流れに身を任せる~私たちの小さな冒険

激しかったあの雨は、まるで、夢の中の出来事のようだった。

「今日、マリのファームに行こう」月曜日の朝、ポールが言った。

「ええ、今日?」今日は、雨が降っているし、すぐには止みそうもない。私は、川向こうにあるマリのファームに行くために、ケーブルカーに乗って、激流を渡っている様子を想像して憂鬱になった。

「大雨の中、あの川を渡るの?」

「大変なのは、川を渡るところだけだよ。川さえ渡ってしまえば、あとは、マリの家でゆっくりできる」

「うーん」

確かに、川さえ渡ってしまえは、マリの家までは徒歩5分。平坦な牧草地を歩くだけだ。

「オッケー、わかった。じゃあ、行こう」

マリの携帯に電話すると、「雨は強くなってきたけれど、まだ、川を渡ることはできる」とのこと。そこで、友達のマークに電話して車を出してくれるように頼み、1泊分の荷物をバックパックに詰め、念のために2日分、猫の餌を容器に入れて、家を出た。すると、まさにその時、雨が止んで、太陽が出始め、あたりが一気に美しく輝き始めた。

マリのファームは、ラフンタから15キロ離れた所にある。メインの道路から横道に入り、牛たちが草を食んでいる農場を過ぎ、フィゲロワ川の川岸に着いた。川は、かなり増水し、ゴウゴウと音を立てて流れている。この川に橋はない。マリのファームに行くには、マリーのお父さんが作った手作りのケーブルカーに乗って、向こう岸まで渡らなければならない。

「ポール!木乃実ー!」声のする方を見ると、マリが1歳になったばかりの息子のアントゥと一緒に、川の向こう岸から手を振っていた。私は、素早く手を振り、ロープを手前に引き寄せ、大きなショッピング・カートのようなケーブルカーに乗り込んだ。

カートは、一面が開いていて、そこから乗れるようになっている。ドアはないので、気をつけないと、バランスを崩して、落ちてしまう可能性もある。カートは、川の上に渡されたケーブルから吊り下がっており、滑車を使ってロープを引くと、カートが動く仕組みになっていた。

Open Image Modal
Paul Coleman

慎重にカートに乗り込むと、マリが向こう岸からローブを引っ張ってくれた。ケーブルカーは、風に揺られて、ユラユラと左右に揺れた。川は濃い緑色で、鬱蒼とした木々が川の両側を覆っていた。私は、宙を飛んでいるような気持ちになって、浮き浮きし始めた。まるで、別世界に行くかのようだった。

向こう岸についてケーブルカーを降り、半年ぶりに会うマリと、抱き合って挨拶をした。それから、マリがポールを引っ張る間、アントゥが川に落ちないように、私は、しっかりとアントゥを抱きかかえていた。

みな、無事にこちら側に着いたので、マリの家まで牧草地を横切って歩いて行く。やっと家に着くと、牛や羊の群れ、犬1匹と猫3匹が出迎えてくれた。

Open Image Modal
Paul Coleman

家の中には、薪ストーブが2つ、ついていて、とても、暖かかった。と、間もなく、マリの旦那さんのフェルナンドが仕事から帰って来た。食卓を囲んで、ビールとワインを飲みながら(私はお酒が飲めないので、ジュースを飲みながら)、夜遅くまで、話が弾んだ。

翌朝、二階の寝室から降りていくと、マリが尋ねた。

「おはよう!今日、どうしても、帰らなくちゃならない?」

「ううん。何も予定ないよ」

「よかった。じゃあ、新しく作ったビニールハウスを見に行こう」

朝食の後、ファームを歩いた。細かい霧雨が降っており、草原の緑が生き生きと色づいていた。

Open Image Modal
Paul Coleman

マリが、新しく作ったグリーンハウスや鶏小屋などを見せてくれ、持ち返って畑に植えるようにと、セント・ジョーンズ・ワートの苗木やニンニクをくれた。それから、「キンチョ」と呼ばれる、家族や友達が集まってバーベキューをする小屋へ行った。

マリとフェルナンドは、エコ・キャンピングを始めるために、この場所をキッチン兼ダイニング、くつろぎスペースに改造している途中だった。森に囲まれているし、川や滝もある。ここで、キャンプができたら、気持ちが良いだろうねと話し合った。

畑から採って来た野菜と卵でランチを済ませ、午後は、映画を観て過ごした。雨は夕方から激しくなり、夜には集中豪雨のようになった。

激しく屋根を叩く雨の音で目が覚めたのは、夜中の2時ごろだった。その激しい轟音は、まるで、大きな滝が、爆音を立てて屋根の真上に落ちているかのようだった。

「明日、川を渡れるかなあ」と、私が言うと、「多分、無理だと思う」と、ポールが言い、「1泊のつもりでマリの家に来ると、いつも、なぜか、延泊するはめになるね」と笑った。

案の定、朝起きてみると、フェルナンドが家にいた。川が増水して、仕事に行くことができなかったのだった。もしも、ケーブルカーで川を渡ったら、ケーブルカーごと、激流に飲み込まれてしまっただろう。私たちが、家に帰れる可能性は、皆無だった。

