮脇幸生 (2012)「プランテーション空間と農牧民の生存戦術」『人間科学』7: 133-186.
・Anseeuw, W., L. A. Wily, L. Cotula and M. Taylor. (2012) Land Rights and the Rush for Land. ILC.
・Behnke, R and C. Kerven (2013) Counting the costs. In A. Catley et al., (eds.) Pastoralism and Development in Africa, pp.57-70. Routledge.
・Keeley, J., W. Michago, S. A. Eid and A. L. Kidewa (2014) Large-scale Land Deals in Ethiopia. IIED.
・Shete, M. and M. Rutten (2015) Large-scale land acquisitions in Ethiopia. In R. Hall, I. Scoones and D. Tsikata (eds.), Africa’s Land Rush, pp. 65-82. James Currey.
佐川徹(さがわ・とおる)人類学、アフリカ地域研究
慶應義塾大学文学部助教。博士(地域研究)。専門は人類学、アフリカ地域研究。2001年から東アフリカの乾燥地域にくらす牧畜民の調査を続けている。おもな著作に『暴力と歓待の民族誌―東アフリカ牧畜社会の戦争と平和』(2011年、昭和堂)がある。
(2016年1月19日「SYNODOS」より転載)