「思っているよりPTSDはずっと身近」私がメンタルヘルスを語る理由

フラッシュバックにはなんの前兆もない。思い起こす記憶はあまりにも鮮明で、感覚も共に蘇る。足は震え、鼓動が速まり、悍ましいほどに身の危険を感じる。
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MIRANDA OVERETT
著者のミランダ・オーヴレットさん

ある日、とあるパジャマを見てフラッシュバックをしてしまった。霞みがかった青色でストライプ柄の入ったそのパジャマは、かつて父が身に纏っていたものとよく似ていた。

ほんの30秒前まで、何の問題もなく過ごしていた。それなのに、そのパジャマを見た途端に、私は一瞬にして12歳だった頃に引き戻された。あの特徴的な布で織られたパジャマを着た父がトイレに向かうのを、寝室の扉の隙間から覗いていたあの頃に。トイレの鍵が閉ったのを確認すると、私はキッチンまで走って行き、食べ物を手を取って、父が私が起きていることに気づかぬように慌ててベッドへ戻った。

フラッシュバックにはなんの前兆もない。思い起こす記憶はあまりにも鮮明で、何度も思い返してしまう。感覚も共に蘇る。足は震え、鼓動が速まる。そして悍ましいほどに身の危険を感じる。

こういうことは、私にとってはもう普通になってしまった。私だけではない。イギリス人の4.4%、アメリカ国内の成人3.6%が私と同じ状況にある。私は心的外傷後ストレス障害、PTSDを患っているのだ。 

 思っているよりPTSDはずっと身近

アメリカではしばしば、PTSDは軍隊に入り戦場に出た人だけが患うものだと思われている。しかし、人が経験するトラウマの経緯は、交通事故や、最愛の人を失った経験、自然災害など多岐に渡る。暴力や虐待を受けた経験のある人と親しいというだけでも、派生的にストレスを患い、PTSDと診断されることもある。

私の場合、PTSDの原因は父から継続的に受けた感情的かつ心理的な虐待だった。「私はまともな人間じゃない」と思い込ませ、虐め、幼かった私に安心感をもたらしてくれた物を全て、生活そのものから奪った。私の心を癒したものも奪われ、部屋を出入りすることも禁止され、私が苦しむ姿を見て彼は笑った。しかし、何よりも辛かったのは「世界は粗悪な場所で、私は愛されるには不十分だ」と教わり続けたこと、そして父が自殺を考える時は、私のせいだと言われたことだ。

外から見ると、彼は「チャーミングで立派なお父さん」だった。家で何が起きているかなんて誰も知る由もなく、当時12歳の私も、それをどう打ち明ければいいのか分からなかった。他人の目に映ったのも、私自身がはっきりと気付いていたのも、それがもたらした影響だけだった。私の症状は不安感や恐怖心という形で現れた。あまりの深刻さに、通学を継続することも出来なくなり、数週間に渡って家を出ることができなかった時期もある。時が経ち、私は学校や家族、そして徹底した認知行動療法のお陰で、やっと自分の人生を持ち直す術を見つけた。しかし、それも27歳にして初めてのフラッシュバックを経験して「私の苦悩の原因は、父から受けた虐待だったんだ」とはっきりと分かってからの話だ。 

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フラッシュバックは突然にやって来た。今になっても、なぜそれが起きたのか分からない。しかし振り返ってみると、経験したことを自分の中に落とし込み俯瞰できるようになるのに15年かかったからなのかも知れない、とも思う。

「自分の中で父がどんな存在なのか」を理解することは、私のメンタルヘルスにおける転機となり、自分に必要なセラピーをより的確に探せるようになった。心理療法士にも会うようになり、自分で上手く制御しながら、当時を追憶できるようにもなった。道のりは長く、時間も掛かるだろう。それでも、トラウマに気付いたことで人生の展望は鮮明になり、自分自身で制御できるようになったのだ。更にそのお陰で今は、症状を”和らげる”のではなく、その原因に対処出来るようになった。

自分がPTSDを患っていると分かったことで得たものは様々で、妙なタイミングで気を病んでしまう理由の判明もその1つだ。そして何故、私をパニックに陥らせるものが、「追い詰められている」と感じたり争いに直面したりといった事柄だけではなく、赤いベルベッドのカーテンやイギリスのホリデーコテージ、そしてパジャマのような些細で無害な物なのかも分かった。こういった物が自分にとってのトリガーになると分かっていれば、恐怖感を覚えたりしても動揺すること無く、心を平らげることが出来る。

