シュミット・元西ドイツ首相が死去 ハイジャック機に特殊部隊で強行突破命じる

東西冷戦時代、西ドイツの指導者として存在感を発揮したヘルムート・シュミット元首相が11月10日、ドイツ北部ハンブルクの病院で死去した。96歳。
File - (AP) Helmut Schmidt - German Chancellor. (AP-Photo) 1977
File - (AP) Helmut Schmidt - German Chancellor. (AP-Photo) 1977
ASSOCIATED PRESS

東西冷戦時代、西ドイツの指導者として存在感を発揮したヘルムート・シュミット元首相が11月10日、ドイツ北部ハンブルクの病院で死去した。96歳。朝日新聞デジタルなどが伝えた。

ハンブルク生まれ。第2次世界大戦は東部戦線の対ソ連戦に従軍したあと、ハンブルク大学へ。ドイツ社会民主党に入党し、1953年にドイツ連邦議会に初当選。ブラント政権で国防相、経済財政相などを歴任し頭角を現した。

1974年の首相就任後は、フランスのジスカールデスタン大統領らと親密な関係を築き、1975年に主要国首脳会議を組織し、EU(欧州連合)の通貨統合の足がかりとなるヨーロッパの地域統合に大きく貢献した。米ソ対立が強まる中で東西の仲介役に努め、緊張緩和に重要な役割を果たした。

1977年10月18日、解放されたルフトハンザ機の乗客

乗客・乗員91人が人質となった1977年のルフトハンザ機ハイジャック事件では、赤軍派幹部の解放を求めるハイジャック犯の要求に応じず、特殊部隊を強行突入させて乗客・乗員を無事に救出した。

1982年に退陣後は、週刊新聞ツァイト紙の共同発行人として言論界でも活躍。80年代に日本メディアのインタビューにも頻繁に応じ、当時、海外から指摘されていた貿易黒字の縮小などを求めていた。

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