Open Image Modal
Paul Coleman

一つだけ、心配なのは、猫の餌だった。マークに電話をして、猫の餌をやりに家に行ってもらおう、ということになったのだが、携帯の電波が弱くて、電話をすることができない。2階の寝室へ行って、窓際に立ち、やっとのことで、電波を拾って、メッセージを送ると、「了解!心配ないよ。川に流されないように気をつけて」と、マークからすぐに返事が来た。

猫の心配がなくなると、あとは、できることも、何もないので、ただ、ひたすら、リラックスして過ごすしかない。そう思うと、何とも言えない解放感に包まれた。以前だったら、来た時に、すでに帰りの車を手配して、それをキャンセルするために、やきもきしていたことだろう。

でも、パタゴニアに住んでいる間に、予定をきっちり組み過ぎるのは、必ずしも良いことではないということを学んだ。予定がないのが、一番良い。自分でコントロールするより、流れに任せた方が、意外と事はうまく運ぶのだ。

そんなわけで、朝は、コーヒーを飲み、マリが焼いてくれた全粒粉のパンを食べながら、農家の人たちが、みな聞いている地元のラジオ番組を聞いた。

今日は、村役場の人が、ラフンタの農家に牛の飼料を無料で配る話をしていた。今年の冬は、特に寒さが厳しく、牛の餌となる牧草があまり育たなかったので、足りない分を補給するために、役場が飼料を無償で配給してくれるのだとマリが説明してくれた。事前に申し込みをした農家の人たちの名前が、次々に呼ばれ、その中にマリの名前も入っていた。

朝食が終わると、昼食の準備をした。ガスコンロがないので、薪ストーブで時間をかけて調理する。

マリが野菜と豆のスープを作ってくれた。

突然、落雷のような、ドドーンという音が聞こえたのは、昼食を食べている時だった。

「土砂崩れ?」みな、食べるのを止めて、耳を澄ませた。激しい雨音と川と滝の轟音が聞こえ、それに紛れて、また、ドドーンという音が聞こえた。

「やっぱり、土砂崩れだ!」

音は、マリの家の後ろにある滝の方から聞こえてきた。マリの家の飲料水は、この滝から来る。水道の蛇口を開けてみると、泥で茶色になった水が出てきた。水が透明に戻るまでは、一日中、水道を流し続けなければならないので、食後のコーヒーは、バケツに溜めていた雨水を沸かして作った。

雨は、止むどころか、どんどん激しくなった。私たちは、映画を観たり、音楽を聴いたり、アントゥと遊んだりして、一日を過ごした。

Open Image Modal
Paul Coleman

4日目の朝、雨は小降りになったものの、川はまだ増水していて、翌日まで帰れそうになかった。

「この家にある食べ物、全部、食べ尽くしちゃうね」と言うと、マリは、「そんなこと、心配しなくても、大丈夫だよ。たくさん、パン焼くから!」と言って、5斤もパンを焼いてくれた。

こんなに素晴らしい友達がいて、本当にありがたいと思う。毎日の仕事から離れて、身体を休めることができたのも、よかった。何日か前に、「ああ、なんとかして、一度、身体を休ませなくちゃ!」と言っていたばかりだったので、思いがけず、願いが叶えられたようだった。

マリの携帯に電話がかかってきたのは、昼食後だった。小規模の事業を始めたい人のために、政府が資金援助をするプログラムがあって、その担当の人が、今日までラフンタにいるので、マリと会って、資金援助の可能性について話をしたいと言うのだった。

「今日中だったら、何時まででも待っているから、川が渡れるようだったら、ラフンタに来て下さいだって」電話を切って、マリが言った。

「もし、川の水位が低くなったら、一緒にラフンタに行く?」とマリが言うので、「もちろん!」と答えた。

ラッキーなことに、夕方になると川の水嵩はぐんと減って、ケーブルカーで渡れるようになった。急いで、バックパックに荷物を詰め、マリの家を出た。すると、太陽が出て来て、滝の上に大きな虹が架かったのだった。

「おお!すごい!」ポールが叫んだ。「来た時は、晴れで、帰る時も、晴れ。その間は、集中豪雨!」

水嵩は減ったものの、川の流れは激しかった。フェルナンドが最初にケーブルカーで渡り、向こう岸から、みんなを順番に引っ張ってくれた。私は、アントゥを膝に乗せて渡った。

Open Image Modal
Paul Coleman

「アントゥを落とさないでね!!」とマリに言われていたので、アントゥが動いたらどうしようと緊張したけれど、アントゥは、とても静かにじっとしていたので、驚いた。生まれた時から何度もケーブルカーで行き来しているから、私より慣れているのだろう。フェルナンドは、全員を引っ張った後、ぜいぜいと息を切らしていた。

それから、私たちは、フェルナンドの車に乗って、ラフンタへ向かった。沈みかけた太陽が、谷を美しく照らしていた。

激しかったあの雨は、まるで、夢の中の出来事のようだった。

ー南米チリ・パタゴニアの大地で暮らす「シンプル・ライフ・ダイアリー」10月6日の日記より