ハンセン病差別は法律によって固定され強化されてきた。

無関心のままに、古い法律が放置されていました。
ニジェールのハンセン病コロニー
ニジェールのハンセン病コロニー
日本財団

効果的な治療法が開発された1980年代以降、多くの患者が病気から治癒し、蔓延国においてもハンセン病患者の数は劇的に減っていきました。WHO(世界保健機関)とともにハンセン病の制圧に携わってきた私たちは、治療薬普及の成果が現れてきたことに、一種の達成感を感じ始めていました。

しかし、私が目にしたのは、治療を受けて病気から回復した人たちの生活が、治療前とほとんど変わっていないという現実でした。

ハンセン病患者は多くの場合、家族から切り離され、療養所やコロニーと呼ばれる集団居住地で暮らしています。彼らが社会から切り離された原因であるハンセン病という病気が治ったにもかかわらず、彼らが置かれる状況は変わらないのです。つまり、いったん病気になってしまうと、治癒後も「元患者」としてレッテルを貼られ、そのレッテルが剥がされることはないのです。彼らは治癒後も、患者だったときと同じようにコロニーで暮らし続けていました。

インドネシアのハンセン病コロニーにある住まい
インドネシアのハンセン病コロニーにある住まい
日本財団

そこは、草木も生えていない荒れ地や岩山のような場所だったり、鉄道や河川脇の土手のわずかな空間だったりしました。彼らはハンセン病を患ったときから、そのような場所に集まって暮らしていました。その場所と外の世界との間には目に見える境界はありません。しかし、まるでそこには目に見えない壁が立ちはだかっているかのように、彼らの住む場所とその外を行き来する人はいません。そして彼らは、ハンセン病の「元患者」というレッテルを貼られて生活していました。

そんな状況を見て私は、それまでハンセン病の差別やスティグマ(社会的烙印)の問題を楽観視しすぎていたことに気づきました。病気さえ治療できれば、問題は自ずと解決に向かうと考えていたのです。しかしこの病気には、より深刻な側面があったのです。それは、ひとたびハンセン病を患った人は、治癒してもなお、差別やスティグマの対象となるということでした。差別とスティグマは菌によって引き起こされるものではありません。人々の意識の問題なのです。

インドのハンセン病コロニー
インドのハンセン病コロニー
日本財団

ハンセン病に対する差別は長い歴史を通じて、文化や習慣の中に根を下ろしてきたものです。ハンセン病の場合、差別はとくに無知による誤解や偏見、怖れと深く結びついています。かつては、その怖れを宗教が助長してきたという側面がありますが、近年では法律が社会に存在する差別意識を固定する役割を果たしてきました。法治国家においてでさえ、「差別法」とも言える法律が、いまも少なからず存在していることを知って、私は愕然としました。

インド、タイ、シンガポール等では、患者の離婚、公共交通利用の禁止、就労の拒否・解雇、議員資格の剥奪、教育権の制限などを認める法律や条例が残されています。その多くは改正されつつありますが、アメリカを初めとする先進国でもハンセン病の回復者であることが、移民や難民の入国制限対象となっています。英国国境局(当時)が、ハンセン病がビザ交付を拒否する正統な根拠とならないことを認めたのは、2012年になってからのことでした。

2008年の北京オリンピックに際しても、当初、北京五輪組織委員会は既存の法律に基づいてハンセン病患者の入国を禁止しています。これは私たちの申し入れで撤回されました。またインドのオリッサ州で、D・パンドゥア氏たちが、回復者であることを理由に、市議会の議員・議長の資格を剥奪されました。裁判所に異議申し立てを行いましたが、2008年にインド最高裁判所が、この決定の根拠となった州法は憲法に違反しないとの判決を下しています。これにも私たちは抗議し、州法は2012年に改正されました。

今も、ハンセン病が治癒できるようになる以前に制定された法律が残り続け、日常生活の中での差別や排除のための口実とされています。多くの政治家や役人、知識人と呼ばれる人たちも、ハンセン病についての正しい知識を持っていない、あるいはそのことに無関心のままに、古い法律が放置されていました。広く一般の人々の意識を変えるためには、そんな規則や制度を変えることが、喫緊の課題でもあるのです。

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