先日、荒井裕樹さんと対談する機会があった。そのとき彼がこんなことを言った。
「人間関係って『物理的な近さ』とか『会っている回数』とか『血縁関係』とかを越えちゃう部分があるんですよね」
今までホスピスで多くの人々に出会ったが、一回会っただけでも忘れられない患者さんが大勢いる。彼らが残した言葉やストーリーは、私の中で生き続けている。
ロスもその一人だ。彼は90歳の末期がんの患者さんで、自宅でホスピスケアを受けていた。ある日、転倒したことがきっかけで、私の勤めるシンシナティのホスピス病棟に入院してきた。
彼の部屋はナースステーションから離れた、静かな場所にあった。ブラインドが半分閉まった薄暗い部屋のベッドに、彼はひっそりと横たわっていた。私が音楽療法士であることを告げると、ロスは愛嬌のある笑顔で言った。
「音楽は嫌いじゃないけど、僕はどちらかというとスポーツファンなんだ。一番好きなスポーツは野球。もちろん、シンシナティレッズのファンだよ」
シンシナティレッズは、昔ワールドシリーズで優勝したこともあるチームだが、近年はそれほど強いとは言えない。私も何度か試合を見に行ったことがあるが、勝ったためしがない。
「今シーズンは負けてばかりさ。でも、試合は欠かさずラジオで聞くよ」
彼は苦笑して、サイドテーブルにあるラジオを指差した。
米リーグの試合では、必ず歌われる曲がある。『私を野球に連れてって』(Take Me Out to the Ball Game)という歌で、アメリカ人なら誰もが知っている。私はこの歌をギターの伴奏で唄うことにした。
私を野球に連れてって
観客の所に連れてって
ロスはコーラスを一緒に口ずさみながら、遠くを見つめるような目をしていた。歌が終わった後、彼は言った。
「90年間の人生、本当に色々あった」
そして、自分の人生について語りはじめた。
ロスは若い頃、企業のリストラを手助けする仕事をしていた。様々な会社に出向き、解雇される従業員に「リストラ宣告」するのが彼の役目だった。
ある日、ロスは大手会社の会議に参加していた。社員を解雇するため、会社の社長や部長など約10人ほどが集まった。会議室には大きなテーブルが並び、窓からはシンシナティのダウンタウンが見渡せた。
解雇される社員は40代の男性で、会議中ずっとうつむいて座っていた。ロスが解雇を告げると、突然男性はバックから銃を取り出し、乱射をはじめた。ロスはすぐにテーブルの下に隠れ、人々が次々に殺されるのを目撃した。
「今でも忘れられない。若い社員が殺される前に言ったんだ。『僕には幼い子どもがいるから殺さないでくれ』って。その直後に彼は撃たれた」
ロスだけはなぜか撃たれなかった。男はロスを残して、その場を立ち去った。会議に参加していた人々は全員殺されたのに、なぜ自分だけ助かったのだろう。
その後容疑者が自白し、終身刑になっても、ロスの中で事件が完全に解決することはなかった。彼は長い間、生き延びた罪悪感に悩まされた。
そんな彼の支えになったのが一人娘の存在だった。娘がすくすくと育っていることが、自分が生きている理由とも思えた。しかし、その娘も若くして病気で亡くなった。
「娘のことを考えると今でもつらい......」
ロスは涙目になった。
「今まで本当に色々あった...。でも、幸せな人生だったよ」
そう言って彼は優しく微笑んだ。恐ろしい殺人を目撃して、娘を亡くしたのになぜそう言えるのだろう?
ロスは天井に目をやった。
「人生は野球みたいなものさ。勝つときもあれば負けるときもある。だから、悪いことがあったからってくよくよしてもしょうがない。いい部分をどれだけ楽しむか、人生はそこにかかってるんだ」
それは、野球好きなロスにふさわしい言葉だった。
(2015年12月8日「佐藤由美子の音楽療法日記」より転載)
著書:『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』(ポプラ社)
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