「あなたが結婚して、社会は変わった?」同性婚したフランスの夫夫(ふうふ)からの逆質問

思いもよらない逆質問から、インタビューは始まった。
フランスで同性婚をしたジャン=クリストフ・ドルボーさん(左)と、ガエル・ロジェさん
フランスで同性婚をしたジャン=クリストフ・ドルボーさん(左)と、ガエル・ロジェさん
Takeshi Miyamoto

日本で2月14日、「同性婚を認めないのは違憲」だとして、全国の同性カップル13組が、国を相手取り、損害賠償を求めて集団提訴する

これまでに世界24カ国で認められてきた同性婚。国レベルでの同性カップルの法的保護の制度が何もないのは、G7では日本だけだ。

筆者が住むフランスでは、2013年の民事法改正で、同性間の婚姻が合法とされた。異性間の夫婦と同一法のもと、市民生活、税制、養子縁組、遺産相続など結婚にまつわるあらゆる点で、同じ権利と義務が認められている。

合法化以降、同性間の結婚は年間結婚総数の約3〜4%で推移。2017年は22万1000組が結婚、そのうち同性カップルは7000組だった。

フランスで、結婚した同性カップルはどんな暮らしをしているのだろう。そして同性婚が合法化されたことで、社会はどのように変わったのだろうか。結婚4年目のご夫夫(ふうふ)に話を聞いた。

同性カップルからの最初の質問

公立小学校の学童保育指導員をしているガエル・ロジェさん
公立小学校の学童保育指導員をしているガエル・ロジェさん
Takeshi Miyamoto

「あなたが結婚したことで、社会は何か変わりましたか?」

思いもよらない逆質問から、インタビューは始まった。そう私に尋ねたのはガエル・ロジェさん(44)、公立小学校の学童保育指導員を職としている。看護士である夫のジャン=クリストフ・ドルボーさん(56)と、パリ郊外の分譲マンション暮らし。22年来のカップルだが、結婚したのは3年前だ。

ミッドセンチュリー家具が趣味良く配された室内は、二人でリフォームしたという。優しい冬の光が差し込む居間で、想定外の問いかけに少々面食らいつつ、私は答えた。

「私の結婚で社会は......変わってないと思いますね。全く」

ロジェさんは笑みを深くして、会話を続ける。

「そうでしょう。相手が異性だろうが同性だろうが、結婚は個人の問題ですから。まして同性婚は全体の3〜4%ほどです。する人が増えたところで、社会に悪影響が出ることはない。変わるのは当事者の生活だけなんです。それもいい方にね」

私自身は2000年からフランスに住み、フランス人男性と異性婚をしている。6年前に同性婚が合法化されて以降、その法改正が私の生活に及ぼした影響は、たしかに心当たりがない。私の知らないどこかで、結婚できるカップルが増えた、それだけだ。ロジェさんの言うことはそのまま、生活者としての実感だった。

では、当事者にとっては何が変わるのか。一番の違いは「安定感」だと、ロジェさんとドルボーさんは口を揃える。

「同性婚が合法化される前は、僕たちは"永遠の独身者"でした。どれだけ長く一緒に暮らして、実の家族より信頼しているパートナーがいても、"独身者"でいるしかない。実利的にも精神的にも、それは大きな負担だったと、振り返ってみて感じます」

結婚とは、パートナーを守るもの。

看護士のジャン=クリストフ・ドルボーさん
看護士のジャン=クリストフ・ドルボーさん
Takeshi Miyamoto

フランスでの結婚は、合意した成人同士が「家族」となり、互いを保証し守り合うための制度だ。赤の他人を対等な家族として結ぶ制度は、他には無い。

事実婚として知られるパートナーシップ制度PACS(連帯市民協約)は、税制や家族手当の面で、結婚とほぼ同じ扱いを受けられる制度だが、それは日常生活の便宜を測るもの。各種契約や遺産、養子縁組など、長期スパンで共同生活の基盤を築き、維持するための便宜は含まれない。

「結婚」には、婚姻後の生活を長期的に安定させ、円滑にするため、様々な権利と義務がついてくる。納税や社会保障など財政の単位が一つとなり、不動産の契約や銀行のローン契約も、二人で組めるようになる。

家族として責任をシェアするので、配偶者には互いの扶養の義務と、生計維持のための支出負担の義務が生じる。死別後も二人で築いた環境で生き続けられるよう、遺族年金や遺産相続の制度が整えられている。