 受けた虐待が私を定義するわけではない 

幼少期の自分に起きた事を理解する事は、抑圧されていた記憶を思い起こすことにも繋がった。そういった記憶を掘り起こすことは、映画の中で見た不快なものを思い出そうとしてながらも、その半分も思い出せないような状態だったのが、実は「自分も同じ経験をしていた」と思い出すような感覚に近い。去年、感情的かつ精神的に受けた虐待の記憶と同様に、父の身体的で性的な行動を断片的に思い出した。その事実をしっかりと認め、向き合うために今も苦労している。

過去のものであれ直近のものであれ、受けた虐待が私を定義するわけではない。私は旅をしたり、海外に住んだり、やりがいのある仕事をする機会にも十分に恵まれているし、脚本を書いたり人前で即興コメディをしてみたりと、新しいことにもチャレンジしている。素晴らしい人達にも出会った。これまでの全てにおいて、自分が持つ母親譲りの強さと他者と共感する力に感謝している。優しさと楽観的な姿勢、そして愛情を常に示してくれる母への感謝を十分に伝えることはきっと一生をかけても叶わないだろう。彼女のサポートなしでは、私は今こうして記事なんてきっと書いていない。母は今日も私を支え続けてくれている。

セラピーもまた、私の大きな闘いを支えてくれたものの1つだ。10代の頃には学校の先生が、教師として求められている以上のサポートをしてくれて、素晴らしい教育を受けることも出来た。ほとんどの行動意欲を失っていた当時の私の能力を、尚も信じ続けてくれたのだ。

私は様々な方法を試したのちに、殆どの症状を制御する術を身につけ、今は少量の精神安定剤を服用している。症状の特質上、エクササイズや瞑想などの一般的な療法は合わなかったが、前に進む新たな術を見つけたのだ。

多くのプロセスを要する仕事(私の仕事はスプレッドシートを多く使う)や書き物、アート、散歩などには多くの喜びを感じる。新たに何かに挑戦する機会があれば、出来る限り「イエス」と答えるようにもしていて、そのお陰で演技や漫才にも目覚めた。ステージに立って、今までとは全く違うタイプの恐怖に挑戦することに私は満足感を覚える。挑戦を終える度に「私は自分で思っていたより能力がある」と感じるのだ。たとえ私がPTSDを患っていようがいまいが関係ない、と。

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PTSDは煩わしい。いつトリガーに遭遇するかなんて予測は立てられないし、発作を起こすと、肉体的にも精神的にも多岐に渡って多くの問題が伴う。その形はパニック発作や、鬱、胃痙攣や偏頭痛など様々だ。私は何度も燃え尽き、これまで何度かは仕事を辞め、振り出しに戻ったりもした。ロンドンの職場の多くは、私が症状を対処するのに必要な時間や援助を与えてはくれないのだ。

デートや友情も難しい。自分の状況の上手な説明が思い付かないのだ。「トラウマが原因の発作のせいで、外出が出来ない」、「ディナーの間、ずっと黙っていたのはデートがつまらなかったからでは無くて、店内の装飾がトラウマを掘り起こしてしまったから」と伝えるのは容易ではない。そういう悩みが時々、酷くしんどくなってしまう。

 メンタルヘルスを語り続けたい

不幸中の幸いは、こういった症状は全て一時的なものだということだ。他の多くのメンタルヘルスの症状と同様に、これは私が不安定だとか、錯乱しているというわけではない。喘息や捻挫のように、単に辛い出来事というだけの話だ。それ以外において、私は全く普通の人だし、だからこそメンタルヘルスについて話すことが必ずしも深刻で鬱々としたものである必要はないと強く思っている。私はみんながメンタルヘルスやトラウマについて、恥ずかしいと感じずに、単なる「出来事」の問題として話せる環境を目指して行きたい。「こんにちは、私はミランダです。映画業界で働いていて、ネコを飼っています。PTSDを患っていて、旅と『ロッキー・ホラー・ショー』、そして漫才が好きです」、そんなノリで語れる環境を目指しているのだ。

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もちろん、トラウマに関する話をするにあたって、胸が苦しくなる思いをすることもある。それは当然だ。「感情への強烈な負担が原因で、その頃を頭の中で追体験してしまう」なんて言われた時に、それにどう返せば良いか分かる人はそういない。

それでも、気軽に話せる環境を目指さなくてはいけない。私は社会に、そういう会話をもっと普通の出来事として捉え、PTSDの原因となる経験は様々なのだと理解してほしい。PTSDは私の人生の一部でしかないが、それは私が毎日付き合っている事柄でもある。そして苦しむ人々に難題を与え続けるこの世界では、これに関して声を挙げていくことがとても重要だと思う。私はPTSDを患っている全ての人に、各々の経験を暗い雰囲気を帯びずに語れるようになってほしいし、支えてくれる人がいることを知って、少しでも肩の荷を下ろしてほしい。

ハフポストUS版を翻訳、編集しました。