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2014年03月17日 13時10分 JST | 更新 2014年03月17日 15時37分 JST

横田めぐみさん両親「孫に会いたかった」 【会見詳報】

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北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親、横田滋さん(81)と早紀江さん(78)夫妻が3月17日、川崎市内で記者会見し、めぐみさんの娘のキム・ウンギョン(ヘギョン)さんに面会した様子を語った。3月10日から14日にかけてモンゴルのウランバートルで面会し、夫妻のひ孫となる生後10カ月の娘も同席したという。

北朝鮮は公式に、めぐみさんは死亡したと発表したが、夫妻は改めて「生存への確信はゆるがない」と表明した。

会見の主なやりとりは次の通り。

【今回の面談が実現した感想】

滋さん:ウンギョンさんは、これまでテレビでは何回も見たが、実際にお目にかかるの初めて。14、15歳のときにテレビで見たが、大人になって背の高さがさきえよりちょっと高いくらいで、前見たときは面長だったが、今はまんまる顔で、同じ家系なのかなと思った。子どもとして昨年5月に生まれた10カ月の子どもが、我々のひ孫がいまして、歩行器みたいなのに入って、非常に速いスピードで歩き回っていました。11キロ、あのぐらいの子でそんなに太った子は見たことないくらいで、早くなついてくれてよかったと思っています。

早紀江さん:本当にありがとうございました。何でヘギョンちゃんて言うんですか?っていうくらいで、ウンギョンちゃんが本当の名前だそうです。めぐみちゃんの若い頃を、私たちは見られなかったんですけど、若いときのめぐみの感じによく似てるなあと感じることが多かったし、赤ちゃんも思いがけなく大きく育っていて元気で、ニコニコして気勢を上げながら笑いかけてくれて、夢のような、長いこと願っていたことを実現したと、私たちにとっても奇跡的な日だったと思っています。たくさんの方にご尽力頂いたおかげと感謝しています。希望していたことがかなえられたことが本当にうれしくて、肉親として、祖父母と孫として会いたいと思っていたことが、静かに実現したことが、私たちには喜ばしいことであり、不思議な瞬間で、一つ一つが感動しながら過ごした日々でした。

【どんな人が同席し、どんなやりとりが】

滋:月曜から金曜まで5日間旅行したわけですけど、偏西風が強くて6時間かかってかなり遅く着いて、その日は本当にちょっとだけ顔を合わせただけだった。火水木の3日間はずいぶん長く会うことができました。私たちは3階で、ウンギョンさんは4階。食堂が2階にあった。そこにほかの宿泊客がいなかったので、ずいぶん長く話をすることが出来た。ウンギョンさんが、金曜日はただ帰るだけであまり話ができなかったけど、自分が持ってきた野菜なんかを使って昼食をつくってくれたりして、かなり長い間話をすることができました。先方は男の通訳が一人と、こちらからはウンギョンさん夫妻と赤ちゃん4人。こちらは2人と外務省の方が通訳をしてくださいましたので、3人。それだけの人数でずいぶん長い間いろんなことについて話ができましたので、行って良かったと思います。

早紀江:あまり込み入った話はできませんけども、私はとにかく孫に会いたかった。めぐみの面影を思い浮かべながら、普段と変わらない感じで、特別緊張もせず、動揺することもなく、ああこの人が孫だったんだ、本当に会いたかった人だったんだと。向こうもいつもニコニコして話してくれて、冗談も面白く手ぶりで話してくれて、前から一緒にいたような感じがするほど和やかにお話しさせていただいて嬉しかったです。赤ちゃんといっても10カ月かな、飛行機に乗って、部屋中を動き回って、本当に朗らかに歩き回っていてくれて、本当に良い子だなと思って見ていて、まさかこんな大きなひ孫が突然現れたということ、ウンギョンちゃんが突然、テレビに出てきたときと同じような。本当に私たちにとっては願っていたことが実現したということで、嬉しく思っています。