そういった「配偶者の権利と義務」は、結婚さえすれば、自動的に与えられる。しかし同性カップルには望むべくも無いものだった。家族になるための結婚が、認められていなかったからだ。人生設計をともにする成人同士なのに、ただ相手が同性であるというだけで。

生活実態は既婚者と同じでありながら、公的にはシングルと扱われる、そんな不平等な状況で、生き続けてきた。

合法化された同性婚、背中を押したのは母だった。

Takehi Miyamoto

「自分の生活実態が、公的に認められない。不法生活者のような感覚が、いつもありました。真面目に労働して納税して、違法なことはしていないのにね」

同性婚が合法化されるまでの日々を、ロジェさんはそう振り返る。

「不思議なことに、同性婚が合法化された後も、僕たち自身は『しよう』と思えなかった。結婚できない状況に、慣れすぎていたんですね」

彼らの背中を押したのは、ロジェさんの母親。異性婚の結婚生活を長年続け、その意義を十分に知っている人だった。

「このマンションを増築するとき、母が言ったんです。結婚すれば一緒にローンを組めて、返済もより楽になる。けれど大事なのはそれだけじゃない。結婚はあなたと彼を、お互いが死んだ後にも守ってくれるものだから、って」

自分たちも、互いを守り合う「家族」になっていい。それは予想以上に大きな、人生ビジョンの転換だった。ドルボーさんは振り返る。

「結婚式で『ウィ』と言ったときの感情は、なんとも言い表せないものでした。市役所という公的な場で初めて、『この人は僕の夫、家族です』と宣言できたんですから」

それは彼らにとって、初めて自分たちを、全面的に肯定できた瞬間でもあった。お揃いの指輪を身につけたのも、結婚指輪が初めてだった。

Takehi Miyamoto

フランスでも、同性愛は「隠すもの」だった。

ロジェさんとドルボーさんは今、自分たちの関係をオープンにして暮らしている。

別姓を選んだが(フランスは結婚後の別姓が認められている)、行政上も職場でも、享受する権利や制度は異性既婚者と同じだ。年老いた両親やきょうだい達も、彼らの結婚を受け入れている。

だがそれまでの道のりは、決して安らかなものではなかった。

「僕らの世代では、隠すのが当たり前。1981年にミッテラン大統領が刑法を改正するまで、同性愛は精神病の扱いだったんです」

そう話すドルボーさんは1962年生まれ。12〜13歳頃には自分の性的指向をはっきり自覚していたが、20歳くらいまでは女性との交際も試みた。

「自分が自分である、と認められるようになるまでは、辛かったですね」

夫君よりひとまわり年下のロジェさんも、「ずっと自分を否定していた」と言う。

初恋は6歳の時、仲良しの男の子に恋情の芽生えた瞬間を、今も覚えている。が、それは当時は「病気」とされ、認めてはいけないものだった。

女性と交際し、バイセクシャルを自認したときもあった。その理由をロジェさんは「悪い経験の定番パッケージ」と振り返る。

Takeshi Miyamoto

「フランス語では、力で劣る男性を『軟弱者』と罵倒するとき、『ペデ(おかま)』『アンキュレ(掘られ野郎)』と言うんです。同性愛者であることがそのまま、罵倒の言葉になっている」

「ヘテロの男性は、日常会話で本当に躊躇なく、この語を使います。スポーツ観戦なんかでもね。その度に、何度傷ついたか分かりません。しかも同性愛者であると知れると、罵倒の意味を込めて、同じ言葉を投げつけられる。声高には言わないけれど、ゲイであれば誰しも、何度もする経験なんです」

そんな定番パッケージを経るうち、「自分はゲイではない」と否認するか、「自分は罵倒されるような劣った人間だ」と受け止めてしまうようになる。いずれにせよ、自己否定をせざるを得なくなるのだ、という。

固定イメージを壊すために、カミングアウトする必要がある。

Takeshi Miyamoto

その自己否定からロジェさんが脱け出せたのは、20歳の時。パリで服飾系の専門学校に通い、周囲に同性愛をオープンにしている人が増えた。その中で少しずつ、自分の性的指向を認められるようになった。

「ちょうど時代も良かったんですね。90年代は、ゲイカルチャーがナイトライフの先端にあった頃。都会では、同性愛者の感性がクールであると認められていました」

その時代の変化に貢献したのは、自身の性的指向をカミングアウトした著名人たちだった。

「軟弱な男性」の代名詞であったゲイに、スポーツ選手や政治家がいる。続いて、「マル・ベゼ(モテない欲求不満女)」と揶揄されたレズビアンにも、魅力的な女優やアーティストたちが名を連ねた。

