男性から女性へと性別移行した平沢ゆうなさんは、その実体験を描いた『僕が私になるために』(ぼくわた)で2016年3月に漫画家デビューを果たした。
性別移行を決意するまでの経緯を聞いたインタビュー前編に引き続き、後編では2015年2月にタイで経験した性別適合手術の模様や、性別移行後の感想を聞いた。
女性になる性別適合手術では、男性器を切除して女性器を形成するのだが、平沢さんの場合は尿道が詰まって排尿できなくなるという緊急事態があった。その際は「とにかく苦しかった」と、単行本で綴っている。
『僕が私になるために』より
■尿道が詰まり「お花畑」が見えたことも
――日本ではなくタイで手術をしたのは何か理由があったんでしょうか?
いろいろ考えて、日本の病院よりもタイの方がいいなと思いました。言葉の問題はあるけど、手術の件数が段違いなので、タイのほうが安心できる感じでしたね。あと私が受けた「S字結腸」という術式が、あまり日本で盛んに行われてないということもありました。
何より日本の性別適合手術は1964年の「ブルーボーイ事件」の影響で、30年以上も止まってしまったという歴史があって、再開されたのが1998年の埼玉医科大学での手術でした。その間に、世界的に大きく遅れを取ってしまったという事情がありました。
――それでタイでの手術となったわけですね。中でも尿道が詰まってしまい、尿意があるけど出ないアクシデントの描写が、読んでいて大変そうでした。
これは完全にアクシデントでしたね。排尿障害が起きることは、よくあるんです。リラックスできなくて、おしっこができなくなっちゃう。また自分の体に対応できないっていうのがあって。私も最初はそう思われていたんですが、そうではなかった。思いのほか患部に腫れがあって尿道口を圧迫していたそうです。
――お花畑が見えたということですが、臨死体験みたいですね。
私も、びっくりしました。本当に「死んだんじゃないかな?」と思いましたもん。麻酔を打っているんで、そういう幻覚が見えてもおかしくないですけど。現実世界でカテーテルから尿を出されて、すごく苦しかったのがなくなったことで、そういうイメージに変わったということでしょうね。
『僕が私になるために』より
■性別移行のハードルとは?
――平沢さんは20代後半での手術となりましたが、これは早い方ですよね?
はい。性別移行開始するのって、親の支援がない場合は、自分でお金を稼いで、解消せざるを得ないので、最速でも20代後半が多いんですよ。学生でも、自宅から通ってすごくバイト頑張っているとかでないと難しい。ただ、最近は理解ある親御さんもいて、親御さんの支援もあって、もっと早めに手術する方もいるそうです。
――3年間働いて蓄えたお金を使った感じですか?
とはいっても、車1台分ぐらい。180万円程度です。手術代とアテンド代込みで。もっと安く済む方法もあるんですけど、補償がなかったりとか、自分でコミュニケーションを取らなくちゃいけなかったりします。私が受けた「S字結腸」の術式はちょっと高くて、タイでは当時の日本円で180万円ですね。反転法は少し安くて130万円ぐらいです。
――では「自分らしく生きる」ための性別移行ですが、手続きから手術に至るまでを含めて、かなりハードルが高いということですよね。
そうですね。そんなに簡単にはできないです。社会的、経済的、物理的なハードルがありますね。
――もっと楽にできるようになればいいのに、と思うことはありますか?
うーん。「なりすぎても」という思いもあります。当事者にとっては「もっと楽になってほしい」というのは当然ですが、ハードルが低くなりすぎても別の問題があるとは思うんです。むしろ「あとから後悔するのが怖い」ていう。SRSをして後悔したっていう人も少ないとはいえ、いますからね。元に戻せない手術なので。
たとえば「未成年でも楽に手術できるようになりました」というのは、当事者からすると、すごく良いことですが「本人が慎重に考える」という意味では、ある程度の関門を設けておく必要性を、私は感じています。
ただ、「ぼくわた」にも描いたんですが、その関門のせいで本来受けられるはずの方が受けられない現状も事実なので、そこはやっぱり対話をしながら答えを見つけていかないといけないですね。
■「この本を出して傷つく人が出ないように」
――漫画を発表してみて、トランスジェンダーの当事者からの反応はどうでしたか?
漫画を読んでくれた方からの反響では、思ったほど悪くなくて、安心しています。でも、漫画で描く行為そのものに反対をする方は、やっぱりいらっしゃいます。「描いてくれてうれしい」という人もいれば、「私たちのことを売り物にして飯の種にしてるんだろ」という人もいる。当事者に限らず、自分のそういうのを売りにして「同情を売ってお金を稼いでる」と取る方もいる。でも総合的に見たら、やっぱり漫画にしてよかったなと思っています。
――発表前、不安を感じていた部分もあった?