【横田めぐみさん安否】

滋:立場ってものがあるから、仮に知っていたとしても話せないと思うので、政府の発表によると亡くなっているんだというようなことを言ったぐらい。

早紀江:政治的な問題が絡んでくる場にしたくなかったので、肉親同士が再会したという穏やかな温かい雰囲気でありたいと思っていた。ちょっと端々に聞くような感じでお話しすることはありましたが、どこまでが本当なのか私たちにも分からない。あまり言わないほうがいいんだなあ、と、気配を見ながら、元気でいるに違いない、またもう1回改めて自分で思うことにして、細かいことは何も聞きませんでした。だから今も行く前と同じ状態ですが、分からない。前と同じように、これからも(生存を)信じています。

【面談に至った経緯】

滋:一昨年秋だったかと思いますけど、私たちがキム・ヘギョンさんに会いに行くという噂が流れたことはあります。そのときの民主党の方にお願いしたんだという噂と、そうでなくて政府から呼びかけたけど我々が行かれなかったという噂が流れたことはありましたけど、会いたいという気持ちは以前からありました。今回も我々は、松木さんのお母さんのように、高齢の家族の方が亡くなったこともありますし、今、夫婦そろってというのは私のところと有吉さんだけなんです。被害者の方はみんな片親か、両方とも亡くなっている。できれば何かの機会に会いたいということを外務省とお話ししていましたら、時間がかかりましたけど、セットして下さいましたんで、ありがたく思っております。その直後に、赤十字会談が瀋陽で開かれるようになって、外務省からも交渉する機会がでてきたんんで、この話があったからそれができたということはないですけど、両国の交流が起きて、その結果以前のような交渉が開かれるということであればいいなと思っております。

Q ウンギョンさんにとっても育児など教えて差し上げたいことはあったと思います。おしめとか洋服とかお教えになったり一緒になさったことはありますか

滋:まったくありませんでした。ただ、薬があまりないというので、持っていったら、おなかがいたいということを言っていたということで、さっそく役に立ったりしましたけど。

早紀江:料理が大好きなことですということで、うらやましいと思いました。私は縫い物の方が好きですと言ったら大笑いしていました。とても育児も大変だったらしくて、大きな赤ちゃんなので眠れなかったときもあったり、みんなそんななんですよ、って、どこのおばあちゃんが言うように、普通の感じでお話ができて、とても楽しく過ごさせていただきました。お料理も好きなんで、自分で一生懸命楽しんでつくっているということで。私が教えてもらった方がいいのかなあと思うくらい。なんかお野菜を飛行機で持ってきて、青菜なんかもゆでてつくってくれたりとか、すましのスープみたいなのも。私も手伝いましょうかと言ったんですけど、小さなキッチンなので、一人でやりますとニコニコ笑いながら。本当においしいね、とたくさん頂きました。

Q ウンギョンさんのご家族について。旦那さんと10カ月のひ孫、お名前とかお仕事とか近況などは

滋:聞いたんですけど、聞いただけでは分からなくて。赤ちゃんの方も、ツバメという字が入ってるって言ってましたけど。名前は聞きましたけど、紙に書いてないのでよく覚えておりません。ご主人もウンギョンさんも金日成総合大学という、北朝鮮ではいちばんいいと言われている大学を出て、2人ともコンピューター学科の先輩、後輩で、自宅から歩いて10分ぐらいのところに勤めていると聞きました。赤ちゃんすぐ抱いてくれたりしますので、やさしい良い人と結婚できたということでうれしく思っています。

早紀江:細かいことはなかなか聞けませんし、人と人との交流を大事にしたかったので。私たちのことも、めぐみちゃんの小さいときのこととか、この辺がよく似てるんですよ、と、赤ちゃんを見ながら。そんな話が主だったので、名前がどうということは聞き出すことはできませんでした。ひ孫は女の子でした。私たちは4人孫がおりますけど、みんな男の子ですので、初めて女の子の孫ができたということで、10キロぐらいあるということで、本当に重いんですよ。楽しい時間を過ごさせていただきました。

