今年4月にミャンマーに移住してきた私ですが、移住の決断をしたのはわずか半年のあいだに二度、観光で訪問したことがきっかけでした。
▶インレー湖の東側の山を越えた高原にある、パオ族が支配するカックー遺跡にて
今回は、一体ミャンマーのどこに惹かれて移住を決めたのかについてお話をします。
ミャンマーに対する印象
▶一般的にオフシーズンである7月は、青い空と深い緑が茂った景観が一面に広がり、のんびり観光するにはベストシーズンです
2015年7月が初のミャンマー訪問でした。
訪れる前は軍事政権真っ只中。
観光ビザVISAが必要で、東南アジアの中でも最も縁遠い国だと思っていました。
この訪問の目的は、カンボジアのアンコール・ワット遺跡、インドネシアのボロブドゥール遺跡とともに、「仏教の3大遺跡」とも言われるバガン遺跡を見て回ることでした。
このエリアに並ぶパゴダ(仏塔)の数は3000を超えるとも言われていて、平原の至る所で目にすることができます。
世界三大仏教遺跡・バガンの歴史と人々
敬虔な仏教徒のミャンマーの人々にとって、パゴダの建設は最大の徳にあたることなのだそう。
そのため、富める者から順にパゴダ建設に資産を投じます。
パゴダを建てるだけでなく、それに発生する人の雇用や賃金も与えることで徳を積みます。
またその労働から賃金を得た者は、今度は自分で小さなパゴダを建設する......そうして徳を積んでいく信仰により、現在に至る遺跡群が誕生しました。
現地では英語がかなりの割合で通じ、私が少しでも困っているような様子を見せれば、こちらから頼むこともなく気さくに話しかけて助けてくれました。
旅をしていて困ることが一度もなかったほどです。
▶現地ガイドにバガンの隅々まで案内してもらいました
貧しい人には施しが与えられ、お金に対する執着心がなく、人をうらやむ心もない。
そのような風潮がバガンに住む人々や文化に深く浸透していることを感じ、私は気づけばこの国の虜になっていました。
ミャンマー移住を決めた衝撃のできごと
そんな旧き良き日本の昭和を彷彿とさせる雰囲気が漂う中にあって、ひとつだけ際立って気になったことが「スマホ」の存在でした。
2012年頃まではSIMカードが1枚10万円ほどもする高級品だったのが、現在では150円ほどで手に入るようになり、ミャンマーでは情報革命が急速に進んでいます。
それはバガンも例外ではありませんでした。
▶冒険の予感がする遺跡の数々に、興奮しっぱなし!
ふと立ち寄った小さな村で知り合った現地の女の子に「今、どんなものが好きなの?」と訊ねると、「テイラー・スウィフト」との答えが返ってきました。
スマホの浸透がミャンマー全域に広がり、外国文化の流入が急速にミャンマーの文化・価値観・ライフスタイルそのものを変えつつあるのを目の当たりにし、衝撃を受けました。
「2~3年後に来るのではもう遅い。
激動にある『今』のミャンマーを見ないと意味がない!」
これが移住を初めて意識した瞬間でした。
移住を決定づけた二度目の訪問
ミャンマーの観光ベストシーズンである年末年始に訪れたのが、二度目の訪問でした。
▶インレー湖では、水上の家々をボートでのんびり見て回ることができます。癒されました
海抜1300mのシャン高原に位置し、長さ22km・直径10kmある湖「インレー湖」を見に行きました。
この地には、水深が浅いところに家を建てて暮らすインダー族が住んでいます。
移動に使うのは片足漕ぎのカヌー。
片足で器用に櫓を操りながら漁を行う姿を目にすることができます。
ここではインダー族だけでなく、頭に織物を巻いたパオ族、カラフルな民族衣装で金属製の首輪が有名なパラウン族など、たくさんの少数民族に出会えました。
▶首長族の人々の機織り風景
この時期は、11月に行われたミャンマー総選挙から間もないこともあり、人々のあいだに「未来はきっと良くなる」という淡い期待と希望が溢れているのを感じました。
日本社会がこの先ずっと長期的な経済の伸びも見込めず、ネガティブな思考に覆われていることとは対照的に、居心地の良さを感じたのです。
▶夜、ライトアップされた遺跡も昼とは違った表情が見られておススメです
また、二度目の訪問時にはさまざまなバックグラウンドをもった、ヤンゴン在住の日本人たちと飲む機会がありました。
安定した生活を手に入れすっかりハングリーさを失っていた自分とは対照的に、未開の地にチャンスを求めて果敢に事業に取り組む20〜30代前半の起業家や経営者の話を聞いているうちに、自分も積み上げてきたキャリアを捨ててまで、もう一度ゼロから新しい環境で挑戦したいという考えがふつふつと込み上げました。
先のミャンマーの大変化の兆しも踏まえ、「ここで今ミャンマーに来ないと絶対後悔する。
やらない後悔より、挑戦して後悔したい」と覚悟を決め、帰国。
誰にも相談することなく帰国から2週間後には上司に退職の意思を伝え、1ヶ月後には退職届けを提出していました。
今思えば、先が決まっていたわけでもないのに我ながら無計画過ぎましたが、結果的にはベストな選択でした。
治安はよく、人も優しい。
ミャンマーの最大都市・ヤンゴン市内でさえ、夜ひとりで出歩いても他のアジア諸国の国々に比べれば格段に安心です。
▶インレー湖にあるワイナリー「レッドマウンテン」には、欧米人客が押し寄せていました
数ヶ月ごとに景色が一変するミャンマーのダイナミックな発展を目にできる今がチャンスです。
読者の皆さまの移住を、お待ちしています。
▶この記事が公開される頃には、1年ぶりに再びバガンに訪れる予定。何度行っても飽きない場所です
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ライター
大徳 孝幸/ Takayuki Daitoku
福岡県出身。中学は1ヶ月のみ登校、高校は未進学。フリーターとなって全国を旅して回る傍、大検を取得し福岡大学に入学。09年の卒業後リクルート(現・リクルートライフスタイル)新卒入社。人口1万人の長野県小布施町役場に出向し、2年間、交流人口拡大と移住定住促進を担当。15年にリクルートを退職し、佐賀県庁に入庁。地方創生部門立上げ後、2016年3月に退職、突如フィリピン・セブ島へ。学生時代含め10年間携わってきた地域活性化の分野と日本から離れ、今年4月よりミャンマーへ移り住む。
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