加藤登紀子「大学生としてのケジメをつけるつもりでデモ隊に入りました」

歌手人生50周年を迎えた加藤登紀子が激動の半生を振り返り、人生観を語った。

加藤登紀子(2012年04月05日撮影)

歌手人生50年の加藤登紀子、激動の半生を振り返る「何のセオリーも方程式もない」

シンガー・ソングライターの加藤登紀子が歌う宅配寿司『銀のさら』の「ハッピーバースシー お誕生日はお寿司でお祝い」動画がYouTubeで配信され、生命力溢れる加藤の歌声と楽曲に感動するとツイッターなど、SNSで話題を集めている。歌手人生50周年を迎えた加藤が、ORICON STYLEのインタビューに応じ、激動の半生を振り返り、人生観を語った。

◆大学生活最後のケジメ――覚悟を決めデモ隊に参加

――誕生日にサプライズ映像が送れる『銀のさら』の動画が、若者の間で話題になってますが、かなり斬新な内容になっていますね。

【加藤】 あの曲は「君が生まれてありがとう」っていうタイトルなんだけど、「創世記」にしようかって案もあったんですよ。それぐらい大局を歌っている曲じゃないですか。で、そこから突然、“君が生まれてありがとう”って歌うっていう、私も最初に聴いたときはすごい曲ができたなって驚いちゃって(笑)。でもすごくふくよかでスケール感がある曲だなと思いましたね。

――映像も斬新。このムービーを誕生日に送られたら絶対、感動します。

【加藤】 私自身も孫や友だちに送りました。大活躍してますよ(笑)。

――そんな『銀のさら』の企画など、様々なことを行っていますが、振り返ると“50年”はどんな年月でしたか?

【加藤】 私のデビュー当時は、音楽業界は演歌の大ヒットが次から次へと出ていて、その一方で加山雄三さんの「君といつまでも」や、日本のロッカーの走りである荒木一郎さんが私と同じ年に新人賞を取ったりもして、そういう時代の変わり目というか。音楽シーンも分岐点を迎えて、当時のメディアの中では悪戦苦闘しました。私はシャンソン歌手としてスタートしたんだけど、歌謡曲でレコード大賞新人賞をとったので“歌謡界”に入れてもらえて。でも、歌手がどんなものなのかわからなくなって、当時はすごく悩んでいました。そんなときに東大の卒業式がデモ隊と学生がぶつかる日と重なりまして、私も覚悟を決めたというか。“私は私でやる”って、大学生としての最後のケジメをつけるつもりでデモ隊に入りました。

◆50年間、何も計算できなかったし、何のセオリーも方程式もなくきてしまった

――歌手としてすでに有名になっているのに、すごい勇気ですよね?

【加藤】 歌手としての私は終わってもいいと思ってたから。でも、逆にものすごいセンセーショナルになって、みんなが歓迎してくれたんですよ。そこから夫になる藤本敏夫と出会ったんだけど、私が何を歌わなきゃいけないかってことがハッキリ見えてきた年なんですよね。

――藤本さんは当時の学生運動指導者ということで、2人の恋愛、結婚も当時とてもセンセーショナルでした。でもこのあと「ひとり寝の子守唄」や「知床旅情」と立て続けにヒットを飛ばして“歌手・加藤登紀子”の地位も盤石になっていきましたね。

【加藤】 でも「ひとり寝の子守唄」を作ったときはギリギリの状態で、音楽業界に未練はない、さよならしようって出した曲なんです。そういうものってエネルギーがあるのかもしれないですね、伝わっちゃうというか。「知床旅情」がヒットしたときも、実は私自身は人間としてどうやって生きていいかわからないって状態で、心はズタズタだったんですよ。で、藤本との結婚する決心をして、歌手はこれで終わりでいいと思っていて。

――激しいですね(笑)。

【加藤】 人生は長いし、どんなことやって生きてもいいじゃない?って、当時はそんな選択肢だったんです。でもこのとき最後のつもりでやった日比谷の野音のコンサートが、むちゃくちゃ楽しくて(笑)。そう考えると50年間、私は何も計算できなかったし、何のセオリーも方程式もなくきてしまったけど、そんな私をいつも一番わかっているのは、曲を聴いてくれるお客さんたちのほうだったなと。

◆やり残していることが、まだまだたくさんある

――近年では、ゴスペラーズなどの若い世代のアーティストとの交流『FUJI ROCK FESTIVAL』にも初出演し、話題になりましたが、常に自分を更新していく。その原動力はどこにあるんでしょう?

【加藤】 さっきも言いましたけど、やり残し感ですね。私は歌手とソングライターと両方やっているから、歌手としてやりたいこともあるし、ソングライターとしてまだ歌にしてないなってこともある。やり残していることがね、まだまだたくさんあるんです。

――50年やってきたからこそ見えたこと、感じたことってどんなことですか?

【加藤】 若いときってトンネルを潜ってるような感覚ってないですか?先が見えなくて前に向かうしかない、とりあえずまっしぐらに進むけどさっぱり結果がわからないみたいな。それがね、トンネルを抜けたっていう感じになるんですよ。あ、出口あったんだ、ちょっとゆっくり見渡してみるかって。それまでは種を撒いてるだけだから、花が咲くかどうかわからないんですよ。でもそこを過ぎてふと振り返ったとき、後ろにはちゃんと道がついている……ってそんな感覚ですね、50年は。

◆加藤登紀子が歌う宅配寿司『銀のさら』のバースデーソング

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学生がバリケード占拠した安田講堂前で卒業証書を手にする歌手の加藤登紀子さん(1968年03月28日 東京・文京区本郷の東京大学)

1966年レコード大賞に選ばれた橋幸夫さん(前列左)、特別賞の加山雄三さん(同右)、新人賞の加藤登紀子さん(後列左)と荒木一郎さん(同右)(東京・千代田区の日生会館)

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