「かぐや姫」に隠された恐怖の裏ストーリー 「竹取物語」は愛の物語なんかじゃない

シャイな日本男子にぜひとも参考にしていただきたい古典文学の作品がある。それは平安初期に成立したといわれている『竹取物語』だ。
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人生には3回モテ期が来るとよく言われている。その都市伝説の真偽を確かめるには辛抱強く待つこと以外に術はないけれど、私はといえば、来日してから現在に至るまでの約10年間、交友関係が劇的に変わるような契機が1度も訪れていない。

人口1368万人がいるこの東京という街に住んでいるにもかかわらず、電話番号すら聞かれることなく、色恋に関していうと、東西南北を注意深く見回してもまるで焼け野原状態と言っても過言ではない。そればかりは努力してどうにかなるわけではないのだが、友達に相談をしてみたところ、「日本男子はシャイだから……」と目を伏せながら、みんなが口をそろえていうのであった。

そんなシャイな日本男子にぜひとも参考にしていただきたい古典文学の作品がある。それは平安初期に成立したといわれている『竹取物語』だ。

見たこともない姫に身もだえるチャラい平安男子たち

長年愛読され続けて、親しまれてきた『竹取物語』は、誰でも1度は目を通したことのある有名な作品である。その主人公であるかぐや姫は、驚異的な速さで大人の女性に成長し、この世のものとも思えない美貌の持ち主とうわさされるようになる。それを聞いた若い男たちはみな身もだえて、身分の差も気にせず彼女を自分のものにしたいと思い悩む。1度も姿を見たことがないのに、そこまで恋に燃えるというのは、おなじみの平安時代らしいチャラさである。

そして、かぐや姫に心底ほれ込んだ男たちは、思いつくかぎりの巧妙な手口で、脅威すら感じてしまうナンパ術を披露する。

そのあたりの垣にも、家の門にも、居る人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝も寝ず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひ合へり。さる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける。 人の物ともせぬ所に惑ひ歩けれども、何の験あるべくも見えず。

【イザ流圧倒的意訳】

その家に仕えている人でさえ彼女の姿を見る機会がめったにないというのに、この男どもときたら夜もろくに寝ないで屋敷のまわりの垣根やあらゆるところに穴をあけて、どうにかして中を覗(のぞ)こうとうろついている。そのとき以来、この行動を「夜這(よば)い」(強引すぎる求婚)と呼ばれるようになった。まともな人なら考えもしないところにまでふらついたりするが、まるで効果がない。

古代エジプト人は砂を表す50種類の単語を持っており、エスキモーは雪を表す100種類の単語を持っていたという話を読んだことがあるが、言葉の豊かさと、表現の広さはその文化の価値観のバロメーターともいえる。古典の日本語に限って考えると、やはり男女関係にまつわる単語が驚くほど多く、かつそれぞれの表現の持つ意味合いが実に細かく定義されている。

ここの数行では、「垣間見る」(ものの隙間〔すきま〕から誰かをこっそり覗き見る)と、「夜這い」(男性が求婚して女性のところに通いつめる)という表現が使用されている。似たような意味合いを持つ言葉には、「呼ばふ」(求愛のために女性のところに行く)「逢ふ」「語らふ」「契る」「髪を乱す」などがあるが、どれも男女が深い仲になるという状態を表している言葉だ。

平安時代の人たちが得意としていた比喩の領域に足を踏み入れると、もうキリがない。情熱の国として名高いイタリアは、ほとんどのシチュエーションにおいてアモーレ一筋で済ませていることを考えると、少し物足りなささえ感じる。

そこでやはり思うのだ。愛の文化を育むことができた平安時代の貴族たちは、きっとヒマをもてあましていたから、あれだけのパッションがあったに違いない。出会いがないと嘆く働き詰めの現代人に、少しだけでもその情熱を分けていただきたいところだ。