Q 行くという決断という期待と緊張を改めて

滋:ウンギョンさんはできれば北朝鮮に来てほしかったと言ってました。どこでも案内できるんだけど、どうしても動く範囲が限られるので。我々としては、結局ウランバートルに決まりました。ちょっと距離が遠くなりますので、話をする時間は少なくなったかもしれませんが、帰る日以外の3日間はずっと一緒に暮らしまして、通訳の方も気を遣ってくださって、私たちの部屋に、たとえばアルバムを持ってきて赤ちゃんの写真を見せてくださったり、いろんなことをしてきましたので、充実した3日間でした。

早紀江:会いに行きたいという思いは最初から持ち続けていまして、特に主人は会いたいという思いはありましたので、けれども向こうの国に入っていくことはできない、いろいろな面で難しいと思っていましたので、ほかの国で元気な間に会いたいという思いはありました。だんだん私たちも体力が弱ってきているのはわかっていましたので、ここ何年かの間に会わないと孫たちにも会えないと思っていましたので、本当に思いがけなくギリギリのところだと思うんですけど、飛行機に乗るのはもうダメだと思いました。よいタイミングで奇跡的にと思えるほど、よかったなあと思って。しかも第3国で。向こうは赤ちゃん連れて大変だったと思いますけど、気の毒なことをしたと思っていますけど、まだ若いですからね、あちらは。私たちも元気で帰ってきてお話させていただける。本当によかったと思っています。

Q 今回会われたのは、ウランバートルのどこの施設か。今後、再会の約束はあったのか

滋:ウランバートルの市内でして。1回だけ外に出たら、山が岩みたいで木がほとんど生えていなくて、大きな亀がいるようなところがたくさんありまして。再会は約束というのはもちろんできませんのでしておりませんが、会えるようになったら日本にも来て、北朝鮮にも訪ねて行きたいと思っているという話はしました。(施設の名前は)よく分かりません。ちょっと大きなホテルのような所でしたけど。

Q 「金正恩氏は早く拉致問題を解決してほしい」とおっしゃってましたよね。体制の変化のきざしを肌身で感じてますか。金正恩氏に何かおっしゃりたいことは?

滋:体制が変わったかは分かりませんけど、今回行って、被害者だけでなくて、被害者の子どもの子どもまで会わせたというのは、それだけ人道問題について関心が高くなってきたのかも知れません。そうであれば嬉しいことですけど、これから先、見守って行きたい。北がどう反応するか分かりません。

早紀江:今回のウンギョンちゃんとの再会は、当たり前のおじいちゃん、おばあちゃんと本当の孫が隔たれたままになっている。元気で生きている、めぐみちゃんの血のつながった人に会いたいという思いが叶えられたという、当然のことをなしとげてくださった、私たちも喜びを持って会わせて頂いたということがいちばん大きなことであって、そのことを政治化してどうしよう、こうしようというのは私たちには分かりませんので。それが本当によい方向に用いられていくならば両国にとってもよいこと。国民全部が政治活動している方の姿勢とか外交展開とか、私たちだけじゃなくて、マスコミも含めてじっと見つめて、ちょっとおかしいんではないですか、とか、発信していただければありがたいと思っております。

Q お料理の話、出てましたけど、何をどれくらい。お薬持って行かれたということですが、ほかには何か

滋:モンゴルのしきたりかも知れませんけど、普通の食堂に行くと3皿ぐらい出てくる。一つ出てきて、食べさせると皿を下げてつくるということで、一番最後はデザートをつくって、そっくりというか、ホテルとは材料が違いますけど、同じようなしきたりでなかなか上手につくってありました。持っていったのは、一つはおもちゃのピアノみたいなもの。ご主人がピアノを弾くこともあるかもしれませんが。それからセーターをウンギョンさんと夫の方に。それからビオフェルミンとか風邪薬を。子ども用があまりないという噂を聞きましたので、持っていきました。

