「ボタン恐怖症」なんてものがあるなんて、娘がなるまで知らなかった

それはだいたい2歳半頃から始まりました。

それはだいたい2歳半頃から始まりました。あるとき娘が、洋服を着るのを嫌がったのです。それが2回、3回と続き、その後も何回も続きました。最初はチョッキでした。それから、チョッキとなると娘はほとんどすべて嫌がるようになりました。その結果、娘はほとんどいつも同じ服――ライクラ(弾力性に富むポリウレタン系の合成繊維)製のあまり可愛くないジッパーの上着――を着ていました。

それからこんなことがありました。数秒前まではかわいいと言っていた新しい洋服を、娘が泣きながら嫌がったのです。すると今度は、彼女の一歳年下の弟がその服を着たいと言い出して、私がそれを許さなかったために泣き出してしまいました(息子には大きすぎるのに!)。

「いい母親」は子どもの好き勝手にさせないものだと、私は我が子の気まぐれを許しませんでした。娘を叱ったのです。彼女に服を着せるのはいつも戦いでした。でも娘の嫌がり方は激しくなる一方。この調子では、いつか彼女はパジャマで学校に行くことになるのではなないかと私は思いました。

▪️「気まぐれ」ではなかった

そのことを気づかせてくれたのはある友人でした。たまたまその友人が、自身の恐怖症について話してくれました。まったく馬鹿げているようだけど、裁縫をするときいつも彼女につきまとう恐怖――それはボタンへの恐怖でした。彼女はボタンを触ることができないのです。とくにボタンが大きかったりたくさんあったりすると、彼女は見ることもほとんどできません。叔母の一人が、彼女が裁縫好きだと聞いて、年代物のボタン箱をプレゼントしてくれたことがあったそうです。開けたとき、彼女は箱を投げ捨てて、その場から走り去りたい気持ちを抑えるのに必死でした。どうにかこうにか、箱のふたを閉め、自分からできるだけ離れた位置にある棚にそれを置くことができました。

▪️娘が嫌がる服には共通点があった――ボタンだ

それは「フィビュラノフォビ(fibulanophobie)」と呼ぶそうです。これはラテン語で衣服や髪につける留め具を意味する「fibula」に、恐れや恐怖を意味するギリシア語の「phobie」をつけたもの。「phobie」とはとても強い恐怖、苦悩、嫌悪のことです。わたし自身「マスカフォビ(maskaphobie、仮面恐怖症)」で、同時に「クルロフォビ」(coulrophobie、ピエロ恐怖症)でもあります。恐怖症とは非理性的で非合理的なもので、原因はわからないことがしばしば。症状があまりにも強いときは、行動療法を受ける必要も出てきます。

娘の症状を確かめるために、わたしは少し意地悪なテストをしてみました。子どもたちと一緒に買い物に行ったとき、『アナと雪の女王』のエルサ(娘がしばらく前からお気に入りだったキャラクター)をモチーフにしたTシャツを娘に見せました。たちまち彼女は欲しがりました。それを確認してから、その服にボタンがあることを見せたのです。すると娘は洋服をはねつけ、今にも泣き出さんばかりになって、こう言いました。「ママ、こんなの欲しくない。とっても気持ち悪いよ」

▪️ボタン付きの服はダメ

それからというもの、わたしはペンチ使いのプロになりました。ベルトの留め具やズボンからボタンを隠すことが、誰よりも上手くなったのです。Tシャツは難しくありません。一方で、彼女のお気に召すチョッキを見つけるのは一苦労でした。

はじめは懐疑的だった夫も、娘の症状を理解してくれるようになりました。家族や親戚は、わたしが娘のわがままを許していると思っていました(今も思っているでしょう)。けれど、ボタンのついた服を着させようとするたび娘がパニックに陥る様子は、どんな言葉よりも彼女の問題を物語っています。

いま娘はボタンに問題なく触れます。ただ、装飾のあるボタンをとりわけ気持ち悪がるようです。わたしたちはいつも、ボタンの着いた服がいかに多いかということに驚きます。娘はもうじき5歳になりますが、数カ月前からはスナップボタン式の服を着られるようになっています。

いつの日か娘が、2016年アカデミー賞受賞式のときマリオン・コティヤールが着ていたような衣装(「フィビュラノフォビ」の方は見ないほうがいいです)を着られる日が来るでしょうか?おそらく無理だと思います。大事なのは、「ボタン恐怖症」が彼女のなかですっかり根付いているということなのです。

ハフポスト・フランス版より翻訳しました。