もちろん、『竹取物語』は、暇な貴族が愛におぼれ、かぐや姫に対してストーカー行為を繰り返すだけの話ではない。

すごい人たちに求婚させている

「物語の元祖だわ~」という紫式部先生の絶賛の言葉からわかるように、『竹取物語』は現存する最も古い物語だ。作者は不明だが、当時の藤原政権にかなり批判的な立場にあった、中級貴族の男性知識人らしい、という点に多くの研究者の意見が一致している。その見知らぬ作者が残したこの作品は、さまざまな歴史がうかがえる貴重な資料であるだけではなく、緻密に練られたプロットの中に、楽しい要素がふんだんに盛り込まれた優れた小説でもある。

『竹取物語』で面白いのは、随所に散りばめられている裏ストーリーだろう。

たとえば、かぐや姫には数え切れない求婚者が群がるわけだが、この「人選」がなかなかだ。最終候補に残ったのは、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足という、恋愛中毒の貴公子5人。誰よ、こいつら? しょせん想像上の物語の人物じゃん……と思いきや実はそれぞれ実在した歴史的人物なのである。

しかも、あらためて名前を見直してみると、皇子、大臣、大納言、中納言……当時のヒエラルキーに詳しくなくてもなんとなく錚々(そうそう)たるメンバーが集まっている感じが伝わる。名前がほぼそのまま、または少しもじった程度のカムフラージュしかしていないので、当時の読者にはそれぞれの正体がすぐに見破られたはずだ。

ご周知のとおり、この貴公子たちはかぐや姫から難題を出されて、それぞれ窮地に追い込まれる。要するに物語の中で、当時の最高権力者たちがネタにされているわけだ。平安時代がリベラルだったとしても、そこまで言ってしまって大丈夫なのか、作者不詳……と今さらながら心配になる。

もう1つ興味深いのは、かぐや姫は人間界の人ではないので、「結婚できない」という設定だ。女の姿を持っている以上、結婚をしないわけにはいかない、と迫る爺さんにかぐや姫が放つ一言がなんとも印象的だ。

「翁、年七十に余りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす、女は男にあふことをす。その後なむ門広くもなり侍る。いかでか、さることなくてはおはせむ」

かぐや姫の言はく、「なんでふさることかし侍らむ」と言へば……

【イザ流圧倒的意訳】

「じいはもう70歳を過ぎて、今日や明日死んでしまってもおかしくない。この地球の住人はみんな男というものが女と結婚して、女というものが男と結婚する。そうして子供を設けて、その繰り返しじゃ。それが普通なんだから、姫がそんなことをせずにいられるのは良いわけではありません」

それを聞いたかぐや姫は「どうして結婚などというものを必要とするのですか?」

「なんでふさることかし侍らむ」というかぐや姫の問いには、現代にも通じる問題意識が感じられる。姫が結婚をしないのは人間界に属していないからだと解釈されることが多いが、それだけが原因なのだろうか。逆に、「結婚を否定できる立場」にするために、作者がわざわざ姫を「月から来た人」に仕立てたということも考えられるのではないか、と思う。

浮気されちゃうし、あとで後悔するぐらいだったら、結婚するもんか!と時代の常識に逆らってかたくなに反対するかぐや姫の姿勢をみると、「ブラジャーよおさらば」というスローガンのもと、デモに出ていたウーマンリブの立役者の姿が思い浮かぶ。作者不詳がフェミニストで、女性の味方だったかどうかはさておき、彼には結婚を否定するれっきとした別の理由があったのではないか。

最初から勝ち目のない戦いに挑む貴公子たち

平安時代においては、女御たちが内閣の会議に参加することはなかったが、男性の出世は女性との「恋愛」によるところが大きかった。誰と結ばれて結婚するか、あるいは、誰と離縁するかによって、抜擢人事の対象になったり、逆に立場が危うくなったりすることは日常で、良い結婚は権力を手に入れる王道手段だったのである。

が、姫が結婚できないという設定になっている以上、求婚者がどう頑張っても彼女がもたらすであろう権力と莫大なおカネを手に入れることは、誰であろうとできない。

つまり最初から勝ち目のない戦いに貴公子たちは挑まされるのだが、それぞれの冒険と破滅する過程はとても詳細につづられている。作者不詳は何らかの理由で当時の権力者に反感を抱いていたのだろうが、手に入れることのできない目標に向かって空回りする彼らの姿をここまで詳細につづる背景には、作者不詳の時の権力者たちに対する深い恨みがあると言われている。