早紀江:私は京都なので、薄味なんです。だから味がとても京都風の味で、スープのようなものをつくって下さったんですけど、とてもおいしくて。3回くらいよそって頂いて、緑の野菜もたくさん、おいしいね、って。おしょうゆだけで十分ダシが出るんですって、真似してみようかなと。

Q めぐみさんの小さい頃の写真で似てたなあと思い出されるものは

早紀江:写真というよりも、歩行器で自由に歩き回ってるんです。そのときに自分で歌のような形で首を振って楽しそうに、そういうしぐさが、めぐみちゃんが同じころに「ひょっこりひょうたん島」を見て、テレビにしがみついて首を振ってた。その姿がそっくりで涙が出てきた。そんな話をしたら笑ってましたけど。いろんなところによく似た姿を見て、ウンギョンちゃんもよく似たところがありますし、なのになんでそこにその子が出てこないのか、それがいちばん辛いですけど。

Q 11年半会いたいと思っていた思いは満たされましたか。どういう瞬間によかったと思いましたか

滋:それは実際大きい姿を想像していたのとはちょっと違って、非常に健康的な子どもだったので、よかったと思って、満足するというか、安心したというかです。北朝鮮は栄養状態が悪いと聞いていましたけど、そんなことはまったく考えられないような健康的な子どもだったので安心しました。

早紀江:想像ができない社会なので、会うまで、15歳の写真を見て、赤ちゃんが生まれたというニュースも聞いていましたので、どういう感じなのかと思っていましたけど、想像以上に健康で明朗で、非常にはきはきとしていて、普通に話ができる、どんな話をしたらいいか、気楽に話ができるような感じだったのでうれしかったし、家族全部が心配していたようなのじゃなくて、平和に家族として元気いっぱい暮らしていることを見たとき、死亡だと言われた人たちも、何らかの形で守られて元気で暮らしていてほしいな、と。みんなが現れてくれたら、家族は喜ぶだろうなと思いました。

Q 最後にモンゴルを発つときにどういう話を

早紀江:門のところで見送ってくれましたので、「どんなことが起きるか分からないけど、希望を持っていましょうね」と手を握りしめて。向こうも涙をためて、笑いながら別れてくれました。

Q めぐみさんの消息が知れたのが97年。対面までの歳月、いかがでしたか

早紀江:私たちにはめぐみが北朝鮮にいるということが分かる前の、まったく見えない20年というものがあります。信じて良かった、生きててよかった、元気な女の子がでてきた。本当に不思議なことばっかり、ショック受け続けですけど、希望を持って、何も悪いことしてないんだ、一生懸命に生きているんだという思いで、あそこできっと元気でいるんだという思いで。そういう意味で、今回何も分からなかったんですけど、孫たちの姿を見て、あそこの中でもこうやって生かせられている人もいるんだということで希望がわいて。きっと差はあるかもしれないけど、きっと元気で頑張っているんだろうと思いましたので、これは希望だということだけは伝えて帰ろうと思っただけです。本当によかったと思っています。

滋:北朝鮮と分かったのは97年1月なんですが、ホームシックにかかったとか、病院に何回も入ったとか、首つり自殺したとか、いろんなことが出てますんで、不幸な生活だったと言わざるを得ないと思います。蓮池さんとかが手伝ってくださって、運もあったんですが、病気みたいな生活だったと思います。本当かどうか確認はできてませんけど、時代が違うせいか、ウンギョンちゃんが非常に明るくて、我々に対してもよくしゃべりますから、二人を比べてみるとウンギョンちゃんの方が幸せでないかと思われます。

