総選挙を目前にして、カンボジアは近い国か、遠い国かを考える

日本の対東南アジア外交には日本独自のスタイルがある。

東南アジアで選挙が続く。5月9日、マレーシアでは1957年の独立後、初めて与党国民戦線が敗れるという驚きの結果で終わった。野党「希望連盟」の勝利に驚くとともに、92歳のマハティール元首相が野党連合の代表として首相に就くことに驚嘆した。なぜならば、マハティールと言えば、東南アジア諸国が一様に開発独裁を敷いた時代の代表的政治指導者であったからだ。

また、ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟が間近と見られる東ティモールでも5月12日に国民議会選挙が行われた。昨年7月に同選挙が行われたばかりであったが、こちらも与党連合と野党連合の対立の中で、予算案や重要案件が国会で審議されず、結局ル・オロ大統領は解散を選択したのだ。2002年の独立以来、5年ごとの選挙が3回目にして崩れたが、独立の英雄シャナナ・グスマン野党連合「前進への改革連盟」が過半数を獲得した。

さて、いま冒頭で挙げた二つの東南アジア諸国の選挙はともに日本と深い関係にある。マハティールは戦後日本の発展に強い関心を抱き、日本を手本とする「ルック・イースト」政策の導入で、多くのマレーシア人留学生が来日した。今回の選挙期間中でもラジブ首相の中国寄り政策に、警告を促すなど依然として親日的な姿勢は健在である。

他方、東ティモールは人口120万に満たない小国でありながら、日本政府は大使館を置き、オーストラリアに次ぐ経済支援を行なっている。中国の援助は東ティモールに限らず東南アジア一般で見られるが、野党連合を率いたグスマンは中国とは一定の距離を保つ。特に、豪州との領海画定で国際常設裁判所の裁定で譲歩を勝ち得たこともあり、南シナ海問題で同裁判所の裁定に従わない中国には国際社会からの尊敬を得られる法治国家になることを望む。

前書きが長くなったが、このように日本の対東南アジア外交には日本独自のスタイルがある。軍事政権下であったミャンマーにも欧米諸国とは違う立場で民主化への後押しをしてきた。それでは本稿の本題であるカンボジアに対してはどうか。日本はフンセン首相や故シアヌーク殿下を東京に招き、和平会議を実施するなど積極的に紛争の仲裁を引き受け、翌年の1991年にはパリ和平協定が実現する一翼を担った。

92年には明石康氏が国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の国連事務総長特別代表となり、93年のカンボジア総選挙を仕切ることになった。75年の共産党政権の樹立、翌年にはポル・ポトが首相に就き、100万人規模の集団虐殺を引き起こした。そのポル・ポト抜きの総選挙を実施したことが、結果的に現在のフンセン体制の強権政治の底流をつくる契機になったという批判はいまもある。しかしながら、UNTACの選択肢はそれほどなかったのではないか。

他方で、ベトナム戦争終結以降のカンボジアを含むインドシナでの政情不安を背景に、迫害を恐れた140万人以上の難民が「ボート・ピープル」として、日本を含むアジア諸国に流れ着いた。日本政府は78年以降に彼らを「難民」として認定し、受け入れを行った一方で、82年までに43のNGOが難民支援を理由に設立された。また、日本の青年たちを中心にタイ国境地帯に逃れ、難民キャンプで劣悪な生活を強いられたカンボジア人の支援も行った。まさに「NGO元年」と呼ばれる所以になった。

このように、日本とカンボジアは政府間のみならず、国民レベル、住民レベルまで広く親密な関係が構築されていったのだ。その意味で、日本の対東南アジア外交は一貫しているし、特にカンボジアの場合は現在も日本のマルチレベルな協力関係が引き継がれている。今回の7月実施のカンボジア総選挙で従前通りに日本政府が支援を行うことに特段の大きな驚きはないし、日本の対東南アジア外交の一貫性から欧米諸国にすり合わせる必要もないと思われる。

しかしながら、今回の対カンボジア選挙支援にはやはり思い切った強いメッセージを発信する必要があろう。それは欧米諸国と軌を一にする援助停止ではなく、長いマルチな関係を構築してきた日本だからこそ、歯に衣着せぬ箴言をするべきであると考える。野党救国党の解党、政府に批判的なNGO、人権団体、メディアに対する弾圧は大変憂慮される。カンボジアで自由で公正な選挙を推進してきたNGO代表の友人の安否も誠に心配である。

日本は第二次世界大戦後に、国連中心主義、自由主義諸国との協調、アジアの一員としての立場という、外交三原則を掲げてきた。また、1973年のジャカルタやバンコクでの反日暴動をきっかけに、1977年に当時の福田赳夫首相がマニラで発表したのが、東南アジア外交の三原則であった。日本は軍事大国にならず世界の平和と繁栄に貢献する。ASEAN各国と心と心の触れ合う信頼関係を構築する。日本とASEANは対等なパートナーであり、日本はASEAN諸国の平和と繁栄に寄与するという内容である。

「福田ドクトリン」から40年の歳月が過ぎたが、アジアの一員としての日本の立場は依然として重要である。筆者が訪問する東南アジア諸国の人々には、第二次世界大戦中に同地域を侵略し、多大な人的物的損害を与え、過ちを犯した日本とは違う次元で人的レベルでの絆が存在している。これも日本が絶えず対等の立場で東南アジア諸国への経済支援を続けてきた所以であろう。

日本政府は東南アジア地域における中国の存在に過敏である。カンボジアの中国寄り政策に楔を打つ意味でも中国同様の選挙支援をするのだと聞く。確かに、カンボジアの中国寄りの政策は、南シナ海問題をめぐって2012年のASEAN外相会議で議長国として初めて共同声明採択を断念して以来、たびたびカンボジアの中国寄りの政策が顕在化する。その背景はいうまでもなく、中国の対カンボジア援助である。いまや日本の援助額も中国に抜かれている。

しかしながら、インフラの援助は中国が勝っていても、長年にわたる人的な日本の支援、絆はそう簡単に中国には抜かれないと思うのは楽観的であろうか。筆者はいくら現カンボジア政権が強権を発動しようとも、日本とのマルチレベルな関係は継続していくものと考える。その点、日本政府が果たしてきたカンボジアの平和な国家建設支援も根を張っているはずだ。

中国の「一帯一路」を背景にした援助戦略、米国トランプ政権の「アメリカ・ファースト」に象徴される内向き政策、プーチンの「強いロシア」の復活など、フンセンの強権政治を後押しするような各主権国家を前提にする「○○流の民主主義」が跋扈している。翻って日本の政治も同傾向が窺えると懸念しているのは筆者だけであろうか。

最後に、たとえ「○○流の民主主義」を主張しようとも、民主主義の共通認識は明確に存在する。日本政府は、ぜひその共通認識を持つように長年の友人に進言し、かつ箴言して欲しい。日本政府、日本人がマルチな関係構築を有する近い国のカンボジアだからこそ相手も耳を傾けるのではなかろうか。根気強く説得していくことが求められている。

注目記事