東京のPR会社で働くOLだった私が、ベトナムで日本語教師として働く理由

ベトナム生活ももうすぐ1年。今回は、自身を顧みるという目的も兼ね、「なぜベトナムで働くのか」をお話ししたいと思います。

Xin chào!

ベトナムホーチミン在住の鼈宮谷(べっくや)です。

ベトナム生活ももうすぐ1年。

今回は、自身を顧みるという目的も兼ね、「なぜベトナムで働くのか」をお話ししたいと思います。

少しでも、海外就職を考えている方のご参考になれば幸いです。

まずは、私の仕事と、ベトナムに来た経緯を簡単にご紹介します。

東南アジアで需要が高まる「日本語教師」という仕事

今は、日本語教師をしながら、ライターや編集の仕事をしています。

労働ビザは「日本語教師」として取っているので、この就職プロセスについてご紹介します。

日本語教師は、日本語を母国語としない外国人に日本語を教える仕事です。

ベトナムでは、就職先として日系企業が人気であることや、技能実習生として日本に派遣される人が増えていることから、主に20代〜30代前半の大学生や若手会社員が学習者の大半を占めます。

日本語教師は国家資格ではないので、極端な話、「私は日本語教師です」と名乗ればなることができます。

ですが、実際に日本語教師として企業や日本語学校で働くためには、下記の3つのいずれかが必須条件となっている場合がほとんどです。

 ・4年制大学または大学院で日本語教育学専攻

 ・日本語教師養成講座420時間修了

 ・日本語教育能力検定試験合格

私は、会社勤めをしながら週末を利用して専門学校に通い、「日本語教師養成講座(420時間)」を修了しました。

その後、たまたま「ベトナムで日本語学校の立ち上げメンバー募集」という求人を見つけ、応募してみたところ運良く採用されて、今に至ります。

ちなみに、履歴書を送付し面接(スカイプ)という流れは、日本の企業と同じでした。

東南アジアで需要の多い日本語教師ですが、現在海外で働ける人手が不足しており、毎月たくさんの求人が出ています。

給与面等の待遇は必ずしも良いとは言えませんが、「東南アジアで働いてみたい」という人に対して、門戸は広く開かれています。

(私の学校でも日本人教師を募集中です!)

ベトナムで働くまで

ベトナムに来る前の私は、東京のPR会社で働く会社員でした。

「なぜ海外に出たいと思ったのか」は、色々な要素が絡みすぎてすっきり説明するのが難しく、今も記憶をたどり、これまでの思考回路をゆっくり遡りながらこれを書いています。

個人的な話ですが、お時間のある方はぜひお付き合いください。

まず、私が生きる上で大事にしているのは、ひとつの事象に対してできるだけ多くの面を見る、ということです。

たとえば、スターバックスのコーヒーだけを飲んで「私はコーヒーが好き」と言うのではなく、ドトールや、自分で淹れたコーヒーや、街の小さな喫茶店など、いくつかのコーヒーを飲んだり、コーヒーの生産現場などの周辺実情を知ったりした上で最終的なジャッジを下すということです。

ただの優柔不断とも言えますが、できるだけこのプロセスは省きたくないと思っています。

それが大事だと思うようになったきっかけは、大学生の頃、バックパックを背負って約3ヶ月間の旅に出たことです。

自分の生まれ育った国を一歩出てみると、そこには生と死、恋愛や結婚、家族、学校、時間、夢、お金......それぞれのトピックに対して、何通りもの価値観がありました。

日本人同士でも価値観は違うのが当たり前ですが、その振れ幅の大きさが全く違うのです。

たとえば、「街の美化のために、ゴミはきちんとゴミ箱に捨てるべきである」というのもひとつの正義だし、「清掃業に携わる人の仕事を奪わないためにも、ゴミは道路に捨てるべきである」というのもひとつの正義です。

そんな中、「あなたは何が正しいと思う?」と聞かれても、とっさに判断できない局面に多く出会いました。

自分がこれまで正しいと信じてきたものたちが、足元からがらがらと崩れていくようでした。

私は、生まれ育った日本の法律や文化や常識に守られていなければ、何も自分の力で判断することができない。

目の前にいる人を、上手に理解することもできない。

それを突きつけられ、まずは世界の色々な考え方を知りたいと思うようになりました。

今まで積み上げてきたものを一旦全部壊して、またいろんな考え方を自分の中に取り入れて、一から軸を作っていきたかったのです。

と同時に、これは同じ日本人に向けて届けるべきことでもある、とも思いました。

日本は、そこでのみ通用する独自のルールから外れることに対してひどく不寛容な場所であると、当時の私は感じていたからです。

「これも正しいけど、あの道も正しいかもしれないよね」と示すことができれば、それが生きやすさにつながるのではないかと思ったのです。

自分の生き方を実験台にするということ

このように、「旅」は私の人生に大きなインパクトをもたらしました。

大学を卒業し会社員になってからも、連休を使っては旅に出て、これまで知らなかった価値観に出会って......というのを繰り返しました。

さらには、旅で出会ったものたちを誰かに届けるべく、会社勤めの傍ら、友人と一緒に『Travelers Box』というWebメディアを立ち上げました。

2013年2月、社会人3年目が終わりに差しかかった頃です。

また、同じ年に、「世界の"普通"を見て、多様な生き方を探る」という理念に共感し、雑誌『WORLD YOUTH PRODUCTS』の編集チームにジョインすることに。

この頃から、【日本の外にある生き方や考え方を探る】というのが私のライフワークになりました。

しかし、ふと我が身を顧みたとき、強烈な違和感がありました。

当時の私は、大学3年生で就職活動をし、ストレートで大学を卒業したあと東京の企業に就職という、いわば日本における王道とも言うべき選択をしていました。

「多様な生き方・考え方」を語るくせに自分は定番のレールに乗っかるなんて、おかしいのではないか?

その疑問を起点に、住み慣れた文化圏を離れてみよう、という決断に至りました。

多様性を語るなら、それに見合う視点を持たなければならないし、自分自身の生き方を実験台にしていくべきだと思ったのです。

これは数ある理由の中のひとつですが、そんなステップを踏み、先述の通り運良く拾ってもらったベトナムの会社で働くことになりました。

私は未だに、日々新しい価値観を取り入れながら自分の軸を再構築している途上で、大学生の頃から何も変わっていません。

その作業をしながら、ひとつの「こうあるべき」に捉われて苦しむ身近な人たちのことを思い浮かべます。

日本に帰るときには、ベトナムで出会った考え方生き方をたくさん持って帰って、それが身近な誰かの生きやすさに繋がったらいいなと思います。

ライター

鼈宮谷 千尋/Chihiro Bekkuya

大学卒業後4年間勤めたPR会社を退職し、日本語学校新規立ち上げのためベトナム、ホーチミンへ移住。WEBマガジン「Travelers Box」エディター/ライター、リトルプレス「WORLD YOUTH PRODUCTS」エディター。旅するように身軽に生きていきたい。

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