Q めぐみさんが突然拉致されていなくなりました。時を経て新しい家族が増えたことにどのような感想をお持ちですか

滋:いろんな噂から、結婚して女の子ができて、めぐみと2人でよく病気になったので、蓮池さん、地村さんが助けてくれたので、世間では蓮池さんが育ての親じゃないかと言ってましたけど、蓮池さんの奥さんにお礼を言ったら「違いますよ。お互いに子どもを預かったりするのが当たり前なんで、心配しないでください」と言われました。正しく伝えられているのかは分かりませんけど、ひょっとしたら向こうは死んだことにするためにそんな話を作ったのかもしれませんし、よく分かりませんけど、やはり、ありがたく思いますけど、あまり幸せな生活ではなかったのではないか。

早紀江:こんな不思議な人生を歩んだ人はいないのではないかと思うような人生を与えられてきました。いなくなったときから、あらゆるショック受け続けてきましたけど、ウンギョンちゃんが現れたこと、めぐみが北朝鮮にいることが分かったこと、それまでにも死亡説が出たり、骨が帰ってショックを受け、違ったということでホッとしたり、どなたがこのような状況になられたときにどんな生き方をなさるんだろうと思いながら来ました。自分がよく生きてこられたな、と思うほど、たくさんの方に支えられて今日があるんだと。そんな中でこんな大きな喜びが与えられている。8人の人が元気でいたんですよと現れてくれる。もっとたくさんの人がいますから、その人たちも帰って来られるように、何でもいいから、11年間黙って我慢しても何も動かないことはよくないので、どんなことであれ、一つでも良い方向に向いていくように、外交を整えて頂いて、政府間でいいお話ができて、お互いが信頼できるような交流関係になればいいと思うが、みんなの問題なんで、誰もこんなことになって頂きたくないんで、きちっとして頂きたい。

Q 北朝鮮側から「北朝鮮に来ればめぐみさんお資料や品物を」という誘いがあったか

滋:まったくありません。我々の知らないところにいたかも知れませんけど、我々のところには通訳の方がいましたけど、通訳のことしかしていませんので。

Q (めぐみさんの夫とされる)キム・ヨンナムさんについて近況などは

早紀江:名前も出ません。

滋:来るんじゃないかという噂もありましたけど、実際は来ませんでした。話題にしなかったというか。

Q 面会したのは施設の中だけか

早紀江:向こうは外に出ないんです。向こうは赤ちゃんもいるから、いつもいつも一緒にいても疲れるから、休んで下さいと言って、ちょっとだけ見に行きませんかと言われて、珍しいところ、砂漠のようなところを見せて頂いたということです。

Q 写真や動画は撮ったのか

滋:小さなやつで撮りましたけど…

早紀江:まだ出さないという約束で、こちらも出したりしないということになっております。

滋:赤ちゃんの写真がいちばん多かったかと思いますけど、おじいちゃん、おばあちゃんが撮るのはいいけど、そうでなければ写真はいやだなあと。帰ったばかりなので写真にはしておりません。

Q お手紙とかは

滋:手紙を出すことは出来るかと聞いたら、こちらから本当の住所を紙に書いてほしいと言ったんです。だけどそういうところはないとことだったんで、写真送るというかこの次会ったときにあげることになるでしょうし、赤ちゃんも大きくなってるでしょうから。手紙を送ることは難しい。

Q 今後はしばらく休むのか

滋:無理はしないようにしますけど、半月休むということはありません。

早紀江:本当に疲れていまして、バタッとなる感じもしますんで、無理は出来ない。でも何とか解決するためにできることであれば、もっとお話をしていいならば話に行かなければならないと思いますし、でもちょっと自制していかなければいけないと思います。

Q 今回のモンゴル訪問が決まる前までに、差し障りのない範囲でいつごろどういう話があって、今回の訪問に至ったのか。今まではいかないということだったのですが、今回は行こうと決断した背景は

