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2015年03月24日 01時36分 JST | 更新 2015年03月24日 01時36分 JST

カンボジアの急速な発展の陰に、強制移転で悲しみに暮れる人々の姿がある(画像集)

ほんの数年前まで、カンボジアの首都プノンペンにあるボンコック湖は、同国の主要な観光地で、そこには数千人ものカンボジア人が住んでいた。しかし現在、湖は砂に埋もれている。

ほんの数年前まで、カンボジアの首都プノンペンにあるボンコック湖は、同国の主要な観光地で、そこには数千人ものカンボジア人が住んでいた。しかし現在、湖は砂に埋もれている。

2007年、有力者とのつながりがあるカンボジアの企業が、この湖の周囲の土地を開発する権利を手にした。この会社が支配権を得た1年後、湖は砂で埋め立てられ、高級物件の建築プロジェクト用地となった。数千人の住民はこの建設のために立ち退きを余儀なくされた。

2011年7月7日、プノンペンに接近する嵐の中、木製の小船を漕ぐボンコック湖の居住者。背景に見えるのは閣僚評議会と首相府の新しい建物だ。

プノンペンの激変は、写真集「変わりゆくカンボジア」のテーマの1つだ。写真集はフォトジャーナリストのニコラス・アクセルロッド氏とジャーナリストのデニス・フルビー氏、デザイナーのファニー・ローラード氏のコラボレーション作品で、カンボジアの近代の発展と、その発展が社会と景観に及ぼしている影響について取り上げている。

フルビー氏はニュースサイト「アジアン・コレスポンデント」に、「市内中心部の家から強引に追い出された数百の家族にとって、開発とは不毛の地への移転を意味します。そこでは学校、医療機関、市場や、収入を得るすべての機会から隔離されるのです」と、で述べた。「自分の土地のために戦った人々は、激しく弾圧され、催涙ガスや高圧放水砲で家から追い出されました」

アクセルロッド氏は、2008年以来、カンボジアの急速な開発と、国内に及ぼしている影響を記録し続けてきている。ボンコック湖での状況を取材した後は、カンボジア国内で他にも立退きの対象になっている地域や、その地域に引っ越して来て台頭している中流階級を撮影し始めた。

「現在の状況は、今後一切見ることができないカンボジアの局面です」。アクセルロッド氏は「ボイス・オブ・アメリカ・クメール」に語った。「中流階級が目をみはるほどの早さで台頭していて、未だかつてないほどの富がカンボジアに流入しています。しかし、私が懸念し、恐れているのは、この変化の背後に多くの人々が取り残されているということです」。

以下に紹介しているアクセルロッド氏の作品の一部をご覧いただき、この本をサポートする「変わりゆくカンボジア」のクラウドファンディングのページを訪れていただきたい。

2010年8月23日。立ち退きのために家を解体するボンコックの労働者。居住者は賠償金として8500ドルを受け取るか、500ドルを受け取り、郊外に家を移動する措置を受けるかのどちらかを選択する。

2009年3月3日、プノンペン中心部にある、波型鉄板で囲われた自宅の前に座る2人の少女。彼女たちのコミュニティは2番目の立ち退き予定になっている。ボレイケイラの家から立ち退いた1番目の立ち退き予定者は近隣の地域に移転したが、彼女たちが含まれる2番目の立ち退きでは、より遠く離れた地域に移転させられる予定だ。

2009年3月3日、プノンペンの「グリーン・ビルディング」として知られる建物の立ち退きで家族の荷物をまとめている高齢の居住者。ほとんどの世帯で、少なくとも一人のHIV患者がいる。彼らは、仕事・水道・適切な医療へのアクセスがなく、波型鉄板で覆われたプノンペン郊外の小屋に移転させられた。

2009年3月27日、プノンペン市内の壊れたパイプから吹き出す泥水で遊ぶ子ども。このパイプはボルイクイラと呼ばれる地域の天然湖に砂を注入するパイプだ。この地域の住民は、2009年の中頃に、集合住宅用地を作るために立ち退きを余儀なくされた。

2009年1月24日、プノンペンのダイグラホムの強制立ち退きで破壊された家屋の瓦礫に突入するブルドーザーから逃げ惑う居住者。プノンペン中心部い位置するダイグラホムには、芸術家や音楽家が多く住んでいた。この立ち退きで、居住者はプノンペンの郊外に移転させられた。

2012年7月27日に撮影された、プノンペン中心部から3キロ北で行われる都市開発事業「カムコシティ」。この衛星都市の高層ビルとタウンハウスの多くは、天然湖を埋め立ててできた土地に建設されている。

2014年3月30日、カンボジアで行われた博覧会中に、電話で開発事業「ダイヤモンド

・アイランド」について話す営業担当者たち。プノンペン周辺に開発された衛星都市では、広大な集合住宅向けにキットハウスを販売している。以前はサンボック・チャップという農村があったが、2006年に立ち退きさせられている。

2014年6月30日、イオンモールの店頭に陳列されるフライドチキンを見ている女性のグループ。イオンモールは、カンボジア初のメガモール。その落成式にはフンセン首相が出席し、様々な経済的背景を持った居住者たちがトラックで運び込まれ参加した。

2014年6月5日、プノンペン中心部を従妹と3輪タクシーで移動するクンテアさんと、彼女の息子。クンテアさんは、4軒の駐在員の家で掃除婦として働くシングルマザー。

2013年11月30日、プノンペン。友人のサムさんの誕生日パーティーでパフォーマンスをするローザさん。サムさんはカンボジア初のポスト・ハードコア・メタル・バンド「ノー・フォーエバー」のリード・シンガー。サムさんはバンドのメンバーと共にカンボジアにオルタネティブ ミュージックを浸透させようとしている。

2012年2月10日、プノンペンのブティック・ホテルで行われたファッション撮影会でポーズを取るモデル。2009年にはカンボジアでファッションへの投資が流行し、高級ブランドが首都で買えるようになった。2011年には、カンボジアが初めてファッションウイークを主催した。

2013年12月4日、コンポントムの国道6号で、プノンペンでの10日間の人権デモ行進の第4日目の準備をする僧侶たち。2013年7月のカンボジアの総選挙後、僧侶の団体が積極的に政治にかかわり、人権運動を推進している。

2014年1月27日、プノンペンで、ラジオ局の受信範囲の拡大と、テレビ局の開局許可を政府に求めるデモ中に機動隊と衝突するラジオ局のオーナー、マム・ソナンドさん(写真にはその姿が入っていない)とそのサポーター。テレビ局の大半は国に規制されているが、外国の新聞とラジオ局は運営を許可されている。

2012年10月21日、同月15日に逝去したノロドム・シアヌーク前国王に敬意を表するためにプノンペンの王宮前に集まった人々。1953年にフランスから独立して以来カンボジアを見守ってきた前国王の死はひとつの時代が終わりを意味した。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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