HEATHER HAZZAN
水着を着て企業のオフィスに行き、蛍光灯の照明の下に立って、携帯電話のカメラで撮影され、5万人以上の視聴者がいる大手ニュースのFacebook Liveで放送される......。あなたも、試してみますか?
私は最近、やりました。私は「大きいサイズ」のモデル(サイズは12号(日本の13号))としてニューヨークで活動していて、サイズ2号の水着モデルと一緒に、最新トレンドのモデルとして水着ブランドに雇われました。様々な体型に合うスタイルの水着を披露する目的でした。
もちろん、Facebookライブ映像の視聴者は、質問もできてコメントもつけることができました。400ほどのコメント中、395個は感じの良いもので、なかにはかなりやさしく、体型についてもポジティブなものばかりでしたが、それでも少数の意地悪なコメントを気にする自分がいました。
ある男性は、私にはジムの会員証がいると言いました。
別の男性は、はっきり「太った女はだめだ」と言いました。
別の、同じく男性の視聴者は、なぜ私が水着モデルをしているのか疑問だったようです。
人がこんなに残酷になれることがショックだったとは言えませんが、ネガティブなコメントをしたのが男性だけだったことは興味深いです。女性たちはとても褒めてくれ、自分と似た体型のモデルが着た水着を見られて、イメージが湧きやすいと喜ぶ人もいました。さらに、失礼なコメントをした人に「優しくしなさいよ、彼女がしていることをあなたがやってみればいい!」と言ってくれる人までいました。
人があなたについて言うことは、あなたに関係ないし、関係あるのは発言した彼ら自身です。
これらのコメントを何とも思わないと言っているわけではありません。実際、数時間は考えましたし、体重を気にしている自分にも気づきました。
私には選択肢がありました。ごく少数のヘイトに満ちたコメントを内在化して自分の体型に苦しみ、最低の気分になるのか。または(自らに)勝つことを選び、自分の体験についてオープンに語れば、他の人にもどんな体型やサイズでも体を愛することや、運動やメディテーション、ヘルシーな食事などで、日々自分をいたわり体を敬うように伝えることができるかもしれない。
外出する日もしない日も、体が受けるすべての影響を考えると、私は本当に感謝の気持ちで満たされているので、言えることは「ありがとう」だけなのです。
社会が求める、美しさの細かい基準に当てはまらないことで感じる羞恥心は、ありのままの自分を受け入れることや、そして私の価値は、(とくに酷い照明下の)水着姿よりもはるかに大きいものだ、という認識に置き換えられました。
体型を恥ずかしいと感じさせるこの体験は、私のだけのことではありません。私は30代の大人の女性で、人前でモデルをするのが仕事ですから、問題ありません。
でも、世界中にいる私と同じサイズか、それ以上の若い女の子や女性が(それが人口の大部分です)、このように女性の体が批判されるのを見たり、聞いたりしたらどう感じるでしょうか? 私にとっては、それが問題です。
つまり、サイズ2号か、すごく痩せていなければ、「あなたは美しくない、無価値で不十分だ」といわれているのです。サイズ0号のスーパーモデル、クリッシー・テイゲンでさえ、体型について恥ずかしく感じた経験があり、「デブ」と言われたと公表しました。
私が確実に知っていること:
人があなたについて言うことは、あなたに関係ないし、関係あるのは発言した彼ら自身です。代表例を挙げれば、「太った女はだめ」と言った男性は、体重が約180キロ以上ありました。そう、コメントから彼のFacebookページを見たわけです。
この男性には同情します。多分、自戒のつもりだったのでしょう。彼は自己嫌悪をこじらせすぎて、わざわざ時間を割いて、見知らぬ女性(私)に意地悪なコメントをしたのです。女性の体型を攻撃するコメントを。
この男性に愛を送ります。彼は苦しんでいます。彼は私のことを知りません。「太い太もも」なのは、身長195センチの体育会系の父に似たからだと彼は知りません。私が17年間競泳選手だったこと、110キロのレッグプレスができることも彼は知りません。
私が最近、2人の親友を自殺で亡くしたことを彼は知りません。時々、耐えがたい苦痛のせいで過食してしまいます。これは彼にも共感できることのように思います。
自信を持つこと、ありのままの自分と状態を認めることは、私にとって驚くほど魅力的です。人にやさしくすることほどセクシーなことはありません。
あの日、仕事に行ったとき、水着が素敵で快適に見えるように集中しました。あの動画を見るとき、私の目に映るのは内面から輝いていて、まぶしい笑顔で楽しそうにしている女性です。それが私にとっての美しさです。自信を持ち、ありのままの自分と状態を認めること(体重の変動を含むすべて)は、私にとって驚くほど魅力的です。人に優しくすることほどセクシーなことはありません。
コメントには不快なものもあった一方で、今回の件は、自分を癒し、成長させ、自分自身や体に優しくなかった頃を認める大事な機会だと受け止めました。自分の内面ではなく、体型が自分の価値を決めると考えていたあの頃。自分の横に立っているサイズ0号のモデルと比べていました。そして撮影現場で「デカい女」でいることに居心地が悪く、なぜ私も彼女たちのような「完璧な」体型になれなかったのかと考えていたあの頃。過食とアルコールにふけって自分を甘やかし、それでいて理想的な外見でもなく、動きかたも出来ないと自分の体に怒っていたあの頃。私も(自分自身に)かなり酷い批判を浴びせてきました。
本当に大事なのは、体に対する私の態度と考えかたです。念のため言っておくと、私はジムの会員証を持っていて、それも実は2つあります。週3~4回トレーニングしていて、私のトレーナーが言うには、彼のクライアントの中で私がはるかに一番パラフルな身体をしているそうです。
ええ、私はジムや撮影現場で一番痩せている女性ではありません。けれど、体を鍛えていて健康的で、何より大事なのは、人にやさしく協力的で、幸せだということです。
このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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