滋:松木さんが亡くなったり、我々ももうそういうことになる年齢なんで、できれば1回でも行ってみたいなあと思ってお願いしました。

早紀江:もっともっと前から会いたいと言い続けております。だけど向こうの国に入るのは難しいということで、11年間我慢してきたんですけど、いよいよ年を取ってきて、それでも何も分からないし、8人のことも一切分からない。このままで忍耐強く待っていたらいなくなるね、と思いに私たち自身がなって、元気な間に何とかなればいいねと思っていたときに、そういうお話が来ましたので受けたわけです。

Q 家族会は理解を示したコメントが多かったが、ご感想は

早紀江:本当にありがたいと思いますし、どなたもお孫さんがそこにいるのが見えたら、誰だって会いたいと思われると思います。たまたま横田の家の孫がいるということが見えているだけで、後の方は見えない。そのことによって、会ったことでいろいろなことが見えてくるかも知れないこともありますし、どんなことでも一つ一つ動かしていく何かになればいちばんいいんですけど、私たちは純粋に祖父母と孫の水入らずの対面。向こうも騒がれて緊張しながら会うんでなくて、こないだ過ごしたような本当に自然で時間がつくりたいと思っていたということなので、非常によかった。皆さんには何も言わなくて申し訳ないですが、非常に良くして頂いたと思っております。

滋:お母さんのこともウンギョンさんの話したことも、政府の発表通りだと言わざるを得ないと思う。これまでも帰ってきた人は、みんな一応会員ではあるけど、救出本部からは脱退してますし、帰ってきてからも世話することは必要だから、従来と変わりない動きをする予定でおります。

Q 希望のもとになるのはウンギョンさんのお元気な姿、ひ孫さんのお元気な姿、ほかの方にもつながると思っていかれたと思うのですが、これが希望だと思ったいちばんのことは

早紀江:会ったときに、私たちはむこうの国のことが想像できないんですね。どのような段階の所に暮らしているのかな、どのような所にいて、どのくらい元気なのかと思いながら会った。非常に元気で、活発で明るくて、みんなが喜びをもって過ごしているというのが分かって、ほかの人たちがあなたがたのような感じで過ごしていてくれるといいなという希望を持つことで、これからもみんなを取り返せるように救出活動にがんばっていきたいと思って。向こうもまた会いたいと思っているでしょう。「北朝鮮に来て下さい」と何度も言いますけど、私たちも行けないということは、いろんな理由があって、私たちも行きたいんだけど11年もかかっちゃった、ということはやっぱり、あなたが嫌いだとか、何も思ってないとか、そういうことじゃなかったんですよ。本当にいつも祈ってたよ、っていうことで、いつでも会いたいけどなかなか思うようにいかない部分もある、時間がかかる問題があるんですって言ったら、聞いてくれたので、だけど希望を持たなきゃなんないということで、絶対希望ですから、って手を握って帰って来ました。

Q めぐみさんの生存への確信が揺るがないというのは…

早紀江:これは本当のことが出てきたときにハッキリすると思って。どちらが出てくるか分かりません。そのときは覚悟しなきゃならないし、みんな誰でもいつか亡くなりますから、そのときにハッキリしたことがきちっと分かって決着をつけないと、私たちも悲しいだけで辛いんですけど、せっかくここまで頑張って皆さんに応援して来たので、向こうの国もたくさんの人たちを親の元に返して、私たちも幸せになろうと思うようなメッセージを出すことしか私たちはできませんので、それだけはいつも伝えています。

日朝会議が赤十字という話がありますね。たまたまこういうことがあったあとに会議が開かれていくというのも不思議なことなんですけど、このことを通して北朝鮮がどう出てくるのか分かりませんけども、日本の国としてどう外交を展開してくださるのか、どうこの問題を取り上げてくださるのかを中心に政府に目を向けて頂いて、国民が望んでいることをどうするのか、関心を向けて行かなければならないのではないかと思っていますので、私たちは十分話もしてますし、本当のことも言っておりますので、そこからどうなるかは分からないので、いいように行くように報道して頂けることを願っております。