そうですね。バッシングを私が受けるのは覚悟の上なのでいいんです。ただ、この本を出すことで傷つく人が出ることは心配でした。ギリギリで生きている方もいらっしゃるので、そういう人が一線を越えてしまうというのが、とにかく怖かったですね。だから、傷つかない程度のギャグとシリアスさは注意しました。ギャグに寄りすぎると当事者の方が逆に傷ついてしまいますし。
――そうですよね。ホルモン治療では特に精神的に不安定になりやすいと聞きますが...
そういうケースはよく聞きますが、ホルモンのせいなのかはよく分からないですね。実際、私もホルモンの波でけっこう浮き沈みありましたけど。
胸が出てきて女性っぽくなると思って、ホルモン治療する方も多いと思うんですけど、実際には個人差がかなりあるんです。育たない人は全く胸が育たないので。
やっぱり女性ホルモンをどんなに摂取しても女性になれないとか、希望を持って治療に励んだのに、その希望がなくなってしまったら、絶望につながりますよね。その気持ちは、よく分かります。
『僕が私になるために』より
■払いすぎた税金が戻ってきたような気持ち
――実際に性別移行して男性から女性になって、以前と今の自分を比べて何かが変わったように感じますか?
「明るくなったね」とか「強くなったね」とは、周囲からよく言われるようになりました。自分でも、ちょっとそう思う感じはあります。ただ、まだ「人生がすごく開けた」という感じではないです。SRSをして大変だったけど、人目につかないところを手術しただけです。むしろ手術以前から、人生は少しずつ変わっていたので、ちょっと自己満足度が上がったくらいですね。
――1歩進んだぐらいな感じでしょうか?
鏡を見て「すごく死にたくなる」ということはなくなりました。それは、GID当事者が誰しも通る道だと思うんですけど......。ただ、本当の女性になれたかって言ったら、そんなことはないと思いますし。子供だって産めるわけでもないです。「完璧な女性には、どんなに頑張ってもなれない」と、実感することのほうが多いですね。
でも、少しだけ控除された感じです。「税金取られすぎじゃない?」って思っていたけど、少しだけ返ってきた。神様と今の人間の医療技術によって少しだけ、払いすぎた税金が戻ってきたという感じです。
そのひとつが多分、「ぼくわた」だと思っています。神様から返してもらった。まだ取られている部分のほうが多いですけど。少し取り返した感じかな。
■自分の性別を決められるのは「あなただけ」
『僕が私になるために』より
――同じように性別の違和感を抱えている方へのメッセージがあれば。
自分を見つめるってすごくつらいと思うんですよね。すごく苦しいと思うんですよ。で、その期間も長丁場だと思います、長い時間、真っ暗な洞窟の中を歩くと思うんで、本当に怖いんですよね。でも...本当は、私たちは自由なんです。すごく不自由に生まれていて、社会的に不自由を強いられるんですが、その中でどう生きるかは自由です。
自分の性別をどう思うか、どう生きるかは、あなただけが決められるものです。他人が決めるものではない。だから逆に自分で選ばないといけないんだと思います。
何となくレールに乗っている人も多いと思います。でも、レールから外れても、別に宇宙空間ではないし、自分の足があるなら歩いていけるんです。性別移行の話だけじゃないけど、本当に誰かに言われた道を道路標識に沿って歩いたり、決められたコースを電車に乗っているだけじゃなくていいんですよ。駅を降りて歩いたっていい。
私はたまたま駅を降りて歩いたら、講談社というタクシーに乗って、次の目的地が見つかったという感じでした。もう本当、不自由で苦しいところばかり数えてしまうと思うし、私も実際そうなんですけど、別に立って歩く必要ないんですよ。不格好でも転がっていけばいいんですよ。私もそうしています。
――不自由な生き方で、がんじがらめになってる頃より自由になった感覚がある?
はい。もし何か「違うな」と感じていたら、実は自分の中に何か答えがあるんですよ。だって、答えがあるから違うって思うんですから。それを一生懸命見つめて探して、そこに向かって、休みながらでも転がりながらでもいいから、少しずつ前に進んでほしいですね。
重要なのは、とにかく自分の中を見つめ続けて、自分がどうしたいかを知ることですね。それさえ知っていれば、きっと道は開けると思うんです。
(インタビュー前編は、8月27日に掲載しました)