テレビ番組や大手企業のPR動画の「炎上」が目立つようになった。
「性別」や「男女の役割」について一方的なモノの見方を示したり、昔からある決まった考えを押し付けたりするように見えるところが批判を呼んでいる。
「東京・新橋のオヤジたちの会話の"ゴールデンスタンダード"がPRやメディアの世界に紛れ込んでいる」
そう語るのは、企業の宣伝や広報を手がける「戦略PRプランナー」として知られ、「戦略PR 世の中を動かす新しい6つの法則」の著書もある、ブルーカレント・ジャパンの本田哲也代表だ。どういう意味だろうか?何が問題で、どう解決したら良いのかを聞いてみた。
ーーテレビのバラエティ番組や企業のPR動画で、女性を必要以上に、性的に表現したり、蔑んだりする表現が見られます。どうしてそういうことが起こるのだと思いますか。
テレビ局などのマスメディアや大企業の広告を担う大手広告代理店を含めて、「マス的な感覚」から抜けられないのだと思います。
良い意味でいうと「たくさんの人に届ける」というゴールに忠実なんでしょう。ネットでは数万単位の「リツイート」や「いいね」があれば、反響を呼んだコンテンツと言えるのでしょうが、マスという視点で見れば少ないですよね。
そういう見方をしてしまうと、「少数意見の視点」や、たとえ規模は小さくても「起こり得る反応」への目配りがおざなりになってしまうのだと思います。
本来ネットは、一人ひとりのきめ細やかな気持ちに応えられるようなコンテンツが向いているのですが、「マスに届けよう」と考えると、まずはバズらせよう、PVを取ろう、という発想になってしまう。
ーー例えば昨年(2017年)、サントリーの第3のビール「頂(いただき)」のPR動画で、出張先で現地の女性と出会って食事を楽しむ様子を"体感"するPR動画が物議を醸しました。女性たちが官能的な仕草をしていた点も批判されました。
作り手側に男性的な価値観が残っているのかもしれません。先ほどの「マス的な反響」を求める時、PRの世界では安易な「性的な表現」に依存することは、最も避けないといけないことです。
私は新橋の居酒屋が好きなので、これはあえて言うのですが、新橋の飲み屋のオヤジたちの会話のゴールデンスタンダードである「卑猥な会話」のノリが、PRやメディアの世界に紛れ込んでいるとも言えます。ただ、今の時代の日本社会では"ありえない"表現ですよね。
ーーどうしたら防げるのでしょうか。
私が企業側にアドバイスをするときは学校のクラスルームにたとえるんです。クラスに、ただ単に目立ちたい生徒っていますよね。授業中にわざと過激なことを言ったり、変な行動をとったり。そういう生徒は"アテンション"(注目)は取れるんだと思う。でも本当の意味では尊敬されません。ただ目立てば良い、という時代は確実に終わっています。
ーーこれまで、数々の名作CMを手がけたサントリーだからこそ「失望した」という面もありました。
CMやPR動画でメッセージを伝える場合、誰が言っているかという「Who(誰)」が大事なんです。
新橋のおじさんのプライベートな会話なら許される場合でも、名門企業の「サントリー」だと伝わり方が違ってくるのは当然ですよね。
どのように伝えるか、どんな手法で発信するかという「How(どのように)」も多様化しています。昔は良いCMを作ってお茶の間に流すのが主要な手法でしたが、いまはネットひとつ取っても、動画やソーシャルメディアなどたくさんの手段があり、拡散経路も複雑です。何かを発信する際、考えないといけないポイントが多数あります。
ーー海外と比べて、宣伝や広報を手がける日本の大手メディアや大手企業の男性の意識はどうでしょうか。海外企業のPRにも詳しい本田さんはどう見ていますか。
もちろん日本でも、政治家や企業経営者から「女性活躍の大切さ」が聞かれるようになりましたが、まだまだ課題は多い。あくまで肌感覚ですが、日本の「課長」や「部長」とアメリカの「マネージャー」や「ディレクター」の意識の差は大きいと感じます。
もちろんアメリカでも、女性差別はあります。「意識が高い」「意識が低い」は海外と日本で優劣がつけられるほど単純ではありません。
しかしながら、経営陣や政治家レベルではなくて、現場のマネージメント・クラスが、「明日の売り上げ」だけを考えているのか、「社会的課題」も含めて考えているのか、この差は日米で感じることがあります。