はたして作者不詳のドSっぷりは、貴公子たちが超難題に挑む場面でクライマックスを迎える。

「いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき」と言へば、「これよきことなり、人の御恨みもあるまじ」と言ふ。

【イザ流圧倒的意訳】

どなたの愛情にも優劣をつけられないので、私の願いをかなえてくれるかどうか、それこそ愛の証拠じゃないかしら。欲しいものをもって来てくれる人がいれば、その人を結婚相手にするわ」と姫が言い、爺さんは「そりゃいい考えだ。それならみんなが納得してくれるだろう」と大いに賛成。

やれやれ、ちょっとした宝石とか立派な着物とかで我慢してくれるだろう、と高をくくっていた貴公子たちもすぐに賛成するが、待ち構えていたのは想像を絶する難題ばかりだ。

石作皇子には仏の御石の鉢。それはインドに1つしかないという高級品だ。3年間ほどブラブラしてから、そこらの山寺に置いてあった黒くすすけた鉢らしき代物を盗んできて、シレッとした顔で姫に出してみるが、即バレて脱落。さすがにこんな根性無しの男を姫と結婚させるわけにはいかないと爺さんも納得する。

エスカレートしていくかぐや姫の「注文」

車持皇子には中国にあるといわれている蓬莱の玉の枝を注文。根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝という、誰も実物を見たことがない品を探すのは至難の業だ。

それっぽいものを作れば竹取の爺さんもかぐや姫もうまくごまかせると企んだ車持皇子は、全国から職人を集めて秘密工場を造る。完璧な偽物が出来上がり、姫と爺さんがだまされそうになるが、報酬がきちんと支払われていなかった職人の内部告発によって、車持皇子のウソがばれてしまう。財力も失い、大恥をかき、2人目の挑戦者も断念。

右大臣阿倍御主人には中国にある火鼠(ひねずみ)の裘(かわごろも)を注文。インドの次は中国――やはり海外のブランド物にあこがれるのは現代女性だけではないようだ。火鼠なんぞ、想像しただけでも背筋が凍るのだが、その毛を織って作った布が火に燃えず、汚れても火に入れると真っ白になるという特別なものだと言い伝えられていた。

そんな珍しい高級品は簡単に手に入れられるはずがないが、右大臣阿倍御主人は、このコネやあのコネを使って、それを持っていると言い張る商人を見つけることに成功。お人好しなのか、確かめもせずに大金を注ぎ込み、目当ての品を手に入れて、スキップでもしながら得意げに姫のところに持っていく。

以前贋作にだまされそうになった姫は早くも学習して、プレゼントが差し出されるや否や、すぐさまに火をつける。案の定、贈られた布が目の前でメラメラと燃え始める……。

「さればこそ異物の皮なりけれ」と言ふ。大臣、これを見給ひて、顔は草の葉の色にて居給へり。かぐや姫は、「あなうれし」と喜びて居たり。かの詠み給ひける歌の返し、箱に入れて返す。

なごりなく 燃ゆと知りせば 皮衣 おもひの外に おきて見ましを

とぞありける。されば帰りいましにけり。

【イザ流圧倒的意訳】

「偽物だったわねぇ」と姫が言う。大臣は、盛大に燃える毛皮を見て、草の葉のように顔を青ざめて、ポカンと座っている。その一方姫が「うれしい、わーい!」と大喜び。大臣が品を持ってきたときに差し出した歌への返歌を、毛皮が入っていた箱に入れてその残りかすと一緒に突っ返した。

そんな簡単に燃えるものだと知っていたら、火になんかに近づかせないで眺めていたのにぃ。残念!

