現在ミャンマーにて広告会社に勤務されている大徳孝幸さん。後編ではミャンマーに移住されるまで、そして実際に現地に来てから思うことについて語っていただきました。常に「攻めの姿勢」で物事に体当たりされていく大徳さんが、今後見据えるキャリアとは?海外で働いてみたいという思いが少しでもある方は、ぜひ読んでみて下さい。
1度きりの人生を絶対に後悔はしたくないから、ミャンマーへ
----リクルート退職後、転職先として選んだ佐賀県庁を1年で辞め、ミャンマーに移住されましたが、なぜ「安定」のキャリアから離れようと思われたのでしょうか?
大徳:地方創生を実現させるために転職して、行政で実際に働いて個人的に感じたこととして、このままでは能力的に転職が難しくなると感じたからです。たとえば「海外で挑戦したい」と5年後に思った時には、既に職場のカラーに染まり、動けなくなっているかもしれない。現状を打破して未来の選択肢を広げようと、抜本的に環境を変えることを決断しました。
また、前職から取り組んできた地方創生というローカルな問題をグローバルな視点で考えた時に「このままではいけない」と思ったことも、海外への転職を後押ししたのかもしれません。
(詳しくはこちら▶地方で働くローカル人材がグローバルで活躍できる、3つの理由!)
----ミャンマーで挑戦しようと決めた時、躊躇することはありませんでしたか?
大徳:もちろん躊躇はしましたが、「1度きりの人生を絶対に後悔はしたくない」という強い想いがありました。やはり私は中学の頃から抱いていた「世界を相手にする」という憧れを実現させたたかった。いつか海外へと待っているだけでは、その「いつか」は決して訪れないと思うのです。
それに、私は転職を決断した際も無鉄砲にミャンマーに来たわけではなく、ミャンマーに訪れ、現地で働く日本人に直接会い情報収集するなど、次のステップへの準備を着実にしてきました。だからこそ、こうして自分なりのキャリアを築くことができたのだと実感しています。
私は中学・高校には行きませんでしたが、大学には行くつもりでした。そして、なんだかんだ大企業に入って公務員にもなっている。安定が一番だと思いつつも退屈してしまって結局大変な道を選んで攻めてしまう、の繰り返しですね。でも、そうやってやればやるほど自分だけのユニークなキャリアができていく気がします。
----唯一無二のキャリアを築いていれば、ご自身の市場価値も高まりそうですね。
大徳:実は、ミャンマーに来る前に、ベンチャー企業からのオファーと政治家への道というふたつのオファーを頂いたんです。結局お断りしたのですが、このオファーのおかげで自信がつきました。どんな人生選択をしても、どこかで見てくれている人もいますし、私の歩んできた経歴にヒットする仕事もきっとある。だから、誰もやっていないことを選択するたびに不安にはなるのですが、同時に自信にもなりますね。
常に次のステップを見据え、必要な力を着実に身につける
----実際にミャンマーで働かれていかがですか?
今、私は広告会社で働いています。これまで日本では自分の得意分野で働いてきましたが、広告マーケットが未成熟のミャンマーという異国の地で、馴染みのない業界に転職したため、本音を言えば苦労することばかりです。
しかし、転職して初めて自分の市場価値を冷静に客観的に認識することができました。予定通りに事が運ばないのは当たり前で、語学の面なども含めて大変なことは山ほどありますが、これだけきついということは、乗り越えた時に自分はものすごく成長していると思うのです。
今の痛みは、きっと成長痛みたいなもの。この葛藤が新しい自分を作ってくれると確信しているので、今はしっかりとミャンマーで踏ん張り、次のステップへ大きく飛躍するための力をつけたいと思います。
----もし、目先の利益を考えていたら、公務員を辞めてミャンマーに飛び込むことはできなさそうです。将来を見据えた上での決断だったのですね。
大徳:そうですね。お金はいつでも稼げますが、経験と時間はお金では買えない。だから、今の会社でたとえ給料がもらえなかったとしても働くつもりで、ミャンマーに飛び込みました。そのために1、2年は働かなくてもここで生きていけるくらいの貯金をするなど、やるべき準備はしてきました。自分がやりたいことをやるためには、それなりの能力やスキルが必要ですよね。そこに対する努力は惜しみません。
安定したいのなら、攻め続けなくてはいけない
----大徳さんの人生やキャリアは、常に「攻めの姿勢」という印象が強いです。
大徳:日本人である私たちに残された選択肢としては、攻め続けるしかないと考えています。経済は右肩下がりで人口は減少、そして市場も縮小している。そんな環境で守りに入ったり現状維持に努めることは不可能です。だからこそ、安定したければ攻めなくてはいけないと思うのです。攻め続けるからこそ、自分だけのキャリアが形成されていくのではないでしょうか。
年齢が30歳を超えてから、時々自分の年齢を意識するようになりました。ネガティブな意味ではなく、挑戦したいことが山程あるんです。30歳を超えて、多様な人生設計を築けることにワクワクすると同時に海外で生き続けることを本気で考えるようになりました。日本に戻ることを考えた場合、年功序列の日本社会では、業界によっては転職しにくくなるかもしれません。日本は雇用の流動性も硬直的なので、そうなると今後も海外に居続ける方が、転職、そして自分がやりたいことを追求できる環境が整っているのかもしれません。
----ミャンマーで経験を積まれた大徳さんは、どんな国や場所で働いても通用しそうですね。
大徳:日本ではリモートワークやフリーランスなど「自由な働き方」が注目される場面も増えてきていますが、自由に働くというのは「好きな場所で、好きに生きられる実力をきちんとつける」という意味なのではないでしょうか。自分の働く場所や生きる場所を選べる人間でいるために、今後も攻め続けながら次のステップを着実に切り開いていきたいですね。
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【プロフィール】
大徳孝幸 / Daitoku Takayuki
福岡県出身。中学は1ヶ月のみ登校、高校は未進学。フリーターとなって全国を旅して回る傍、大検を取得。09年に大学卒業後リクルート(現・リクルートライフスタイル)新卒入社。人口1万人の長野県小布施町役場に出向し、2年間、交流人口拡大と移住定住促進を担当。15年佐賀県庁に入庁。地方創生部門立上げ後、2016年3月に退職。学生時代含め10年間携わってきた地域活性化の分野と日本から離れ、2016年4月よりミャンマーへ移住。ミャンマーへの移住相談・仕事相談・その他ミャンマーに関するご相談も受け付けております。
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