1億円の予算を使える人、決裁権や人事権を持っている人の"リテラシー問題"です。アメリカ人のマネージメント・クラスだと、社会問題について聞かれたらある程度のことは発言できます。女性を尊重する表現を選ぶことができ、LGBTQなど多様な性の価値観や人種についての知識もある。
日本だと、「そんな理屈っぽいことは後回し。四半期の売り上げを作らないと」というノリじゃないですか。
もちろん売り上げは大事ですが、ある程度のレベルの管理職になったら、会社のブランドや社会的責任を意識する「価値」について学び、自分の言葉で話せるようにならないといけません。
そうしないと消費者にどんどん置いていかれます。新橋の飲み屋の会話のノリではいけないのです。あ、何度も言いますけど、私は新橋の居酒屋大好きですし、愛しています。あくまでたとえです(笑)。
ーーそれは企業へのインタビューなどでも感じますね。もちろん、単純な欧米礼賛はいけませんが、海外の企業だと小さな部署の管理職レベルでも「会社の理念」をCEOのように語れる人が多い印象です。
日本はマーケティングとセールス(営業)がごっちゃになっているケースがありますからね。マーケティングは、目先のセールス(売り上げ)だけではなく、市場を開拓したり、新しいタイプの消費者とコミュニケーションを取ったりしないといけない。
そのためには、これまで声を上げにくかった人の価値観、例えば日本の場合だと女性もそうですが、そうした人たちの気持ちに、誰よりも敏感である必要があります。
ーーそれは「綺麗ごと」ではありませんか。日本の管理職は、厳しい経済競争に晒されているので...。
そうは思いません。消費者とのコミュニケーションを軽視して、良いモノを作っていれば売れる、という時代ではなくなっているんです。
よく日本は「ものづくり大国だ」と言う人がいますが、アジアなど新興国の台頭で、必ずしもそうではなくなっています。
消費者の価値観も多様化していて、単に「当社比20%洗浄力アップの洗剤」とPRしても魅力を感じなくなっている。消費者に愛されるブランドづくりは、綺麗ごとではなくて、重要な経営戦略です。
たとえば、電気自動車のベンチャー企業のアメリカの「テスラ」は、たまに事故を起こします。もちろん人が亡くなる場合がある自動車に関しては、細心の設計が必要ですし、テスラへの批判も根強い。
その一方で、テスラのイーロン・マスクCEO(最高経営責任者)が体現しているチャレンジ精神や、新しい交通社会への夢などに共感して、支持する消費者もいるんです。うまくコミュニケーションをしていますね。
ーー日本の企業はどうすれば、自社のブランドストーリーを、女性や外国人など多様な人に伝えることができますか?
過剰な"キャンペーン体質"を変えることです。日本企業は、季節性のある商品が好まれ、さらに流通の大きな部分を担っているコンビニエンスストアの商品の入れ替わりが激しいこともあり、短期的な宣伝に注力する「キャンペーン病」にかかっています。
企業が言っていることのひとつに、「年間を通じてテレビ、雑誌、ネットに企業や商品名が出るようにしろ」ということがあります。
「そうしないと、消費者に忘れられる」と言うんですね。そうやって、無数のキャンペーンイベントと無数の特設ウェブページが乱造されます。
でも結局、年間を通して見れば、消費者に「あれ、この企業は結局何が言いたかったのか」と思われるだけなんですよね。消費者も広告代理店も疲れるだけです。そして性別や価値観の多様性への考えが薄れて行く。
もちろん海外企業も、おバカなPR動画とか、短期的なバズを狙ったPRもしますよ。でも二階建ての発想というか、それはそれとして、きちんと別の階層では3年ぐらいかけて何を伝えたいのかという戦略を練ってやっています。3年使って、消費者とコミュニケーションをとる。
そういう発想にたてば、一つ一つの広告やPRが本当に恥ずかしくないメッセージなのか、多様な意見を反映しているのか、ステレオタイプに陥ってないか、"新橋の飲み屋の会話"になっていないのか、そんな意識が生まれるのではないでしょうか。
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"男女格差"は過去のもの? でも、世界のジェンダーギャップ指数で、日本は144カ国中114位です。
3月8日は国際女性デー。女性が生きやすい社会は、男性も生きやすいはず。社会の仕組みも生き方も、そういう視点でアップデートしていきたい。#女性のホンネ2018 でみなさんの考えやアイデアを聞かせてください。ハフポストも一緒に考えます。