その言葉を読んだ大臣が黙って帰った。

もはやコメディそのもの……。しかし、燃え立つ炎を眺めながら大臣の失敗を笑っているかぐや姫はまるで悪女。顔こそきれいだが、情けゼロ。そして、大喜びの彼女の後ろに隠れて、作者不詳、あなたがニヤッとしているのも、わたしにはわかる……。日本人はよくもこの物語を子どもに読み聞かせている、と驚く。

続きまして大納言大伴御行は竜の首に光る玉を持ってくるように命じられる。こりゃもう命懸けだ。大納言大伴御行は他の挑戦者と違ってもう少しまともで真剣にそのお題に取り組もうとするが、自ら船に乗っているときに嵐に遭い死にそうに。何せ相手は竜だもの……。

命こそ落とさなかったものの、神経や内臓をすっかりやられて、腹がパンパンに膨れ上がって、両目はスモモを2つくっつけたように腫れあがっているという変わり果てた姿に。あれは女じゃない、悪魔だ!! とかぐや姫を罵(ののし)り、もう2度と彼女が住むところに近付こうとしなかった。

かわいそうな最後の挑戦者が手にしたものは

そしていよいよ華々しくフィナーレ。中納言石上麻呂足には燕(つばくらめ)が持っている子安貝というお題が出される。ほかの品に比べるとちょっと地味に見えるが、思わぬ展開が待っている。

子安貝をかっぱらうために、燕がヒナを産み落とすタイミングを見計らっていると、どこからともなく現れた物知りのおじいさんに、燕は尾をあげて7度回ってから卵を産み落とすと聞く。

それでは、と待ち構える中納言。平安時代では身分の高い男性ほど裾の長いものを身に着けていたようだが、足に引っかかりそうな衣服を着て、頭に被り物をして籠に乗る中納言と、その周りに忙しく動いている家来たちの様子を想像しただけで、笑いがこみあげてくる。

物知りのおじいさんに言われたとおり、回っている燕を見かけ、急いで籠を引っ張ってもらうのだが、何かをつかんだと思ったら落ちてしまう。気絶後、やっと目が覚めたら……。

「ものは少しおぼゆれど、腰なむ動かれぬ。されど子安貝をふと握りもたれば、うれしくおぼゆるなり。まづ、脂燭さして来。この貝、顔見む」と御頭もたげて御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。

【イザ流圧倒的意訳】

意識が少しはっきりしてきたけど、腰が抜けて動けない。でもどうだっていいんだ! 子安貝をしっかり握っているんだもん! うれしくてたまらない!! 明かりを持ってきて、早く見たい!」と頭を上げて、手のひらをゆっくりと広げた。ところが、子安貝を握っていたんじゃなくて、なんと燕が垂らした古糞をぎゅっと握っていただけだった。

ほかの挑戦者と比べて近い場所で手に入れることができる、最も地味な品を頼まれたにもかかわらず、かわいそうな中納言石上麻呂足は成功するどころか転落し、大恥をかく。そのあとすっかり元気をなくし、なんと命まで落としてしまう。かぐや姫のせいでついに死者が出てしまったのである。

そしていよいよかぐや姫がすべてを捨てて、遠いところへ旅立つ日がやってくる。この世の記憶をすべて失った姫は、結局最後まで「愛」というものを知ることなく、地球を去っていく。

これは愛の物語なんかじゃない

かぐや姫は近づく男性に難題を出して破滅に追い込む、冷酷な女だ。そして彼女の周りに群がる男たちは権力や財力はもっているものの、ウソつきだったり、詐欺師だったりする。非情な女の目を通して、人間の欠点や汚点が一つひとつ暴露されていくわけだが、彼らの「敗北」こそ権力に反発しようとしていた不詳の作者が最も望んできたことなのだろう。

この物語には恋や愛なんてちっともない。あるのは、欲望と傲慢さ、そしてウソだけだ。日本では、いまだに愛の物語やSFとして取り上げられがちだが、作者不詳が徹底的なまでに権力者を苦しめるこの話は、当時からユーモアの効いた風刺小説として読まれていたと言われる。

恋に命を懸ける昔の貴族を見習ってほしいと思い、草食化がどんどん進んでいる日本男子に『竹取物語』を推奨してしまったのがかなりの誤算だった。これだから私にモテ期が訪れないのかもしれない……。

(イザベラ・ディオニシオ)

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