朝鮮戦争(1950-1953)時に北朝鮮と韓国に生き別れた離散家族の再会事業が10月20日、北朝鮮の金剛山で始まった。
20回目となる再会事業は、2014年2月以来、1年8カ月ぶり。20~22日は、北朝鮮側の96家族が韓国側の家族と会い、24~26日は韓国側の90家族が北朝鮮側の家族と再会する。
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イ・スンギュさんは1950年に夫のオ・インセさんと生き別れた当時、結婚6カ月だった。お腹には子供がいた。
ハンギョレによると、夫オ・インセさんは、韓国中西部の忠清北道清原(チョンウォン)郡で「村の男たちは訓練を10日ぐらい受ければいい」と言って家を出た。妊娠中の妻は「いってらっしゃい」と手を振って見送ったのが最後だった。一人残された妻は韓国内を転々としながら、昼は農作業、夜は裁縫で一人息子を育ててきた。
夫が生きていると思わなかったイさんは、欠かさず法事(祭事)も執り行ってきたが、今年、夫が生きていることを知った。聯合ニュースTVの取材に、再会前の心境を以下のように語った。
「夢にも見たけど、ただ胸の奥に秘めて生きてきた。誰にも言えないし、言わなければならないものでもないし…。どれだけ苦労して生きてきたか、生きていてありがとう…」
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生き別れた当時はそれぞれ20歳と18歳だった2人は、85歳と83歳になっていた。
ハンギョレによると、夫オ・インセさんは、妻イ・スンギュさんに「近くに寄って」と言った。夫は北朝鮮で新たな家族を設けていたが、再婚せず、独身でいつづけた妻は、夫の手に腕時計をはめた。「昔は時計が貴重でね。夫に時計一つプレゼントできなかったことが心残りだったの」
夫と生き別れた当時、妻のお腹の中にいた息子オ・ジャンギュンさんも、長年の願いを叶えた。父が行方不明になって5カ月後に生まれ、厳格な母に育てられた。生まれてから一度も顔を見たことのない父に会う息子は再会前、NEWSISとのインタビューで「『アボジ』(父)と一度、呼んでみたい。女手一つで苦労した母の手を握って『ごめん』と言ってほしい」と話していた。
力いっぱい「お父さん!」と叫んだ。床にひざまづいた。思いっきり泣いた。父オ・インセさんも息子を見るなり抱きしめた。息子は「お父さんの息子として、堂々と生きようと頑張ってきました」と泣いた。
この記事はハフポスト韓国版に掲載された「結婚6カ月で生き別れた夫に65年ぶりに会いに行く」「65年間待った夫についに会った」を翻訳、編集しました。
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