20代にとってお金の価値は、グロス何個分で測れる?【これでいいの20代?】

お金の価値を知らないからグロスと比較する。

私の本当の名前は鈴木綾ではない。

かっこいいペンネームを考えようと思ったけど、ごく普通のありふれた名前にした。

22歳の上京、シェアハウス暮らし、彼氏との関係、働く女性の話。この連載で紹介する話はすべて実話にもとづいている。

個人が特定されるのを避けるため、小説として書いた。

もしかしたら、あなたも同じような経験を目の当たりにしたかもしれない。

ありふれた女性の、ちょっと変わった人生経験を書いてみた。

◇◇◇

新宿駅の中心から少し離れたスターバックスコーヒー 新宿南口店にて20代女性2人の会話を小耳に挟んだ。閉店の時間に近かった。

「5000円だった。」

「5000円?グロスを6本ぐらい買えるじゃん」

話し手がどのブランドのグロスを買っているか分からなかったけど、ディオールのグロスではないことがすぐわかった。

面白いよね。人がモノのお金の価値を考えるときに使う物差し。彼女の場合はグロスだけど、他の人は違うみたい。地元を出たことない友だちの妹に新幹線の値段を言ったら、「セシルマクビーのワンピース2着買える!」と言われて笑ったことがある。

友だちのちひろにとってお金の価値は本を何冊買えるかで決まっていた。

同僚の男性はオフィスビルに入っているお弁当屋さんの¥850の弁当と何でも比較した。お客さんの飲み会をアレンジするとき、「まぁ、そのお店のコース料理はちょっと高いなー」と言われると「大丈夫。お弁当の3倍しかしないからー」と言いたくなるらしい。

シェアメイトたちにとっては、家賃がお金の指標だった。当時、それぞれが平均¥55000ぐらい払っていた。「韓国の激安ツアー見つけたんだけど!」「家賃より安い?」

私の周りの20代にとってお金の価値ってそういうもんだった。お金の価値を知らないからグロスと比較する。日本の会社はケチだからみんなお金の価値を知らない。企業は¥200兆以上現金持っているのに若者にそれをあげない。ケチなやつらだ。

グロスや弁当やワンピースとか、若者が考えているお金の価値に関する考え方に一つ共通していることがある。

単位が「金額」じゃない。自分の身近なものの個数。単位が「もの」になっている。

このぐらいあれば、こんなものが買える、こんなことができる、じゃなくて、このぐらいあれば、あれが何本、これが何個買える。

お金の価値が「モノ何個分」っていう「量」になっている。ありふれた日常のささやかな「もの」の量。

会社が若者にお金を配分しない代わりに、社会は若者に量をプレゼントした。

ドン・キホーテや100円ショップやネット販売はそう。タッパーウェアを20個買える、バースマット3個買える!

だからお金の本当の価値がわからない。お金があればもっといろんなことができる、もっといろんないいものが買える。だけどみんな自分の想像の範囲でしかものの価値が考えられない。

若者は特にそういうことに気がつかない。

周りと違って、私は欲深い生き物。お金が好きでお金を稼ぐために上京した。稼いだお金で高いシャンパンを買ったり、千疋屋フルーツを毎朝食べたり、六本木ヒルズで買ったマンションで楽しくて知的な友だちとホームパーティーをしたりしたい。これは私の「ジャパニーズ・ドリーム」。

だけど他の20代の人たちはケチな社会に騙されてグロス6本を買うドリームしか見ていない。それを「プア充」とか、美徳にしている程騙されている人もいる。みんな、目を覚ましてよ!お金欲しがれよー!

「金欲しいー」というのは今の時代にあまりかっこよくない姿勢と分かっているけど、なにかを求めたい。ずっとハングリーでいたい。世界をもっと知り合い。そうするためにお金が必要。

シェアハウスの近くで業務スーパーができた。シェアメイトたちはみんな喜んでいた。冷凍カキ1キロを¥1000以下で買ってカキ鍋パーティーをよくした。ときどき一緒にシャンパンでも飲めるぐらい会社にお金を出してほしかった。