1998年には、当時の最大野党・社会党の有力政治家ベルトラン・ドラノエが、全国放送のテレビ番組でカミングアウトした。彼はのちに、同性愛者を公言して初めてパリの市長選挙に当選している(2001〜2014年パリ市長)。

「カミングアウトは、同性愛者の偏見イメージを壊すために必要なんです。軟弱でもない、劣ってもいない、精神病者でもない。社会に生きる真っ当な人間なのだと」と、ロジェさんは語る。

カミングアウトの隆盛期には、バッシングも多かった。だが、そうして同性愛者の顔が見えるようになったことは、同性婚合法化に向けての重要なステップだったと二人は考えている。

どこにでもいる善良な一市民として、社会が同性愛者を認識して行くために。

同性婚合法化までの、法的なステップ

Takeshi Miyamoto

90年代、カミングアウトやプライド・パレードなど啓発運動を経て、フランス社会は徐々に、同性愛者の存在を公に認めるようになっていった。

1999年には、同性同士の世帯構成を公的に認めるパートナーシップ制度PACSが成立する。実はこの法案は「同性婚を認めないため」の妥協案だったのだが、蓋を開けてみれば、利用者は異性カップルの方が圧倒的に多かった。

家族を作るのに、性別は関係ない。PACSというステップを踏んだこと、その制度を多くの異性カップルが享受したことで、同性婚合法化への地盤が固まっていったのだ。

2012年、大統領候補フランソワ・オランドは、同性婚合法化を選挙戦の公約に掲げる。当選後、すぐこの案件に取り掛かり、「自由を分かち合い拡大するこの法改正案を、勇気とともに提出すること。それは政治的・倫理的な責任である」と国会に提議した。が、議論は与党の予想以上に大紛糾した。

審議は合計170時間にも及び、その間、カトリック原理主義者など100万人を超える反対デモも巻き起こった。ロジェさんたちは支援デモに参加し、反対運動に胸を痛めながら、固唾を飲んで成立を願ったという。

法改正案は331対225で可決され、その約1カ月後には、フランス初の同性結婚式が挙げられた。以来2018年1月までに、約4万組の同性カップルの家族が誕生している。

少数だけれど、確かに社会を構成する人々。

Takehi Miyamoto

フランスでは、既婚カップルには性別を問わず、同等の権利が与えられていると書いた。実際にロジェさんたちは共同でマンションを買い、そのためのローンを一緒に組み、一世帯として納税している。クレジットカードや携帯電話なども家族契約だ。

同性婚が法制化されて、フランスの社会は何か変わったのか。

「同性愛者は全人口の約8%ほどと言われています。(国内の)結婚やパートナーシップ契約の実績を見ても、その数字はほぼ固定です(2016年、同性婚は結婚全体の3.09%、同性PACSは3.8%)。僕たちは社会全体に悪影響を及ぼせるほど、数が多くないんですよ。その点は心配しないで欲しいですね!」

冗談めかしてロジェさんは言う。

同性婚が法制化され、実績が出たことで、反対派も徐々に矛先を収めている。2016年の世論調査では、62%が「同性婚は合法のままであるべき」と回答。現在、同性愛者の権利の議論は、養子縁組のあり方に移っている。

しかし、全体から見た割合は約8%と少なくとも、同性愛者は確かに、社会を構成する人々だ。フランス政府は同性婚の合法化によって、その8%の人々に、人生の安定と肯定感をもたらした。

正しく勤労・納税し、一市民として穏やかに暮らすロジェさんとドルボーさんの姿は、その意義を十分に体現しているように見える。それまでの道のりを振り返るインタビューを、ロジェさんはこう締めくくった。

「当事者にもそうでない人にも、同性婚は話題にするのが難しい、デリケートなお題です。でも状況を変えるには、話をしていくしかない。不器用なやりとりでも、それを繰り返すことで理解が深まるなら、無関心よりずっといいんです。僕らはみんな、同じ船に乗っているんですから」

社会を大きく変えるわけではない、でも確かに、誰かの人生をよりよくできる。それが同性婚の合法化だ。それを日本で可能にするにはどうすればいいのか。「同じ船に乗っている」者同士、一人でも多くの当事者・非当事者に、考えてもらえたらと願う。

(取材・文:髙崎順子 写真:宮本武 編集:笹川かおり)

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